「何でだよッ! どうしてだよッ!」
一護は叫んだ。髪を掻き毟り、涙ながらに訴えた。
だが、戻って来るのは無表情な視線ばかり。幼い頃から兄弟のように育ったグリムジョーすら、肩を竦めて一護に背を向ける。
「ご神託です。神がそう望まれたのです」
十刃の一人であるウルキオラが、厳かに一護の前に膝を折った。
「常夜の国第一王子、一護様。玻璃の神の名において、貴方を常世の国の王、藍染様の后の宮にお迎えいたします」
居並ぶ重臣が一斉に一護に頭を垂れる。
紗がかかったように一護の視界が暗く、落ちていった。
石英の森の奥深く、常世の国と呼ばれる小さな国があった。痩せた土地に、乾いた大地は、およそ人が住むに相応しいとは言えないものの、地下資源に恵まれたおかげで、人々は心豊かに暮らしていた。
特に常夜の国が産出する水晶は、その独特な千色の輝きから「神の石」と呼ばれ珍重されている。小指の先ほどの塊が金貨一山と交換されることすらある。
その豊かな国を他国が見逃す筈もない。
これまで数多の国が、兵を送り、その資源を我が物にせんと攻め込んできた。だが、どんな大国の、どんな大軍も、悉く敗れ去り這う這うの体で逃げ去っている。
そこには現王の藍染と、その直轄軍である「十刃」の存在が大きい。
「十刃」は一騎当千の強さを誇り、その十刃を率いる藍染は更に強かった。
鬼神の如き強さで戦場を舞い、刀を振るう彼らに敵は無かった。
やがて武力で攻めても甲斐無きことと悟った他国は、もっと穏便な方法を選ぶようになった。
藍染との縁組を望む信書を携えた使者が、常夜の国を訪れ始めたのである。
現実、藍染は王妃を娶って充分な実績を誇りながら、公式には独身を貫いている。他国の有力者との縁組は、藍染としても望むところであろうとの思惑もあっての策だったが、どんな大国のどんな美しい姫君との縁談にも、藍染は決して首を縦に振らなかった。
穏やかに「私には、王妃を娶るほどの自信も力もない」と告げ、使者を慇懃に追い返していた。
だが、それは常夜の国の重臣たちにとっても頭の痛いことであった。
王は強く、まだ若い。だが、跡継ぎがいない。王位を継ぐ者がいないのである。
一日でも早く王子をもうけ、藍染の王たる資質を引き継がせたい。それが国の繁栄のためである。重臣たちは、口々に連日持ち込まれる縁組の中から王妃を選ぶよう藍染に迫った。
山と積まれた縁談に、重臣たちの繰言。
日頃、温厚な笑みを絶やさない藍染も、さすがにわずらわしくなったようだ。
ある日、十刃の中でも特に信頼の厚いウルキオラ一人を供に連れ、藍染はふらりと城を出て行った。
一晩たち、二晩たち。藍染は戻らない。
王の不在に城内が混乱を来たし始めた頃、ふらりと藍染は戻ってきた。
「彼が私の跡継ぎだ。一護という」
ウルキオラの腕の中で、小さな赤ん坊がすやすやと寝息を立てていた。
藍染の連れてきた赤ん坊は、すくすくと育っていった。当初「どこの馬の骨とも」と眉を顰めていた重臣たちも、一護の健やかな成長ぶりに、徐々にその存在を受け入れていった。
実際、一護は素直で、思いやり深く、賢い子供だった。十刃たちが自ら手ほどきした剣技も、めきめきと腕を上げ、並みの大人では相手にすらならない。
珍しい橙色の髪に出自の怪しさが覗くものの、一護には王に相応しい資質が備わっている。王冠を頂く一護がこの国の未来を安泰へ導くのだと、誰もがそう信じていた。
しかし、一護が16歳の誕生日を迎えた日に、それは起った。
「玻璃の神が夢枕に立ったのだよ」
玉座に肘を付き、藍染はにこにこと微笑んでいた。
地下資源の恩恵に浴する常夜の国では元々大地の神への信仰が厚かったが、特に玻璃の神、水晶を司る大神への帰依は深い。その玻璃の神が王の夢枕に立ったとなれば只事ではない。
居並ぶ重臣たちは襟を正し、続く言葉を待った。
「一護を娶るように、と。玻璃の神は私にそう告げられた」
思いもよらぬ言葉に、水を打ったように場が静まり返った。いつも冷静さを失わないウルキオラですら、呆然と口を開いている。
当たり前だ。次々に舞い込む縁談に嫌気が差し、一護を後継者として迎えたのは誰だったのか。それをいきなり「娶る」とは。
「陛下」
十刃の一人であり、一護の家庭教師でもあるザエルアポロが厳かに一歩進み出た。
「一護様はこの国の第一王子。血の繋がりこそ無いとはいえ、陛下の嫡男であり、この国を継ぐ方でいらっしゃいます。その方を后にお迎えになるのは些か問題があるのでは……」
「一護が私の跡継ぎであることに変わりはない。問題なかろう」
「しかし、一護様はご嫡男。わが国では、同性との婚姻は認められておりません」
