「うわーあ〜っ!」
 大きなな悲鳴を上げて、頭突きをくらった唯が吹き飛んだ。リング中央で頭を押さえゴロゴロと転がるその姿に、会場からは笑いが起きる。
「ちっ、大袈裟なんだよ」
 唯を打ちのめした来島はその様子を苦々しげに眺めながら、距離をおいて様子を見る。唯がフラフラ立ち上がると、来島はロープで勢いをつけて猛ダッシュした。
「これでもくらえぇっ!」
 来島の右腕が唸りを上げる。ナパームラリアット。サポーターに手を掛けていないのでフィニッシュ狙いではないが、威力十分のこの一撃が命中すれば間違いなく主導権は来島組に移るだろう。だが。
「おっと」
 寸での所で唯は身を屈めてそれをかわすと、来島の後ろに素早く回りこみその首に腕を絡めた。
「確かに姉さんのパワーはすごいわ。外人にもなかなかおらへんレベルや。でも、ちょっと真っ直ぐすぎやで」
「んぐあっ」
 そのままリング中央でスリーパーホールドに引きずり込む唯。来島は息苦しさにもがきながら、その漲るパワーで強引に外そうと唯のレスラーにしては細い腕に手を掛けた。

『EXタッグ!?』
 広さだけは十分にある片田舎の道場。そこに集められた少女達は、一様に驚きの声を上げた。女子プロレスの最強であり最大手である新日本女子プロレス、その年末のメインイベントであるExタッグリーグへ、この小さなプロレス団体、フェアリーガーデンに参戦要請があったのだ。
「ほえ〜。すごいですね〜」
 余り凄さが伝わらない間延びした口調ながら、保科優希が目を丸くしている。
「ねえねえ、それで誰が出るの?」
 テディキャット堀が急かす様に社長のシャツの袖を引っ張る。
「Exに出たとなれば、ウチにとってはかなり大きな宣伝になる。だがそれと同時に、ある程度の結果を残せなければ、所詮インディーかと笑われることになるだろう。私としては、出来る限りベストを尽くしたい。そこで今回は、中江君と成瀬君に出場してもらおうと思う」
「へ、ウチ?」
 成瀬唯は驚いて自分の顔を指差した。
「中江ちゃんはともかく、ウチでええの? 大事な試合なんやろ」
 半信半疑で問い返す唯だが、社長は力強く頷き返した。
「正直皆にそこまで力の差はない。だが今回はタッグだ。直線的な中江君と緩急に長けた成瀬君なら、お互いの難所を補い合える良い組み合わせになると思う」
「そ、そう? でも、みんなはええの、ウチで」
 社長の言葉に励まされつつ、唯は皆に尋ねる。しかし誰一人難色を示す者はいない。
「真帆は都会はニガテだ。行ってきていいぞ」
「Exって優勝したら賞金出るんですよね。頑張ってください、唯さんっ」
 フォクシー真帆が大きく頷き、ドルフィン早瀬が唯の手をギュッと握る。そして、
「やろう、唯。ボクたちの力、新女のファンにも見せつけてやろうよ」
 タッグパートナーとなる中江里奈が唯の肩に手を回した。
「……よし。やったろうやないのっ」
『オーッ!』
 唯が拳を突き上げると、皆も次々に拳を突き上げる。それは彼女達インディ団体の、メジャーへの挑戦だった。

