Un tournesol 拍手お礼SS その5

お父さんは心配性。 その2

−マスター−

注意:マスター一人称/独白
 あの日。
 朝起きて、店の仕込みの為に眠い目を擦りながら階下へと降りる。
 これが俺、柳内馨の日常だ。
 妻の朱里はすでに起きていて、朱里が担当している料理やデザートのある程度の仕込みは終わらせていた。

「おはよう。あなた。」

 朝らしいすがすがしい笑顔を俺に向け、そう挨拶してくる。
 それに少し寝ぼけた声を返しながら俺は、厨房に置いてあるエプロンを手に取るとそれを腰へ巻いた。
 店の開店は十一時。
 後、数時間もすれば開店だ。
 と、家の玄関が開く音がする。
 恐らくこの店の看板店員、いや看板娘である、日向蒼衣くんが来たのだろう。
 彼は本当に良く働いてくれた。
 無事に大学に合格した際に、この家を出て行ったのだが、それでもこうして家に居た頃と同じ時間に彼は真面目に出勤してくる。

「マスター、おはようございます。」

 ひょこっとその黒縁眼鏡をかけたわざと地味に仕立て上げている顔を厨房に覗かせて、俺の姿を認めると蒼衣くんは俺ににこりと微笑むを向けた。
 それに俺は、あぁ、と答えたものの、何か蒼衣くんの笑顔がいつものものと違うような気がして小さく首を傾げた。
 その間に蒼衣くんは、とっとと階段を上り、俺のかすかな疑問はただの気のせいと言う事でその時の俺は処理してしまった。
 今から思えば、あの時蒼衣くんを引きとめて、話をすれば良かったと思う。
 だが、今更過ぎてしまった時間は変えられない。
 それにあの時に俺が聞いていたとしても蒼衣くんは素直には答えなかっただろう。
 数年一緒に暮らして、大分打ち解けたとはいえ、蒼衣くんは未だに俺や朱里には完全には心を開いてはくれていない。
 確かに最初に出会ったころに比べれば格段に俺達に対する態度は打ち解けたものにはなっている。
 だが、あの頃と同じように相変わらず蒼衣くんは俺達に自分の事や、感情、そして気持ちを伝えようとはしなかった。
 俺達が言う事には素直に従い、大抵の事は笑顔でこなして行く。
 しかし俺達と住む場所を変えた後の普段の生活についてはあまり話してくれる事はない。
 その姿を見るにつれ、未だ蒼衣くんに信用されてないのではないか、という思いが強く湧き上がる。
 自分としてはすでに蒼衣くんは自分の子供同然だ。
 彼が楽しいと思う事は俺達も素直に楽しい。彼が嬉しいと感じれば、それは俺達の嬉しさにもつながる。
 それなのに、彼はそれらの事をあまり俺達には話してくれないのだ。
 この春から始まった大学生活についても、未だに蒼衣くんは勉強が楽しい、以外の事は俺達には話してはくれなかった。
 新しい友達でも出来ればいいが、とも思うが、その手の話を振ると必ず適当にはぐらかされてしまう。
 朱里は、蒼衣ちゃんがその気になればすぐに出来るわよ、なんて楽観的な事を言っているが、俺としては蒼衣くんがその気になる事なんてあるのだろうか、と些か不安を覚えていた。
 それでも、いつか、蒼衣くんに親しい友人が出来て、苦楽を共にし、笑いあえるような人間がこの大学生活の中で出来ればいいな、と蒼衣くんがバイトに来る度にそう思う。



 いつものメイド姿になって降りてきた蒼衣くんは、いつも通りきびきびとその日も働いてくれた。
 ただ、朝感じたようにどこか蒼衣くんのお客に向ける笑顔がいつもとは違うように感じる。
 いつもはあくまでも客と店員と言う一線を引いて振りまいていた笑顔が、どことなくいつもよりも親しみを込められた笑顔になっていた。
 その笑顔をカウンターの中から見ながら、何か楽しい事でもあったのかな、なんて楽観的に思う。もし楽しい事があったのなら、良かった、とも思った。
 ここでもまた、もしの話だが。
 この時に、このいつもとは違う笑みの正体について客が居なくなった時にでも聞けばよかった、と思う。
 後悔先に立たずとは良く言ったものだ。
 この時に聞き出して、あの男との不埒な関係を問いただしておけば、今、こんな事にはなっていなかっただろう。

