Exception 2



「…よぉ」
「恋次! 恋次じゃねえか!!」

懐かしささえ感じる霊圧を手繰るようにして、開け放たれたままの窓枠に辿り着いてみれば、部屋の奥から思いがけず弾んだ返事が返って来た。
眉間の皺こそ取れないものの、一護はちゃんと笑っている。

「んだよ! 来るなら来るって言えよ」

恋次を見上げたまま窓近くまで寄って来た一護のオレンジ色の髪は、真夏の日差しを受けて黄金色に輝いた。
まるで太陽のようだ。
恋次は眼を細めた。

「…あ、いや、こっちで少し用があって、な」
「んだよ、ついでかよ!」

思わず口にしてしまった言い訳に、一護が予想外の不満を示したから、
「…悪りィ」
と、これまた、おざなりの謝罪の言葉をつい口にしてしまった。
そんな恋次を目にして一護は一瞬、眉間の皺を深くしたが、
「…ま、いいや。入れよ!」
と勢いよく背を向けた。
現世の白い衣服に覆われたその身体が、恋次の目にはひどく華奢に映った。
鼓動が大きくひとつ跳ねる。

「ん? どうした、恋次? 入れよ」
「…あ? ああ」
「んだよ、ヘンなヤツだな」
「っせえよ。…へえ、ここがテメエの住処か」
「そういや初めてだったか? …て、あれ? オマエ、義骸なのか?」
「まあな。よく出来てんだろ。つか最初っから気付けよ」
「…ってテメエ、他の奴らにも見えるじゃねえか! じゃあ玄関から来いよ!」
「ああ? 別にいいじゃねえか。テメエに会いに霊圧探って来たからこうなったんだろ?」
「う…、ま、理屈じゃそうだけど…、けど、そんな服の赤い髪が窓でうんこ座りって唯の不審者だろ!」
「んだと?!」

恋次は窓枠を勢いよく蹴って、部屋の真ん中に着地した。
ドンと大きな音が響く。

「あ、クソ! テメエ、靴ぐらい脱げっ」
「へーへー。いろいろとうるさいことで」
「当たり前のことだ、当たり前の! つかその服、もしかして自分で選んだのか?」
「ったりめえだろ。尸魂界だって現世の服ぐらい準備済みだぜ」
「…へぇ…」

少し首を傾げた一護の口元の微妙さ加減が気に掛かったが、それよりも興味の方が先に立つ。
なにしろ義骸に入って此処を訪れるのは初めてなのだ。
手足を動かしづらく、気が逸れる感はあるものの、純粋な魂魄である死神のときより、何もかもをずっと近くに感じる気がする。
恋次は、周囲を見渡した。
夏の太陽に照らされてくっきりと明暗を分ける光と影も、窓から流れ込んでくる風の匂いも、汗が体表を流れる感覚も、そして、呆然と周囲を見回す恋次を見て、笑い混じりに吐き出される一護の息のひそやかさも、何もかもが鮮明すぎて、くらりと眩暈がした。

─── これが現世か。

恋次は眼を細めた。
遠く隔絶しているはずの現世も、こうやって身を浸してみれば尸魂界と同等の現実感がある。
その上、此処には息づく生命が溢れている。
死後にまだその存在が続くことなど知らず、ただ今日という日を駆け抜ける生命たちが。

恋次は固く眼を閉じた。
省みて初めて、死神という存在の立ち居地を実感したのだ。
人々の目に映ることなく、その存在を知られることもなく、力で彼らの魂を統べるその不条理さを。
と同時に、輪廻の輪から外され、守護者として隔絶した道を往かされるその無常さを。


─── …こういうことなのか。

恋次は眼を閉じたまま、大きく息を吸った。
だから、人に関わりすぎてはいけないのだ。
知れば立ち止まってしまう。
立ち止まれば俯いてしまう。

─── ルキア…。

あの時、あの雨の夜。
粋がった自分は、何を知ろうともせず、ただ責めるだけだった。
現世に、そして一護に関わりすぎてしまったせいで既に苦しんでいたであろうルキアを、理解しようとさえしなかった。
しかも敵いもしなかったくせに、虎の威を借るばかりか、侮蔑の言葉を一護に吐き捨てて此の世を後にした。