「このぉ、いい加減にしやがれっ」
「がはっ!」
 来島にマットに叩きつけられ、唯は低く呻いた。試合時間はもうすぐ30分。大きく受身を取る余裕もない。プロレスラーとしては体力豊富とはいえない唯の体には、ダメージは確実に蓄積していた。
「唯っ!」
 エプロンサイドから里奈が大きな声を出す。のらりくらりと受け流しているようでそろそろ唯の体力が尽き掛けている事は、同じ団体に属する仲間としてよくわかるのだろう。
「おおおぉぉっ!」
 雄叫びを上げて来島が突っ込んでくる。しかし唯はそれを上手くいなすと、足を取ってドラゴンスクリューで巻き込んだ。
「甘いわっ!」
「んぐっ」
 リングに転がる来島を尻目に、唯はリングを転がって里奈にタッチ。
「よっしゃーっ!」
 そのまま里奈は勢いをつけて、来島が立ち上がったところへ掟破りの逆ラリアット。しかし来島も倒れずヘッドバットで反撃。パワーとパワーの激しいぶつかり合いは、しかし決着がつく前にゴングが打ち鳴らされてしまった。
「くっそおおっ!」
 マットを叩いて悔しがる来島を尻目に、ふらつきながらコーナーに戻ってきた里奈に唯はトップロープにもたれ掛かりながら声を掛けた。
「なんとかなったな、中江ちゃん」
「うん。結構やれるよ、ボク達」
 来島・菊池組は不満の残る決着だったのか足早に、中江・成瀬組はその結果にある程度の満足を得たのか観客の声援に応えながら花道を下がる。
「結構やりますね、あの人達」
 花道を歩きながら、肩を怒らせて前を歩く来島に菊池が話し掛ける。
「ああ。甘く見てたわけじゃないけど、油断したっ。くそっ、最初からもっと飛ばしていくべきだったぜ」
 来島はやり場のない怒りを紛らわすように、手のひらを拳でパシンと叩く。
 Exタッグリーグは、戦前の予想では格上とされていた来島・菊池組にインディー団体の中江・成瀬組が引き分けるという波乱の幕開けとなった。

 旗上げ3年目の新興団体であるフェアリーガーデンは、一般的にはイロモノ団体として見られがちである。基本的には対外国人をテーマに複数の海外団体と提携しているのだが、ほとんどの試合で所属の日本人選手が敗れている、いささかバランスの悪いマッチメイクを毎度行っていると言わざるを得ない。口の悪い者は「外国人選手のプロモ団体だ」「やられる日本人選手の少女達を見世物にしている」などと悪評を漏らしたりもする。それでも固定ファンは増え続けており、そしてまた来日した世界チャンプクラスの選手ともある程度渡り合える所を見せている。
 そんな一般に実力が計りきれないと言われがちな団体が、新女のリングに上がる。興味半分懐疑半分だった観客だが、新女のナンバー3であるボンバー来島とジュニアのエースである菊池理宇のタッグと堂々と渡り合い引き分けて見せた事で、初めてその実力を目の当たりにする。
 そして2日目、中江・成瀬組がIWWFの代表であるコーディ・イザベラ組に勝利を収めた事により、この台風の目の出現を歓迎するムードがかなり高まってきていた。

 そして3日目。唯と里奈は、反対側のコーナーに立つ二人の女性を見つめていた。
「ついにやるんだね、ボク達。新女の大エース、パンサー理沙子さんと」
「次代のエースで今年のプロレス大賞MVPの受賞確実と言われてる、マイティ祐希子と、新女のメインイベントで、か。う〜、なんか足元ガクガクしてるわ」
 唯は足の先から震えが伝わってくるのを感じた。それが武者震いか、それとも恐怖から来るものなのか、大観衆の視線を一心に集めているという興奮も混ざり合ってよくわからない。
「大丈夫だよ、唯。ボクらはいつも通りやるだけ。でしょ?」
 里奈が唯の肩に両手を乗せ、真っ直ぐ見つめてくる。その力強さが、今は有難い。
「そやね。格上に挑むのは慣れてるしな、ウチら」
「うん。多分観客もみんな、向こうが勝つと思ってる。だけど」
「ああ。そこを番狂わせでひっくり返すのが、ウチらのプロレスってもんや。……いっちょ、やったるかっ」
「おうっ!」
 二人はパチンとハイタッチを交わすと、反対側のコーナーを睨みつけた。そこにそびえ立つ壁は、あまりにも高く大きい。そしてパンサー理沙子は、二人がプロレスを志す一端でもある憧れの存在でもあった。
 だが、この場に立てなかった仲間達の為、そして自分達のプロレスを証明する為。ともすれば逃げ出したくなる程の緊張と恐怖を押さえつけて、二人は足を踏ん張り前を見据え、その壁を打ち壊しに挑むのだった。