 そんな後悔を抱える原因のあった日は、今から二カ月ほど前の事だった。


 そして今日もいつものように一日が始まる。
 ただ、違う事は、開店してすぐにあの男が店を訪れた事だ。
 あの花火大会の後、こうしてこの男はちょくちょくこの店に飯を食いに来る。
 そして大概、蒼衣のバイト後に蒼衣と遊ぶ約束をして去っていく。
 こいつが訪れるようになってからと言うもの、男の客が少しだけ減った。
 その客層は主に蒼衣に対して客以上の感情を抱いていた奴らばかりだったが、それでも常連が居なくなってしまうのは経営者としては痛い。
 その痛手を嫌みとしてこの男に伝えるも、いつも苦笑と共に、大変ですね、しか言わない。
 せめてその客の分までこの店に貢献するとか考えないのか、この男は。
 しかももっと腹立たしいのが、朱里までこの男を気に入っているところだ。
 蒼衣と一緒になって、暇な時間にはこの男の周りを囲んで何やら楽しそうに話しこんでいる。
 まさかとは思うが、蒼衣だけに飽き足らず俺の妻まで毒牙にかけるつもりなんだろうか。

「……お前、いつまで店に居座るつもりだ。」

 男が来店して早二時間。
 一向に帰る素振りがないのを指摘すると、男はチラリと俺の顔を見た。
 そして口を開く。

「コーヒー、もう一杯いいっすか?」
「四百円だ。」
「解ってますよ。ちゃんと帰りに払いますって。」

 空になったコーヒーカップを指し示しておかわりを申し出る男に、ぶすっとした顔でそう言うと男は年齢に似合わぬ苦い笑みを浮かべてそう料金は払う事を明言する。
 それならば仕方がない、と思い、新しいコーヒー豆を挽き、サイフォンにセットしていると、男がまた俺に声をかけてきた。

「マスターってさ、蒼衣の事どう思ってるんすか?」
「あぁん?」

 生意気な口調で解りきった事を聞いてくる若造に俺の声に剣呑な物が混じってしまう。
 人の少ない時間帯で本当に良かった。
 いつも人当たりの良い、人を安心させる事をモットーとしている俺がこんな事で心を乱してどうする。そんな事を思い、一つ咳払いをしてさっきの失言を取り消すと努めて冷静に男の質問に答えようと口を開いた。

「どうって、自分の実のむす……子供みたいに思っているが?」
「ですよね。」

 同意するなら聞くな、という思いを抱きながら、何故この男が自分にそんな事を聞いてきたのかふと疑問に思った。

「何故そんな事を聞く?」
「……んー? いや、マスターって蒼衣の事となるとめっちゃムキになるじゃないっすか。だから、どう思ってんのかなーって。単純な好奇心ですよ。」

 にやり、と言った顔で笑い、その言葉が嘘だと言う事を目の前の男はわざとなのか無意識なのか暴露していた。
 そんな男に俺は怪訝な顔を向けると、サイフォンの中にコーヒーが出来たのを確認すると新しいコーヒーカップに注ぎ、男の前へ差し出す。それに男は、ども、と短く返事を返すと、ブラックのままカップに口をつけた。
 淹れたての熱いコーヒーをどこか顰め面でゆっくり飲みながら、さっきまで見ていた雑誌の誌面へと視線を落とす。
 まるでそれで話は終わりだとでも言うような男の雰囲気に俺は、また少し首を傾げた。
 男の本音がまるで見えない。
 明らかに、俺の事を何かで疑っていたようなあの視線の意味を考える。
 そして、少しした後漸く気がついた。
 男は蒼衣の過去を全てとは言わないが、それなりに知っている。蒼衣がどんな待遇を養護院で受けていたのか、そして、そのせいでどんな体になってしまっていたのか。
 その事を思えば、男が俺の何を疑っていたのかなんて至極簡単な事だった。

「はっはーん。さては貴様、俺と蒼衣の関係を疑っていたな。」

 男の弱点を見つけたとばかりにそうからかいの混じった声で言うと、男は雑誌の誌面から顔を挙げて俺を見た。
 だが、その瞳はさっきまでのどこか人を食ったようなものではなく、妙な真剣さを湛えているもので。思わずぎょっとして男を見返す。

「……悪かったすね。疑って。」
「あ、いや、その……。」

 言い方はあれだがあまりに素直に謝られ、こちらの方が返って困惑する。
 そして男がバツが悪そうに視線を逸らした後、辺りを探るように見回しまた視線を俺へと向けた。

「……実際の所どうなんすか? あいつに、……その、」
「ないよ。」
「……っ。」
「そんな関係になった事も、なろうと思った事も、ない。そして蒼衣も俺にそれを迫った事はない。一度も、ね。」

