「ZAFTのために!」
「青き清浄なる世界のために!」
「平和を! 戦いの無い世界を!」
ヤキン・ドゥーエを挟んで、最後の決戦が始まった。
誰もが新たな決意を胸に戦場へ赴く中、フラガは投げ遣りにも近い醒めた瞳で一人戦況を眺めていた。
一つ。また一つ。無限に広がる宇宙空間に煌く光点を、フラガは歌うように数える。
光の中で生命が消える。美しい、と思った。どんな星の輝きよりも、戦場の煌きは美しかった。
暗黒の宇宙空間に小さな光が生まれ、同時にモニターから識別信号が消える。
モニターの片隅にバスターの熱紋パターンを認め、フラガは指先でその小さな光源を撫でた。
「坊主も中々やるようになったなぁ」
圧倒的な数を誇る敵MSの識別信号の中、バスターの識別信号は少しずつ、だが確実にジェネスシに向かって進んでいる。若さ故の勢いとプライドだけで挑んで来た少年兵が、今ではいっぱしのパイロットのように熟練した技術で戦場を駆け抜けていた。
敵同士として出会ったのに、運命の女神の悪戯で味方として隣にいるようになった。ほんの短期間で、まるで別人のように変化し、成長する様を見る度に、胸の奥で暖かな感情が湧き上がった。傍にいるだけで優しい気持ちになれた。大切にしたい、と思った。
同時に抑さえようも無い焦燥感に追い立てられた。
優しくしたいと思えば思うほど、言葉も態度も辛辣さを増していた。
愛し方を間違えてしまったのかもしれない。
一旦掛け違った感情は、どこまで行っても補正されることはなく、いつの間にか修復不可能な程にすれ違ってしまった。
ノイマンの前で笑うディアッカを見て、大嫌いだった父と自分がそっくりだと気が付いて。その皮肉にフラガは臍を噛んだ。
父の前で笑っている母を見た記憶は殆ど無い。思い出すのは悲しげに顔を伏せ、涙を堪える凍りついたような表情ばかりで。だから、自分だけは誰かを悲しませるようなことはしない、と幾度も誓った筈なのに。結局は父と同じ。いや、父は母へ愛情など欠片も抱いていなかった分、自分よりも未だマシだったかもしれない。自分はディアッカへの愛情を自覚しながら、彼を慈しむことが出来なかった。
気が付いた時には、感情を削ぎ落とし、諦観したような表情しか見せてくれなくなっていた。
それでも正直な思いの全てを伝えたら、最初からやり直すことも出来ただろう。ぎこちない笑みを浮かべながらも、きっとおずおずと手を差し伸べてくれたのではないか、と思う。
だが、自分はそれすら出来なかった。
愛していた。今も愛している。ディアッカの胸中に今は別の人間が住んでいることがわかっていても、その感情は消えることなど無かった。
「生きてくれ」
フラガはもう一度バスターの識別信号を指先で撫でると、通信回線を開きAAを呼び出した。
「こちらストライク。アークエンジェル、聞えているか?」
「フラガさん、どうしたんですか?」
雑音混じりに少女の声が聞える。思い返してみれば、この少女も数ヶ月前までは戦争を知らず平和な毎日を過ごしていたのに、いつの間にかベテランのCICオペレーターになっている。順応の早さは若さと比例するのかもしれない。
「クルーゼにやられた。被弾箇所が多い。補給と修理を頼む」
「わかりました。ハッチ開けます。すぐに帰投してください」
通信が切れたと同時に、MSデッキが開いた。フラガはストライクの機首をAAに向け、バーニアを吹かした。
その時。視界の片隅を光が掠めた。
モニターを切り替え、光源を探す。
「ドミニオン……ッ!」
ローエングリンの砲口に、陽電子の煌きが集まっている。
「まさかAAを?!」
距離と方向からして、間違いなく標的はAAだ。
フラガは咄嗟にストライクのバーニアを逆噴射させ、その射程範囲から離脱しようとした。意識的にやったことではない。危機回避本能故の反射的な行動だった。
だが、多面モニターの一つにAAのデッキを見た瞬間、フラガはデッキの真正面にストライクで立ちはだかっていた。
