ノイマンはディアッカを自室へ伴い、ソファに座るよう促すと、部屋の片隅でお茶の用意を始めた。
その風貌からアジア系だと思われがちだが、名前のとおりノイマンの出自はアングロサクソンの家庭で、そのせいか落ち着きたい時、くつろぎたい時、いつも傍らには熱い紅茶があった。戦場でティータイムでもないだろう、とは自分でも思うのだが、幼い頃からの習慣を変えることは中々難しく、自室でのティータイムはノイマンの密かな楽しみとなっていた。
「熱いから気をつけて」
ノイマンはディアッカに熱い紅茶の入ったマグカップを手渡した。
ディアッカはノイマンを見上げ、カップを受け取ると、琥珀色の液体に視線を落した。立ち上る香気を楽しむように目を閉じ、ゆっくりとカップを口元に運んだ。
「おいしい…」
「本物の紅茶だからね。食堂で出てくる紅茶色したニセモノとは違うよ」
にっこりと笑うとノイマンはディアッカの隣に腰を降ろし、自分のカップに口をつけた。口の中に広がる芳香が、二人の間に穏やかな時間を刻んでいく。
「ノイマンさん、あの、俺…ごめんなさい……」
「いいよ、気にするな。でも、よければ理由を教えてくれないか?俺はディアッカを恐がらせるようなことをしたのかな?」
「そんなことない!ノイマンさんは何も悪くないんだ」
ぎゅう、とカップを両手で握り締め、ディアッカが俯く。
暫しの沈黙の後、両手の上にぽつぽつと涙が落ちる。
「俺…ヘンなんだ……」
「ヘン、って何が?」
「男なのに、男の人が近くにいると…恐いんだ…恐くて、どうしようもなくて…」
「それは…フラガ少佐のせい?」
フラガの名前に反応するかのようにディアッカの肩が震える。ディアッカの心の傷の深さを見せ付けられたようで、フラガへの怒りが込み上げる。
「ディアッカ…確かに同性が恋愛対象となる人は他にもいると思う。でも、皆がそうだ、って訳じゃないし、もし、仮にディアッカを恋愛対象として捉えているクルーがいたとしても、それ以上にディアッカを仲間として、友人として大切にしている。きみの気持を踏みにじるようなことは無いと思うよ」
月並なことしか言えない自分のふがいなさを歯痒いと思う。
しかし、フラガとの関係が、ディアッカの中で同性愛者への恐怖になっているのであれば、正論を語りかけるしかなくて。ノイマンは少しでもディアッカの気持に届くよう、言葉を選んだ。
「同性愛者は特別な人たちじゃない。恋愛対象が異性か、同性か、の違いだけで、同じなんだ。ディアッカがイヤだって言えば、無理強いするようなことは無いよ」
「そんなんじゃないんだ。違うんだ!」
叫ぶようにノイマンの言葉をディアッカが遮る。
言葉を続けようと何度も口を開き、でもまた言葉を飲み込んで。上手く言葉にできないじれったさに、唇を噛み締める。
やがてディアッカは大きく息を吸い込むと、苦しげに顔を歪ませて一息に吐き出した。
「今の自分が自意識過剰すぎる、ってことぐらいわかってる。AAの皆が同性愛者だなんてことある訳ないし、もしそういう人がいたとしても、それで必ず俺を、なんて思う訳ないし。わかってるんだ。ヘンになったのは、俺、なんだ。そういうの全部わかってるのに…」
一言毎に押し殺してきた感情が堰を切るように、言葉が溢れてくる。
流される感情に嗚咽が混じりそうになるのを堪え、ディアッカは言葉を続けた。
「今まで何ともなかったことが、普通に思えなくなって…誰かに肩を叩かれても、今までだったら何とも思わなかったのに、違うように思うようになって…このまま抱き締められるんじゃないか、とか…普通じゃないでしょ、そんな風に思うなんて。俺がヘンになったから、だからそんな風に思うようになったんだ。
そう思ったら、もしイザークとか昔の友達に会った時、どんな態度を取っていいのかもわかんなくなって。