 試合は意外な展開となった。里奈はパワーを、唯は関節技を主体に、目まぐるしいタッチワークで相手に流れを支配させないように試合を掻き回す。10分を経過した頃。中江のスクラップバスターが理沙子を一次戦線離脱させると、変わった唯はリング中央で祐希子の足を攻め立てていた
「いくでっ」
「あくっ」
 祐希子のスピードを奪う為、ドラゴンスクリューで足を捻る。そしてすかさずサソリ固め。自分にとっては唯一のアドバンテージであり、祐希子にとっては比較的苦手に分類されるグラウンドで、唯は徹底的に挑んだ。
「くああーっ」
 悲鳴を上げる祐希子。その絞まり具合に、唯は微かながらも勝利の香りを嗅ぎつける。
(いける、いけるでっ。この調子ならっ)
 唯はさらに力を込め腰を落とす。しかし、飛び技も華麗にこなすその体のどこにそんな力が秘められていたのか、祐希子は腕立てと脚力で唯の体を跳ね飛ばし、サソリ固めを強引に振り解いた。
「ちっ。まだ終わりやないでぇっ!」
「またっ? んくあぁっ」
 それでも唯は素早く体制を立て直すと、再び足を取ってサソリ固めを極めた。客席からはブーイングと歓声が同時に上がる。新女の看板である二人の敗北など受け入れられないという客が7割、まさかの番狂わせを見たいと願う客が3割と言ったところか。
 しばらく絞り続けた唯だが、しかし祐希子にギブアップの言葉を吐かせるまでには至らない。祐希子がなんとかロープへ逃れると、唯はリング中央で見栄を切る。
「よっしゃ! とっておきの芸、見せたるでっ」
 次で決める。仮にこれで決まらなければ流れが悪くなる。その時は里奈にタッチし再び流れを引き戻す。それが唯の目算だった。
「いてこましたるっ」
 絞られ続け力の入らない足を震わせて立ち上がりかける祐希子へ向かって唯は猛然とダッシュ。その立てた膝を踏み台に、一気に祐希子の右腕へ飛びつく。唯の必殺技、シャイニング・クロスイリュージョン。だが目の前まで迫ったその標的は、突然視界からフッと消えた。
「なっ!?」
 目の前から突然獲物が消え、唯は一瞬動転する。その隙は、王者相手には致命的であった。気づいた時には背後から祐希子が猛ダッシュ、右手で掴まれた頭には飛び上がった祐希子の全体重が驚異的なスピードと跳躍力によって何倍にも膨れ上がりのしかかってきた。
 ズゴッ!
「がはっ!」
 そして唯の意識は、一瞬にして闇に沈んだ。

