Sugar Bloom
それはバレンタイン前日のこと。
「あー疲れた、って・・・・ヤバっ」
ごろんといつものようにベッドに寝転がった一護は、
背に感じた違和感に、慌てて腰を浮かして尻ポケットの中に手を入れた。
取り出したのは薄い箱入りの板チョコレート。
それは、逆チョコだの何だので今年は買いやすくなったと大はしゃぎした啓吾が、
一護を散々連れまわしたあげく、
「これが一護の分なーっ!」
と無理やり渡してきたものだった。
もちろん自分で代金は支払ったんだのだが。
「つか逆チョコってことはアレ全部配りまくるつもりかアイツは・・・」
売り場で、機嫌よく次々と買い物かごにチョコを放り込んでいった啓吾の姿を思い出すと、軽く頭痛がする。
「逆チョコ、ねえ・・・」
一旦は机の上に置こうとした手を止めて、改めてじっくりと眺めてみた。
「・・・旨いのかなあ、コレ」
印刷が逆になってみたり、買いやすいようにシンプルな包装だったりするだけで、
中身はやっぱり唯のチョコ。メディアに踊らされすぎている気がする。
「つか誰に渡せっつーんだよ・・・」
もちろん脳裏をちらりと走るのはあの赤色。
けど、あの赤頭は意味なんて知らないだろうからオヤツぐらいにしか思わないだろう。
ってことはただの餌付けか?
恐ろしげな見かけと図体のくせに甘いものが好きだからなあと、
嬉々としてチョコを頬張る恋次を思い浮かべてみると、それはそれで嬉しくないこともない。
だけどもし知ってたら?
渡されたチョコを見たらどんな顔をするんだろう。
喜んでくれるんだろうか。
そして照れるぐらいしてみせるんだろうか。
もしかしてあの大人ぶったツラの皮を引き剥がせるだろうか?
目を白黒させる恋次を想像すると、むしろ勝ち誇った気分にさえなる。
「・・・けどなあ」
一護は軽くため息をついた。
実のところ、バレンタインだからといって恋次と会う約束など取り付けてなかったし、
向こうからの連絡もないから、会ってチョコを渡せるはずもないのだ。
ならば仕様がない。
「食っちまうか・・・」
と一護はチョコの箱を開けようとしたが、
そこへ絶妙のタイミングで、階下から遊子の声が響いた。
「おにいちゃーん! ご飯だよー!」
「うおっ?!」
あまりの絶妙なタイミングに、
「見てたのかよ・・・」
と肩を竦ませたままの一護はそれでも、
「おーう、今行くー」
と階下に向かって怒鳴り返した。
「もうそんな時間かよ・・・」
気がつくと部屋の中も外も暗くなっていた。
まだ日は短いのだ。
無為に失ってしまったチョコ漁りの数時間を思うと気が重いが仕方も無い。
水色に付き合ってもらえなかった啓吾はすごく喜んでたことだし。
「あ、ヤベッ・・・!」
立ち上がった拍子に力が入った手の中で、薄いパッケージごとチョコはぐにゃりと曲がった。
いつまでも弄っていたせいで溶けてしまったらしい。
冷やさなきゃと真っ先に思い浮かべたのは冷蔵庫。
けれど絶対こんなもんを見られたら妹たちに大騒ぎされる。
それに妹たちはともかく、オヤジには見られたら最悪だ。
「ま、外でいっか」
誰に聞かせるともなく呟いて、窓を開けると、ひゅうっと北風が舞い込む。
つい先日まで春のようだった陽気はすっかり影を潜め、一時的とはいえ冬の寒さが舞い戻ってきていた。
「さっみー・・・」
窓枠の外側、張り出したところへ溶けたチョコをそっと置いてから、階下へと向かった。
*
その夜、一護は夢を見た。
突然、恋次が訪ねてきた夢だった。
だから、丁度いいと例のチョコを渡そうとした。
けどどうしても見つからない。
窓の辺りにも残ってないし、部屋のどこにも落ちてない。
まさかカラスにでも取られたかと空を見遣ると、恋次が、あのチョコなら食べちまったと言う。
一護は当然、何でだよと怒った。
だけど恋次はヘラヘラと笑ってる。
いいじゃねえかチョコのひとつやふたつなどと言ってのける。
一護は無性にムカついて、返せと怒鳴った。
勝手にひとのもん食うなと恋次の胸倉を掴んだ。
すると恋次は、どうせ俺にくれるつもりだったんだろ、じゃあいいじゃねえかと言う。
一護はだから怒鳴り返した。
テメーのじゃねえ、俺んだ、勝手に食われたら意味がねーんだよと力いっぱい怒鳴り返した。
なんでこんなことバカ正直に言ってんだと思いつつも、口が止まらない。
ただのチョコじゃねえんだぞ、バレンタインなんだ、
だからちゃんと俺が渡さねえと意味がねえじゃねえかと恋次の胸をどんどんと叩いた。
けれど恋次は肩をすくめるだけ。
何でいつもテメーはそうなんだよ!