─── 俺は…。

時が過ぎて初めて理解できることもある。
恋次は今、自分自身を嫌悪せずにはいられなかった。
過ぎたことだとしても、あの時の自分が消えたわけではない。
同じ魂が脈々と己の底に息づいている。
その事実に吐き気さえ覚える。

─── クソ…。

身動きが取れない。
どうしようもない。
だが、立ち向かうしかないのだ。
前に進むしかない。
それをこの少年から学んだのではないのか。

恋次は歯軋りをしながら、それでもゆっくりと眼を開けた。
すると視界いっぱいにオレンジ色が広がった。
それは一護の髪だった。

「…う、うおッ?!」
「よう、恋次」

ごく近距離で見上げてくるオレンジ色の眼に、恋次は思わず後ずさりした。

「ち、近けェッ!!!」
「立ったまま寝てんのかテメエ。案外、器用だな」

いつもより深い皺を眉間に刻んでみせている一護は、それでも口元が笑いに歪んでる。

「ち…、違げえよ!!」
「疲れてんなら最初っからそう言えよ」

一護が、恋次の肩を軽く突くと、
バランスを崩した恋次は、一護のベッドの上に勢いよく腰を下ろす形になった。

「うおっ?!」

スプリングが軽く弾んで恋次の身体を弾いたので、さすがの一護ももう堪えきれず、ぷっと吹き出した。
恋次はバツが悪すぎて、怒るに怒れず、
「ったく現世のモンは分からねえ!」
と怒鳴り返した。
一護は意に介しない。

「ま、そうだろーな。現世、空気が合わねえっつってたもんな」
「…関係ねえだろ。つか、よくまあそんな昔のことを…」
「昔って言うほど昔でもねーだろ?」
「まぁな」
「俺、こっち戻ってきて分かったけど、全然、昔じゃねえ。だって、なーんも変わってねえんだぜ?」
「一護…」
「すっげえ平和。ま、いいことだけどな!」

一護はくるりと背を向け、両手を組んで大きく気持ちよさそうに伸びをし、椅子に腰掛けた。
その後姿が一瞬、ひどく孤独に見えたのは何故だろうと、恋次はベッドに腰掛けたまま、一護を見つめた。

時が止まったような気がした。
ジジジと喧しい蝉の声が再び、風に乗って流れ込み、部屋を満たしていた。
一護は、椅子の背もたれを抱え、窓の外を見ている。
その横顔は、尸魂界で何度も夢に見たそれに酷似している。

─── 一護…?

「…なあ、恋次」

一護は、窓の外を見遣ったまま、恋次の名を呼んだ。

「…ん?」
「アッチの方はどうなってる?」
「尸魂界か? ああ、まあな。バタバタしてるが、何とかなってはいる」

嘘だ。
表面上こそ静かなものの、未曾有の危機に、誰もがピリピリと神経を逆立てている。
そんなことは一護も分かっているはず。
何しろ、あの藍染と直接、剣を交わしたのだから。
恋次は、一護の返事を待たず、問い返した。

「つかテメエの方はどうなんだ」
「あ…? 俺ら?」
「俺ら、じゃねえ。テメエだよ、一護。テメエのことだ」

恋次は一護を見据えた。
鈍い方だと自覚はあるが、一護の内面で起きている変化には気付いていた。
霊圧に時々混じるあの虚ろな異臭はただ事ではない。
一護自身に自覚はあるのか。
あるとすれば、それをどう受け止めているのか。

恋次の視線を受けて、一護は眼を逸らした。
そして椅子の背もたれを抱えたまま話し出した。
尸魂界から帰ってきてから何があっただの、現世って言うのがどういうもので恋次たち死神の常識とはどれだけかけ離れているだの、当たり障りのない事柄についてぽつぽつと語りだした一護の表情はくるくると変わる。
それはまぎれもなく一護だったが、双極の丘の地下深くで修行したときに見せたものと似てて全く違っていた。
恋次は頭の芯が冷たく覚めていくのを感じた。




→Exception 3

2010.6


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