「ん、んん……」
 窓から流れ込む、わずかに秋の香りを含んだ涼やかな風が火照った肌を撫でる。その風に揺らされた何かに頬を微かにくすぐられ、波音はいつのまにか閉じていた目を開く。
波音の横で、肩膝を立ててベッドの上に座っているかれんが、ぼんやりと窓の外に浮かぶ月を見つめていた。
その顔は、普段の勝気な表情とは全然違って見えて、波音は思わず声をかけるのをためらってしまう。
 と、再び窓の隙間から流れ込んできた風が、かれんの長い髪を揺らす。独特の長い巻き毛がふわりと舞い上がり、波音の頬、そして鼻の下をさらっと撫でる。さっき頬をくすぐったのはこれだったのか、そう納得すると同時に、くすぐられた鼻がムズムズしてきて波音は思わずくしゃみをしてしまった。
「クシュンッ」
「あ、波音。起こしちゃった?」
「ううん。ちょっと目が覚めちゃった」
 波音のくしゃみに振り返ったかれんの表情は、いつものかれんに戻っていて、なぜだか波音はそれが残念に思えてしまった。
「だいじょうぶ? 風邪引いたんじゃない?」
「へーきだって。鼻がムズムズしただけだから」
「そ? ならいいけど。けっこう汗かいちゃったからね」
 かれんが笑いながら、手の中で転がしていた何かをヒョイと上に放り投げる。波音の上へ落ちてきたそれを慌ててキャッチすると、手の中のそれを覗き込む。
「あ。これ……」
 それは、かれんが耳元で揺らしていた、小さな巻き貝だった。思わず視線がかれんの下半身へ向いてしまうが、そこはすでに女性らしい曲線を描いているだけ。
「どーこ見てんのよ。波音のスケベ」
「ち、ちがうわよっ」
 かれんにからかわれ、波音はプイと背を向ける。
「あはは、ゴメンゴメン」
 かれんが波音の髪をクシャクシャと撫でる。
「も〜、子供扱いしないでよ」
「はいはい」
 波音が嫌がって首を振ると、かれんは肩を竦めて手を離し、再び窓の外に目をやった。その表情が、さっき窓の外を見ていた時と同じに、普段のかれんとは違うどこか寂しげな印象を受けて。波音はこの夏の間中、密かに気になっていたことを切り出した。
「……ねえ、かれん」
「なに?」
 波音の呼びかけに、かれんは視線を動かさず返事をする。
「やっぱり、まだスバルさんのこと、好きなんでしょ」
「……もういいのよ」
「よくないっ。好きならイギリスだってどこへだって、泳いで追いかけていけばいいじゃないっ」
「できるわけないでしょ。あたしには国を守る使命があるし。それに、前にも言ったじゃない。マーメイドのあたしと人間の彼が、近くにいちゃいけないんだ、って」
「そんなっ! ……かれんにそんなこと言われたら……私もリナも、これからどうしたらいいのよっ」
「波音……」
 波音はクシャクシャにゆがめた顔を、隠すように枕へ突っ伏した。
 恋の暴走機関車を自負する波音だが、これからの事に対する漠然とした不安はずっと持っていた。いずれ国へ戻らねばならなくなった時、好きな人と別れて帰れるのだろうか。リナほどではないにせよ、ふとした瞬間に不安に駆られる時がある。特に渚と知り合ってからは、その回数が増えた気がする。
 そんな折、同じマーメイドプリンセスであるかれんが、恋を見つけ、そして別れを選んだ。その事実は、波音をひどく動揺させた。マーメイドプリンセスの宿命を、まざまざと見せつけられた気がして、怖くなってしまったのだ。
「……あたしはさ」
 かれんがうつ伏せになった波音の頭に、ポンと手を置く。今度は振り払うことをせずに、されるがままになる波音。
「あんまり器用じゃないから。他にどうしていいのかわからなかったけど。でも、アンタたちはまだまだこっちにいられるんだし、好きなように生きてみればいいんじゃない」
「…………」
 枕に埋めていた顔を少し横にずらし、目尻に少し雫のたまった瞳で見上げる波音。そんな彼女にかれんはニッコリと微笑んで見せた。
「あたしたち人魚の王国に伝わる『人魚姫』のお話が、地上のものと違ってラストがハッピーエンドなのはさ。何か意味があると思うのよね」
「だったらかれんもっ」
「あたしはいいんだって。スバルと一緒にいた時間は確かに楽しかったけど、でも、国を捨てて追いかけていけるほどじゃないし。ノエルやアンタたちに会いに、こうして遊びに来て。たま〜に一夏のアバンチュールでもあれば、それで十分」
「かれん……」
 微笑みながら夜空に浮かぶ月を見つめるかれんを見ていると、波音はかなわないなと思う。この夏は特に、ノエルやココとバカばかりやってた印象が強いけど、やっぱり自分達よりはずっとお姉さんなんだなあ、って。
「それより、人のことばっか気にしてていいの?」
「え?」
「この間渚と遊んだ時、けっこう楽しかったのよね。年下の男の子相手っていうのも、いいかな〜なんて」
「だ、ダメよっ。ダメダメッ! 渚は私の……」
「私の、なあに?」
「え、あ、えと……もーっ、かれんっ!」
「アハハハッ」
 ポカポカと拳を振り下ろす波音と、頭を抱えて避けるかれん。どちらの顔にも、スッキリとした笑顔が浮かんでいた。
「さてと。そろそろ部屋に戻って休むわ」
「うん」
 かれんがベッドから腰を上げる。
「あ、そういえば。さっき渡した巻き貝、まだ持ってる?」
「ちゃんと持ってるわよ、ほら」
 波音が握りしめていた拳を開くと、手のひらに小さな巻き貝が乗っていた。波音は指でそれを摘まむと月明かりに透かしてみた。
「でも不思議よね。こんなちっちゃいのがあんなに大きくなるなんて」
 かれんが受け取ろうと手を差し出すも、波音はまだ興味があるのか手の中で巻き貝を弄り回している。
「こうかな。おちんちん、生えろ〜。なんちゃって。……て、え? きゃああああっ!」
「わっ、バ、バカッ」
 波音がふざけて巻き貝を股間にくっつけた瞬間、巻き貝はキラキラと輝き、そして、次の瞬間には。
「いや〜ん、なにこれ〜」
「あちゃ〜」
 波音の股間から、逞しい肉棒が隆々とそそり立っていた。
「ど、どうしよう、かれん。おちんちん生えちゃった」
「どうしようって……。それ、アンタが性的に満足しないと、取れないよ」
「そんな〜。こうなったのもかれんのせいなんだから、責任取ってよね」
 波音はかれんの頭をガッチリ掴み、どこにそんな力があったのかグイと股間に引き寄せた。
「ちょ、ちょっと波音っ。落ち着きなさいよっ」
「ダメよ、かれんのせいなんだからっ。早く、早くおちんちんヌキなさいよ〜」
 鼻面にグイグイ押し付けられる、波音に生えてしまった長大な肉棒。こうなってしまっては、射精させるしか肉棒を外す手段はない。特に、初めてこの巻き貝をつけた時は、意識のほとんどが膨れ上がった射精欲求に支配されてしまい、とてもじゃないが正常な思考などできなくなってしまうのだ。
「……ハァ。初めてノエルとした時も、腰が抜けるまでヤリまくったのよねぇ」
 かれんは思わずため息をつく。今夜はまだまだ、眠れそうもなかった。

前に戻る  次へ進む  記念作品集へ戻る  TOPへ戻る