クソ、返せ!
チョコレートも俺の気持も全部返せ!
全部終わりだ、金輪際、テメエなんかとは会うもんか!
だから全部、
「返しやがれッ!!!」
怒鳴って
ガバァっと起き上がると、そこに恋次の顔があった。
「お・・・・」
「このクソ恋次ッ!!」
胸倉を掴みあげると、確かにある触感。
そして違和感。さっきまでと何かが違う。
「あ・・・れ・・・?」
「な、何か知んねーけど返すからとりあえずこの手、離せ」
慌てたその声に、顔を近づけてよーく見てみると、やっぱりそれは恋次。
薄暗闇の中だから髪も目もあの派手な赤じゃないけど、
目だってまん丸に見開かれて、心なしか慌ててるようにも見えるけど、さっきまでとは違う。
ってことはこれはやっぱり本物の、
「・・・れ・・・んじ?」
「お、おう」
コクコクと頷く顔は確かに恋次。
「恋次っ!!」
「おうっ!」
弾みでか、いつになく元気に返事して返す恋次を目の当たりにして、ガクリと一護は項垂れた。
これが本物ならさっきまでのはつまり、
「・・・・んだ、夢かよ」
「あ・・・?」
途端に脳裏を巡るのは、夢の中での自分の無様な姿。
何だあれは。
キレて怒鳴って、しかもその内容ときたら一体・・・。
一護は、顔に血が上がってくるのを感じた。
「・・・つか何でテメー、いきなり来てんだよ、クソ真夜中だぞオイ!」
「いや、休みもらえたから・・・」
「んだよ、突然それ! つか来るんだったら来るで連絡一本ぐらい入れろっ!」
いきなりキレた一護に恋次は目を丸くしたまま硬直した。
そんな恋次を目にしても、八つ当たりと分かっていても、一護は自分を止められなかった。
だって夢の中の恋次は呆れてた。
一護の気持とかそういうもの、全然、関係なかった。
当たり前だ、バレンタインにチョコを渡すだなんていうイベントで盛り上がるの、現世の「子供」だけだ。
長い長い生を生きる死神にはわからないに違いない。
浮かれすぎだと思うに違いない。
そんなこと、心の片隅ででもちゃんと知ってたから、
だからバレンタインに会うとかチョコを渡すとか、そういうのを考えないようにしてたんだ。
それがこのザマ。
結局、最後の最後に噴出した。
自分の気持にフタをして、挙句の果てに持て余すようじゃダメだ。
また恋次に子ども扱いされる。
距離も開く。
「ちくしょう・・・」
「一護・・・・?」
ぽん、と頭の上に手を置かれて、一護は目を上げた。
いつの間にか目を瞑って、捲れた布団の上で両拳を握り締めてた。
肩にも力が入って、ぎゅっと全身が強張ってた。
それが、よしよしと頭を撫で続ける恋次の大きな掌の下、少しずつほぐれてくるのがわかった。
いつもなら絶対許さないガキ扱いなのに、なんだかとんでもなく嬉しくって手を振り払えない。
あんな夢の後だからだろうか。
顔まで歪んできそうで、慌てて一護は下を向いた。
恋次が、一護の横に腰を下ろした。
ギシッとベッドが鳴る。
さっきまで一護の頭を撫でてた恋次の片手は、今度は一護の頬を包んだ。
「どうした? 何か悪い夢でも見たのか?」
掌がゆっくりと、一護の頬を撫でる。
刀を持つ手だ。荒れているんだろう。
ガサガサとして、皮膚の薄い頬には少し痛い。
けれどそれだけに、こっちが本物だという実感が沸き起こった。
あれは悪い夢。
さっきまでのもやもやした気分も、どうしようもない怒りも悲しみも影を潜めている。
全部夢で、ほかには悪いことなどない。
だから多分、そういうことなんだ。
一護がこくりと頷くと、恋次はそうかと返して一護をそっと抱きしめた。
そして背中を撫でてくれた。
だから丸まってた背中が少し伸びて、
恋次の胸に額をくっつけてただけの一護の顔も、ぴたりと寄せられた。
それは死神の身体だから、こうやってくっつくと奇妙な違和感があるのだけれど今日ぐらいは構うまい。
だってバレンタインなんだから。
・・・そう、バレンタイン。何か忘れちゃいねえか?
→Suger Bloom 2
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