 声を潜めて聞いてきた男のその質問の全てを言い終える前に俺は即答する。
 驚いたような顔をして俺を見上げた男に、もう一度、はっきりと、きっぱりとそう伝えた。
 途端にどこか安堵したような表情をして、男は小さく溜息を吐く。

「確かにね、あの子の生い立ちを考えたら、君がそういう疑いを持っても仕方ないと思う。それに……君達は、その、蒼衣がお礼だと言って、そうなったんだろ? だったら余計に俺も疑われちゃうよな。まぁ、俺の言葉を信じるか、信じないかは、君次第だけどね。でも、出来れば信じて欲しい。俺と蒼衣の間には、親子の情に近い感情しかないって事をね。」
「……すいません。」
「いやいや、まぁ、仕方ないよね。」

 俺の言葉に今まで見た事もない位殊勝な態度で謝罪を口にする彼を見て、思わず俺は苦笑の様な微笑みを浮かべる。
 男の、彼の言葉の隅々には蒼衣を信じたいが、どうにもならない不安と言うものが見え隠れしていて、俺は彼の意外な一面を見たような気がしていた。

「君は……、その、蒼衣を……。」

 そこまで言いかけた所で、お使いに行って貰っていた蒼衣が裏口から帰ってくる物音が聞こえた。ただいま帰りましたーなんて、明るい声も聞こえてくる。
 その声にそれ以上彼に聞く事は憚られ、そして、彼もまた俺に向けていた視線をまた雑誌の誌面へと落とした。
 それでこの話はおしまいとなってしまった。
 できれば彼にはもっと色々と話を聞きたい。
 今回少し話をして見て、俺はそう思った。
 いつか、蒼衣も朱里も抜きで、店が休みの日にでもこっそりと彼だけ飲みに誘ってみようか。
 その時に蒼衣に対する気持ちをもっとしっかりこの男に聞き出し、その上で、改めて二人の交際については考えてみよう、というそんな気持ちが浮かぶ。
 だが、少なくとも。
 今の段階では、まだ蒼衣とこの男は正式に恋人同士にはなっていない。
 まずはその辺りの事もきつく目の前の素知らぬ顔をしてコーヒーを啜っている男に問い質し、けじめのない付き合いはダメだと教えてやらなければ、とも思う。

 ともあれ。
 目の前の男に対する印象は、少しばかり和らいだ。
 尤も。
 お使いから帰ってきた蒼衣に、また当たり前のように遊ぶ約束を取り付けた後、他の客には見せないような嬉しそうな笑みを浮かべて男を見送る蒼衣の姿を見ると、やっぱり可愛い娘を盗られたような喪失感と苛立ちがある事は未だどうにもならない。
 恐らく今夜も蒼衣とあの男は、蒼衣の部屋で、俺の想像もつかない位淫らな事をするのだろう。
 それを思うと、親としてはどうしても複雑な思いになる。
 もしあの男が蒼衣を泣かすような事をすれば、俺は確実にあの男を刺しに行くだろう。
 だが、悔しいかな。
 今の所、蒼衣はあの男に会う度に、明るく、そして綺麗になっていく。
 そして、あの男も。
 店に食べに来て、ふとした瞬間にその眼が蒼衣を追っている事に気がついた。
 楽しそうに接客をしている蒼衣の後ろ姿を、形容しがたい優しい目で見つめている。
 その視線の意味に。答えに。
 そして、その先にある不毛な愛の行方に。
 俺はやっぱり蒼衣の心の心配をしてしまう。

 一方、母親である筈の朱里は相変わらず能天気だ。
 あなたがそんなに心配しなくてもあの二人は上手くいくわよ、な〜んて根拠のない自信に満ち溢れた事を俺に事あるごとに言ってくる。
 上手くいく、行かないじゃない。
 あの男と居る事で蒼衣が傷つくかもしれないんだぞ、そう言ってやっても、朱里はケラケラと笑って、何それありえないー、と俺に言う。
 ありえないのはお前だ。
 どうしてあんな馬の骨をそこまで無条件に信じ切れる。
 そう言うと、朱里はいつも悪戯っぽい顔をして、俺を見上げる。
 まるで、男って本当に鈍感よね、とでも言うように。
 男が鈍感なんじゃない。お前が無駄に恋愛事に鋭いだけだ。そう言い返したかったが、言葉になっていないそれを言い返してもきっと朱里にはただただ笑われるだけだろう。
 だからそれはぐっと飲み込む。
 そして、俺はまた盛大に溜息を吐いた。

 蒼衣の事を心配して。
 お父さんは、不純同性交友は許しません!
 そうコンコンと蒼衣に説教をしてやりたいと思いながら。
 ズキズキとするこめかみを押さえた。
 


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