「ムウーッ!!」
マリューの絶叫が通信回線を通じてコクピットに響き渡った。
多分、泣いているのだろう。だが、しょうがない。考えてやったことではないのだから。
AAが消えてしまったとしても、バスターに帰る場所が無くなる訳ではない。デュエルがバスターをZAFTに連れて行くだろう。
だが、AAごとノイマンが消えてしまったら、ディアッカには帰る場所が無くなってしまう。
「やっぱり、俺って……不可能を可能に……」
計器類が火花を上げる。前面のモニターが小さく爆発を起こし、裂けたハッチの向こうに真っ暗な宇宙とローエングリンの軌跡が見えた。
白光がコクピットの中に溢れ、フラガの全身を包む。
これが最後か。
「ディアッカ……」
おまえは生きて。生き延びて、もう一度笑って。
白光に包まれ、フラガはディアッカを想い、初めて心からの笑みを浮かべた。
「本当に行くのか?」
オーブの空港で、ノイマンは今日何度目かの問いを繰り返した。
ディアッカを気遣い、不安気に眉を寄せている。
「うん。もう決めたことだから」
ノイマンの手からボストンバッグを取り、ディアッカは首を傾げノイマンに笑顔を向けた。
「イザークも帰って来いって行ってくれてるし」
「だけどZAFTに戻ったら……」
言い募るノイマンの口を唇で塞ぎ、ディアッカは続く言葉を封じた。
わかっている。ZAFTに戻れば軍事裁判が自分を待っている。理由はどうあれ、自分はZAFTに銃口を向けたのだ。
大勢の人間が死んだ。ラスティ、ミゲル、ニコル、クルーゼ、そしてフラガ。
生き延びた者と命を落とした者。戦場でその違いはほんの小さな違いだったけれど、戦争が終わってしまった今、その違いは大きな差となって自分の前に在る。
彼らの死に報いるためには、PLANTで軍事裁判を受けることがその第一歩のような気がしたのだ。己の罪を清算するためではない。死んでしまった彼らの代理人として、彼らの正義と誠意を主張するためだ。
誰もが自分の信じる正義のために戦った。条約上は休戦とは言え、勝者と敗者の区別は間違いなくそこにあり、死者と敗者の名誉は誰かが守らなければ貶められるばかりになってしまう。
AAのクルーは今でも「脱走兵」として、地球連合から追われる立場にある。戦争を終結させ、地球をジェネシスの脅威から守ったのは間違いなく三隻同盟であるのに、法律的には彼らは敵前逃亡を図った重罪人だ。
生きていれば、いつか自らの手でその汚名を晴らせる日が来るだろう。だが、死者は。
死んでしまった、ただそれだけのせいで、その機会すらないのだ。
「俺は俺に出来ることをしたいんだ」
フラガがどういう意図で「死ぬな」と自分に告げたのか、今でもその真意はわからない。
それでもフラガの死はディアッカの胸中に静かに根を張っていた。
生きていた頃よりも、今はもっとフラガを近くに感じる。愛されていたのかもしれない。やはり憎まれていたのかもしれない。しかし、フラガはいつも一番深い場所にいた。
「俺は間違ったことをした訳じゃない。結果的にZAFTに銃は向けたけど、PLANTの理念に造反した覚えはないし。裁判でも理不尽な判決が下ることはないよ、きっと」
「アスランだってオーブに残るんだ。アスランだけじゃない。俺だって、艦長だって、AAのクルーは殆どオーブに残るんだ。だったらディアッカだって」
「でも、決めたから」
ディアッカはノイマンの肩に額を乗せ、ひっそりと呟いた。
「絶対にまた来るから。また会いに来るから」
色々なことがあった。本当にいろんなことが。
「忘れないで」
きっと自分は忘れない。この数ヶ月間にあった全てのことを。出会った全ての人を。
決して忘れることなどない。
ディアッカはノイマンの頬に唇を落とすと、ついと身体を離した。
「じゃあね」
大好きだった人たちへ。大好きだったよ。
だから絶対に忘れない。
THE END