もし、アカデミーにいた時みたいにイザークが肩を組んできても、友達なのに、友達相手に何かされるんじゃないかって思ってしまったら、俺、どうしたら………」
「ディアッカ。もういい、それ以上言わなくていい」
無意識にノイマンはディアッカを引き寄せ、掻き抱いた。胸元に揺れる金髪に頬擦りするように、強く抱き締める。
「もう、いいんだ。ごめん、言いたくなかったよね」
腕の中の小さな身体は、抱き寄せる力に怯えるように小刻みに震えている。
抱き締める程にディアッカを怯えさせることはわかっていたけれど、ノイマンはディアッカを更に強く掻き抱いた。自分の腕の中がディアッカにとって特別な場所であってほしかった。
「ノイマンさん…」
腕の中で僅かに身じろぎし、ディアッカが顔を上げた。濡れた睫に縁取られた瞳でノイマンを見つめる。
赤く泣き腫らした目尻に溜まった涙が、頬に一筋流れていく。
「ディアッカ、そのまま目を開けていて。今から何があっても、目を閉じないで」
ノイマンはディアッカの顎に指を掛け、上を向かせると、ゆっくりと唇を重ねた。
反射的に逃げようととするのを引き戻し、キスを深くしていく。抗う気配が無いのを確認し、唇を舌でなぞり、うっすらと開いた唇の合間から、柔らかな舌を吸い、絡めていった。
「ん……ふ…ぅ……」
腕の中のディアッカから力が抜け、それと同時に甘やかな吐息が漏れはじめた。
ノイマンがうっすらと目を開けると、ディアッカは与えられるキスに酔い痴れたように、瞳を潤ませている。こみ上げてくる愛しさに、ノイマンは何度もキスを繰り返した。
ディアッカがぐったりと身体を預け、自らキスに応え出したのを見計らい、ノイマンは唇を離した。
「ディアッカ、俺とキスするのはイヤだった?」
ディアッカは茫洋とした視線でノイマンを見上げると、ゆっくりと首を振った。手はしっかりとノイマンの胸元に縋り、未だキスの余韻に漂っている。
「これはとても俺に都合の良い言い分なんだけど……ディアッカ、きみは混乱しているだけなんだよ、多分。今まで君にとって恋愛対象は女性だけだったんだろう?!それが男性も恋愛対象になっていたのに、それに未だ折り合いがつかなくて、どうやって対処していいかわからなくなっているだけだと思う」
「混乱?」
「男相手なんて冗談じゃない、って思ったら、俺にキスされた時に、相手が俺だなんて事は関係無しで、男にキスされた嫌悪感で逃げ出したんじゃないのかな」
「ん…」
「ゆっくり折り合いをつければいい。そうしたら、きっと昔のように友達とじゃれあったりできるようになるよ」
こくり、と肯くと、ディアッカはノイマンの胸にとん、と額を寄せた。
「ノイマンさん。俺とキスしたのは、それを教えたかったからだけ?」
「どうしてそんなこと聞くの?」
「俺…勘違いしそうだから……ノイマンさん、優しいから。もしかしたら俺のこと好きなんじゃないかって…」
何の飾り気も無い、まっすぐな言葉。その素直さに魅了されているのだけれど、あまりに無防備すぎて、思わず苦笑が漏れる。
「素直すぎるのも残酷なもんだね」
どういう意味か、とディアッカが見上げてくる。
その表情はいつもの大人びたものではなく、道に迷った子供のような不安に陰り、それが造形美の垂を集めたような容貌と相まって、ノイマンの庇護欲を掻き立てる。
こんな表情を見せるのは、自分の前だけにしてほしい、と願わずにはいられない。
「それを聞いてどうするつもり?」
「どうって…よくわかんないけど、でも……」
ディアッカが迷うように目を伏せる。ノイマンはディアッカの頬を両手で包み、顔を上げさせえると、まっすぐに視線を捉えた。
「聞きたいだけなら、この話はここでおしまい。俺は臆病な大人だから、気持を伝えるだけで満足はできないから。もし、これ以上この話を続けるなら…ディアッカも気持を決めて」
