Top >> Gallery(to menu)

堕天 (後編) illustrated by みゃおさん


急ぐでもなく、迷うことも無く、フラガは悠然とディアッカを追った。
広くはない戦艦の中でも、本気で隠れようと思えば隠れる場所などいくらでもある。 だが、あの少年が隠れて泣く場所は、少年の愛機であるバスターの中しかない。
少年が今頃コクピットの中で膝を抱え、声を抑えて泣いているのかと思うと、それだけでぞくぞくとした快感が背筋を走る。

追う者と追われるモノ。
食う者と食われるモノ。

自分が前者であれば、少年は間違いなく後者で。
少年の存在が、気が付かせてくれた。
追う者は追われるモノが存在するからこそ、追う者となり、食う者は食われるモノがいるからこそ、食う者となりうることを。
逃げ場をなくし、追い詰められ、血の一滴まで食い尽くされるしかないことを悟った時、少年はどういう表情で自分を見るのだろうか。想像するだけで心が浮きってくる。
フラガはすれ違うメカニックに小さく敬礼を返しつつキャットウォークを進み、バスターの前に立った。

バスターの半分だけ閉じられコクピットの内側から、かすかに嗚咽が聞こえる。哀れな響きに笑みが浮かんでくる。
フラガはコクピットを開け放ち、狭いコックピットに身体を潜り込ませた。
シートの上には身体を丸め、嗚咽に肩を震わせる少年がいる。
「ディアッカ」
間近から聞こえるフラガの声に、ディアッカがびくりと身体を強張らせた。その後に続く言葉を待つかのように、身動きもせず全身に緊張を漲らせている。
どれだけ待ってもフラガから次の言葉が無いことに焦れたのか、ディアッカが膝に頭を埋めたまま、子供がいやいやをするように頭を振る。頑是無い仕草が愛しい。
「あ、そ。俺が居たらイヤなんだ。じゃあ、行くわ」
フラガが踵を返すと、弾かれたようにディアッカが顔を上げる。
「待ってよ……!…行っちゃ、やだ…」
縋りつく眼差し。どれだけ泣いたのか、瞼は赤く腫れ、睫は濡れて瞳に濃い陰を落している。それらが全て匂い立つような妖艶さとなって、ディアッカを包んでいた。
「いっちゃ、やだ……」
堰を切ったかのように、ぽろぽろと涙が零れてくる。それをフラガは指ですくい、ディアッカの頬に擦り付けた。
「おまえ、うざいよ」
優しげな声音を裏切る冷たい言葉に、ディアッカの表情が強張る。
「なんで泣いてんの?泣いたら俺に優しくしてもらえるとでも思ってんの?そういうのって、めんどくさいんだけど」
「ちがっ!」
「泣けばいい、なんて最近流行らないよ。泣いて可愛いのは最初の一回だけだってことくらい、お前も男ならわかるだろう?!」
フラガの言葉にディアッカが何度も頭を振る。その必死な面持ちに、笑みが浮かんでくるのを押さえられない。

傷付けたい。
もっと。もっと。

「あぁ、そういやお前は男だけどオトコじゃなかったよなぁ」
「違うっ!!」
フラガに向かって伸ばされたディアッカの手を、フラガは身体ごと避けた。
伸ばされた両手が空を切り、ディアッカがシートからずるずるとコクピットの床に崩れ落ちた。床をかきむしり、ディアッカが何度も「違う」と繰り返す。いつの間にか嗚咽は慟哭に変わっていた。

かわいそうだ、と思う。
哀れだ、とも思う。
だが、それ以上に愛しいと思う。

フラガは泣き崩れるディアッカの前に屈み込み、金色の髪を指で梳いた。
「じゃあ、何で泣くの?俺にどうしてほしい?」
涙を吸った金糸は、色と煌きを増しているようで。フラガは指先でその髪を一房掬い取ると、そっと唇を落した。
「言わないの?言わないなら、俺は行くよ?」
「……どう、して?ねぇ…どうし、て?」
「何が?」
「どうして、そんなに冷たく、するの?どうし、て…酷いこと、言う、の?」
自分の言葉に煽られたのか、ディアッカの口から次々と押し殺していた感情が溢れてくる。
「俺が、嫌いなの?……それなら、どうして、俺のこと…抱いたの?」
「そんなこと聞いて、どうするんだ?」
フラガはディアッカの頤に手をかけ、視線を伏せたままフラガに言葉をぶつけるディアッカの顔を上げさせた。
濡れた両瞳から流れる涙でディアッカの両頬は汚れ、唇までも濡らしている。

愛しい。
唯一の存在。

「俺が、嫌い?嫌いなのに……抱く、の?」
「暇つぶし、とでも言ってほしいのか?」
ディアッカの顔からすっと一切の表情が消える。慟哭も嗚咽も止み、唇が微かに震えるのみで。
打算も計算も無い素直な反応に、フラガは密かにほくそ笑んだ。
「ディアッカ……おまえ、めんどくさいんだよ。抱かれてしまえば悦がってしがみ付いてくるクセに、いまだに始めはイヤがってばっかりだろ。抵抗されるのって、結構めんどくさいんだよね。
 自分から俺のために脚を開く相手が他にいるのに、めんどくさいのをガマンしておまえを抱く必要もないし」
「そ……ん、な…ひど、い、よ…」
「俺に抱かれるのは、イヤなんだろ?」
「………いや、じゃない…」
「何?」
聞こえないフリをして、聞き返す。消えるような小声では、意味がない。
「いやじゃない。あんたに抱かれるのは、いやじゃない…」
「何故?」
「…好き、なんだ……だから…だから、冷たくしない、で」
震える唇がフラガの望む言葉を紡ぐ。それはフラガの情念と共にディアッカを永遠に縛りつけるだろう。
フラガは支配者の笑みを満面に湛え、ディアッカに両手を拡げた。
「おいで」
くしゃり、と顔を歪めて、ディアッカが身体ごとフラガの腕の中に飛び込んできた。両手でしっかりとフラガの軍服を掴み、固い布地に幾重にも皺を寄せる。
「好き、なんだ。あんたが、好きなんだ」
食い込む指先の力が、縋りつくディアッカの心細さを物語っているようで。

「愛してやるよ、ディアッカ。これから、ずっと、永遠にな」



堕天の誓約は、成立した。




END