「どうした」
 突然頭をクシャッと撫でられ、俯いて川面を眺めていた唯は視線を上げた。
「社長……」
 そこにはにこやかな笑顔を浮かべた、フェアリーガーデンの社長が立っていた。
 今日の会場から歩いて5分ほど。そこには大きな川が流れている。試合後意識を取り戻し、いたたまれなくなった唯はリングコスチュームにジャージの上だけ羽織ると会場を飛び出し、気がつけば会場側の川べりの土手に体育座りでうずくまっていた。
「何しに来たん。今日忙しかったんやろ」
 唯は再び川面に視線を移し、そっけなく呟く。今日は忙しいから来れないと、そう試合前に電話で言われていた。
「何とか都合をつけて飛んできたんだよ。ウチのかわいい娘達がチャンピオンに挑むっていうのに、見に来ないわけにはいかないだろう。……まあ、試合の頭5分くらいは見逃してしまったが」
 そう言って、社長も隣に腰を下ろした。
「……遅いねん、アホ」
 わざわざ一試合見る為に本拠地の青森から飛んできた社長に、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。それでますます素直になれず、唯はそちらも見ずに悪態を吐いた。
「スマンな、試合前には余裕を持って到着する予定だったんだが、渋滞に掴まってしまった。さすがに都会、田舎の道とは違うな」
 そう言って笑う社長だが、唯はノーリアクション。
「良い試合だったぞ」
 社長のその言葉に、唯はピクリと反応する。
「……どこがやねん。せっかくええ感じやったのに、あんな一発で意識飛んでまうなんて、ウチ、自分が情けないわ。中江ちゃんにも、申し訳なくて」
 再び潤みかけた瞳を膝に押し付けこらえる。そんな唯の頭を、社長は再び撫でてやる。
「立派になったじゃないか。あの、新女のテストに落っこちてピーピー泣いてた成瀬君がな」
「なんやてっ」
 思わずカッとなって顔を上げた唯。その顔を、社長が笑顔を浮かべて覗き込んだ。
「君も中江君も、新女のチャンピオンと堂々と渡り合っていたよ。胸を張る事はあっても、卑屈になる事なんて何もない」
「せやけど……もうちょっとで勝てるところやったのに」
 唯は視線を逸らす。
「私がプレッシャーをかけすぎてしまったかな。そこまで勝敗を気にするなんて、成瀬君らしくもない」
「そんなんちゃうけど……でも、今日勝ってれば優勝かて見えたんや」
「十分素晴らしい事じゃないか。ウチの選手がExで優勝争いするなんて、正直旗上げ当初は思ってもいなかったよ」
 そう言って社長は夜空を見上げる。その目に映るのは、入団当初のまだひ弱な少女達の姿か。
「私は今日の試合を見て、新女のファンにも十二分にウチの魅力を伝える事ができたと確信している。君達は私の期待にしっかり応えてくれたよ」
「社長……」
「せっかくの機会だ。後は存分に、この舞台を楽しんでくれ。私はそれが一番嬉しい」
 そう言って微笑む社長の肩に、唯はコテンと頭を預けた。二人並んで、ただ静かに月の映りこんだ川面を眺める。しばらくの間そうしていると。
「唯っ」
 不意に名前を呼ばれて振り返る。そこには大きな鞄を二つ持った里奈が、息を切らしながら立っていた。
「中江ちゃん……」
 唯はその姿を呆然と見つめる。里奈は鞄を地面に下ろすと、真っ直ぐ唯に近づいてきて、その正面に立った。
「……ゴメン、中江ちゃん。ウチ、あんな形で負けてもうて」
 唯は里奈に向かって頭を下げる。里奈は無言でその首に腕を回し……ギュッと絞めあげた。
「うげっ、な、何すんねんっ」
「何しょぼくれた顔してんの、唯らしくもない。悪いと思ってるなら荷物ほったらかしていなくならないでよ。だいたいそんな格好でウロウロしてたら風邪引いちゃうよ。残りの試合、風邪で棄権なんてゴメンだからね。まだ優勝の可能性だって残ってるんだから」
 里奈が手を放すと唯は顔を上げる。そこには笑顔の里奈がいた。
「負けたのは確かに悔しいけど、ボク達だってやれるんだって事がわかっただけでも十分すぎる収穫だよ。けど、ここで終わったら結局マグレとか勢いだけっていわれちゃう。だから残りの試合、頑張ろう。そして、絶対勝とうよ」
「……うん。うん、そうやね……勝とう、絶対」
 唯は里奈の首に手を回し、抱きついた。そんな唯の背中を、里奈はポンポンと優しく叩く。
「……よし。じゃあ成瀬君は早く着替えてしまいなさい。これから食事に連れていってあげるから、しっかり食べて力に変えてくれ、あ、みんなには内緒だぞ」
 社長も立ち上がり、スーツのお尻をはたきながら言う。
「ホントッ? ボクッ、ステーキがいい。特上の」
「ほんならウチ、大トロが食べたいっ」
 二人のキラキラした視線に見つめられ、社長は財布に視線を落とし。そして、少し困ったような表情をした。
「ステーキと寿司か。両方食べれる所って言うと……ファミレスでいいかな」
「なんでやねんっ!」
 唯のツッコミは、すっかりいつもの鋭さを取り戻していた。

 中江・成瀬組はこの後も快進撃を続け、ラッキー内田・越後しのぶ組とは引き分けたものの、3勝をマーク。
 4勝1敗2分けの勝ち点10で堂々の同率2位を勝ち取り、フェアリーガーデンに500万の賞金と、それ以上に多くの新たなファンをもたらしたのだった。


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