コックピットのハッチを締め、ディアッカは馴れた手順で計器類のチェックに入る。
アラーム表示はどこにも出ない。
「いつもながら見事な整備っぷりで」
ディアッカは感嘆に細く口笛を吹いた。
どれだけ破損していようとも、次の出撃までに完璧に修理を上げてしまうマードック達整備班の手腕に今更ながら感服する。毎度生き残っていられるのは、自分の能力や運、機体の性能よりも整備スタッフの尽力のおかげだ、とディアッカは改めて思った。
「今度も絶対に生きて帰るから。頼むぜ、バスター」
ヘルメットのバイザーを下ろし、ディアッカはシートに背を預けた。眼を閉じ、静かにブリッジからの出撃命令を待った。
恐怖が入り混じった、いつもの興奮が少しずつディアッカを包んでいく。
新兵だったころは、恐怖を感じる自分を不甲斐無い、と思ったものだが、今はそれも当たり前のことだと受け止められるようになった。
自分は死ぬためにMSに乗っているわけではない。誰かを守るためだけでもない。守りたい誰かとの幸せな時間を得るために戦場に出て、MSに乗っている。
ならば「死にたくない」恐怖があったとしても、それはとても自然なことだ、と今は思っている。
絶対に死なない。
生きて帰る。
ディアッカは何度も繰り返し呟いた。
回想に浸るディアッカを揺り起こすように、唐突に通信が入ったことを知らせる電子音が鳴った。
「はいはい。急かさなくてもちゃんと出るってば」
通信回線を開き、モニターの電源を入れる。
ミリアリアが出てくるものと、笑顔を浮かべてモニターに顔を向け、ディアッカは凍り付いた。
「な、んで……」
モニターの中にはフラガが映っていた。
もしかしたら作戦上の指示があるのかもしれない。ならばちゃんと普通に会話をしなければならないのに、喉の奥に舌が張り付き、唇が戦慄いて、言葉が出てこない。ディアッカは何度も唾を嚥下し、唇を舐めた。
「ディアッカ」
低い声で名前を呼ばれ、ディアッカはびくりと肩を震わせた。あの声が自分の名前を呼ぶだけで、恐怖が押し寄せてくる。お互いMSのコクピットの中にいて、手を触れることすらできないことはわかっていても、身体の芯にまで叩き込まれた畏怖の念が、混じりけの無い恐怖となってディアッカを支配していた。
「ヘルメットを取って、こっちを向け」
甘さの欠片も無い、ディアッカを従わせるためだけの言葉が回線を通して聞えてくる。
ディアッカは拳を握り締めた。ヘルメットを脱ぎ、恐怖を抑えて顔を上げた。
モニターの中央にフラガがいる。冴え冴えとした双眸が、射抜くように自分を見つめている。
「なに、か……用、ですか?」
掠れた声でフラガに尋ねた。黙っていると、恐怖に押し流されそうだ。
二人の視線が交差し、ふっとフラガの眼が眇められた。ゆっくりと口が開かれ、言葉を形作っていく。
「おまえは……俺と会わなければ良かったと思っているか?」
「……アンタ、こんな時に何言って」
「答えろ。どうなんだ?」
反論を許さない厳しさで、フラガが同じ問いを繰り返す。
咄嗟に「そうだ」と答えようとして、ディアッカは口を噤んだ。モニターのフラガから視線を外し、唇を噛む。
「わからない……」
AAに投降して、最初にフラガを見た時、幼い頃読んだ童話の登場人物のようだ、とディアッカは思った。
絵に描いたような金髪碧眼に、男らしい容貌。鍛え上げられた肉体。戦場に置いては冷静で緻密でありながら、一歩外に出れば陽気で屈託の無い性格で。
フラガはディアッカが「こういう人間になりたい」と願った理想の人物像そのままでもあった。
くしゃくしゃと頭を撫でられ、「坊主」と呼ばれる度に、暖かな感情で心が満たされた。
大好き、だった。
しかし。
「あんたは……俺を道具にした」
組み敷かれ、足を開かされ、夜毎フラガの欲望を受け入れさせられた。
ただ欲望を満たすためだけの道具にさせられた。
愛を交わすための行為を、愛情も無いのに強いられた。
「俺は、あんたに会って……辛かった」
搾り出すように告げ、ディアッカは両手で顔を覆った。
半無重力のコクピットの中を涙の粒が舞う。
「なんで、俺にあんなことしたんだよっ!!」
両手で髪を掻き毟り、ディアッカは絶叫した。
嫌いではなかった。大好きだったのだ。心を踏みにじられたことが辛かったのだ。
殺してやりたい程に憎んだこともあった。それでも、嫌いだとは思えなかった。
ディアッカは涙で滲む目で、モニターを睨み付けた。無表情なフラガがじっとディアッカを見詰めている。
暫し睨み合い、やがてフラガが口を開いた。
「おまえは、死ぬな」
言い終わると同時にモニターが消えた。通信回線も遮断され、砂嵐のような音だけが聞えてくる。
「どうして、こんな時まで……っ!」
ディアッカは胸を押さえ、声も無く泣き続けた。