ノイマンの真摯な表情に戸惑うかのようにディアッカが視線を空に彷徨わせる。
暫し逡巡した後、ディアッカは未だ迷いを残した眼差しでノイマンを見つめた。
「聞きたい」
不安と躊躇いに翳る表情に、ノイマンは何故自分がディアッカに魅かれて止まないのか、改めて気がついた。
迷いながら前進しようとする魂。その不安定さが自分の中でディアッカを特別な存在にしている。
ノイマンはディアッカの頬に触れるだけのキスを落すと、そっと抱き寄せ、柔らかな金髪をゆっくりと撫でた。
「俺はディアッカを自分にとって特別な人だと思っているよ。いつも笑顔でいてほしいと思う。守りたいと思う。支えになりたいと思う。……愛しているよ」
背中に回されたディアッカの手が、ぎゅうとしがみついてくる。その小さな拘束を、暖かい、と思った。
そっと身体を離すと、ディアッカが寂しげに表情を曇らせる。あやすように頬へ小さくキスを落すと、ノイマンはディアッカの手を取った。
「おいで」
広くは無い部屋の奥。ノイマンはベッドへとディアッカをいざなった。
「あ………」
一歩進む毎にディアッカの足ががくがくと震え、助けを求めるように、ノイマンへ縋るような視線を向けている。
その視線を、僅かな笑みで受け止め、ノイマンはベッドの端に腰を降ろした。ディアッカを目の前に立たせ、両手をそっと握る。それはディアッカが操るバスターとは不釣合いなほど優雅な手で。
ノイマンは笑みを浮べ、しかし真摯な眼差しで、ディアッカを見据えた。
「ディアッカ。これが最後のチャンスだよ。俺はきみを愛してる。愛してるから、抱きたい、とも思う。もし、それが嫌だったら、この手を振り切って、すぐにここから出て行ってほしい。今この手を離されても、ディアッカが許してくれるなら、以前のまま、変わらない態度でいるように努力するから」
ノイマンの視線に射竦められたかのように、ディアッカが表情を強張らせる。瞳は大きく見開かれ、内心の動揺を写していた。
ノイマンは先を促すこともなく、ディアッカの答えを待った。
おそらく、表面上だけでもノイマンに流されるような体裁を取る方が、ディアッカには楽なのだと思う。
だが、それではフラガと同じことになってしまう。ディアッカには自分の意思で、この手を取って欲しかった。
重苦しい沈黙に耐えかねたように、ディアッカが顔を伏せた。両手が徐々に震えだし、ぽたぽたと床に涙が落ちていく。
震える手がノイマンの手の中からそっと引き抜かれ、両掌に僅かな体温だけが残された。
拒まれた寂しさに自嘲しつつ、ノイマンはディアッカが自らを責めることが無いよう、笑顔を取り繕った。
「ディアッカの気持を知ることができただけでも、俺は嬉しかったよ。ありがとう」
ノイマンの言葉に弾かれたように、ディアッカが大きく頭を振り、顔を上げた。
零れるようにアメジストの瞳から涙が溢れ、頬を伝い、唇までをも濡らしている。何度もしゃくりあげ、ディアッカは自分の胸元へぎこちなく手を伸ばした。
「ディアッカ?」
震える指先で、ディアッカが服のボタンを一個一個外していく。外す度に嗚咽が大きくなり、指先が強張っていく。
何度も指先を滑らせ、最後の一個を外し、ディアッカは顔を上げたまま子供のように泣きじゃくりながら、服を床に落した。
「ディアッカ…!」
ノイマンはディアッカの手を取り、引き寄せると、渾身の力で抱き締めた。
泣きたくなるほどディアッカが愛しくて。
「ノイマン、さん……俺…どうしたら、いい?わかんないんだ……どうしたら、いいの?」
「もういい。ごめん、意地悪だったね。お願いだから、もう泣かないで」
ノイマンはディアッカの顔を上げさせると、そっと唇で瞼に触れた。
「ディアッカ、愛してる。誰よりも愛してるよ」