「ならば法を変えればよい」
「ですが……」
「くどいぞ、ザエルアポロ。玻璃の神が決められたのだ。神託に逆らうのか?」
瞳に剣呑な光りを宿し、藍染が眼下を睥睨した。
「誰か、一護に使いを。我が后を迎える準備を」
「なんでだよ。どうしてこんなことに……っ!」
一護はベッドに突っ伏し、何度目とも知らぬ嘆きを零した。
藍染が自分を后の宮に迎えようとしている。男である自分を。父の藍染が。
いくら玻璃の神からの託宣といえども、到底信じられるものではない。
「いやだ…… そんなの、いやだ」
堪えても、堪えても、涙が溢れてくる。
自分が藍染の実子ではないことは知っている。物心付く前から、折に触れて言い聞かされていた。
例え、口煩い重臣を黙らせるためだけに拾われた子供だったとしても、優しい父の、藍染の庇護の元、一護は幸せだった。いつか藍染の名を汚さぬ立派な王になるのだと、固く心に誓ってもいた。
それが、まさか。
「いつまでメソメソ泣いてんだよ」
グリムジョーが、舌打ち交じりに吐き捨てた。
神託を告げられた日から、混乱する一護を宥めるという名目でグリムジョーが一護の傍に付き添っている。実際、一護の取り乱し様は、まさかの事態を懸念させるに充分だった。
「うるせぇ! オマエに俺の気持ちがわかってたまるか!」
男である自分が父である藍染の后になる。神への冒涜とも取れる婚姻に何故誰も異議を唱えないのだろう。いくら神託とはいえ、あまりにも常軌を逸しているというのに。
どれだけ一護が拒んでも、誰も耳を貸してくれない。ウルキオラも、ザエルアポロも、グリムジョーさえも。一護の叫びに時折痛ましげな表情は浮かべるものの、手を差し伸べてはくれない。優しかった人たちが、一斉に一護に背を向けたかのように思えた。
「どうしたら……」
一護という後継者がいるとは言っても、藍染の元には未だ縁組を望む各国の使者が、美しい姫君の絵姿を携え引きも切らず訪れている。后が欲しいのなら、その中から選べばよいのだ。縁組と引き換えに莫大な持参金と珍しい宝物を約束するものまであるというのだから。
「珍しい宝物?」
一護はハッと顔を上げた。そうだ、これなら。
「グリムジョー、父上のところに使いを。会いたいんだ、今すぐ!」
一護からの呼び出しに、藍染は昔と変わらぬ優しげな笑みを浮かべてやってきた。変わらない微笑に、一護はぐっと喉の奥に熱いものが込み上げてくるのを感じた。
「最近、顔も見せてくれなくて心配していたんだよ。やっと私との結婚を承諾してくれたと思っていいのかな?」
告げられた言葉に一護は小さく頭を振った。もしかしたら藍染がこの事態の愚かさに気づいてくれてはいないだろうかと淡い期待を抱いていたが、その微かな望みも絶たれてしまった。
一護は藍染を呼び出した当初の目的を果たすべく口を開いた。
「マントが、欲しい」
震える舌を叱咤し、一護は言葉を紡いだ。
「マントを3枚。一枚は黄金よりも眩しい金色の、もう一枚は白銀よりも輝く銀色の。そして最後に千色の光りを放つ「神の石」のようなマントを。それを神託の証として贈ってくれるなら…… 結婚する」
常夜の国は豊かな国。だが、どれだけ豊かな国であっても、手に入れられないものはある。それは、この世に存在しないもの。
マントを作るには、糸を紡ぎ、糸を染料で染め、機を織る。だが、一護がこれまで読んだ書物には、金や銀の染料など、ましてや千色に輝く染料など存在しなかった。
存在しなければ作れない。
だからきっと藍染は自分の望みを叶えることなどできない。望みが叶えられないのならば結婚せずに済む。一護は、そう考えたのだ。
しかし、一護は所詮書物でしか世界を知らない子供だった。
世界は日々進歩し、変わっていく。
植物から染料を採り、糸を染めていたのも昔の話。今では鉱物を細い繊維とし、そこから生地を作ることもできる。庶民には手の届かない高価なものではあるが、常夜の国の財力をもってすれば不可能なことではない。
一護の願いは、あっさりと叶えられ、日を置かず3枚の美しいマントが一護の前に並べられた。
「金のマントは黄金と金剛石を、銀のマントは銀と白金を、千色のマントは「神の石」を織り込んで作ったのだよ。美しいだろう?」
うっとりと呟く藍染を、一護は呆然と見詰めた。眼の前に突きつけられた現実が信じられなかった。
「これで私と結婚してくれるね?」
父親ではない、ひとりの男の目で自分を見つめる藍染に、一護は唇を噛み、頷いた。
望みは絶たれた。
その夜、一護は城を出た。藍染から贈られたマントを手に。