For your ears only




ふと目覚めると、いつもと違う色の薄暗闇が広がっていた。
目と同じ高さで視界いっぱいに広がる畳には、窓枠に四角く区切られた月の光が落ちている。

「…あれ?」

見上げた先の、天井と梁には見覚えがあった。
畳と木の香りが漂うこの空気にも、
そして微かに煙草の匂いがするこの枕にも。

─── ああ、そうだ。ここは恋次の部屋だ。

窓から差し込む僅かな月明かりを頼りに、
布団に潜ったまま周囲を見回すと、馴染み始めた風景が目に入った。
無造作に壁に掛けられているのは恋次の着物だろう。
今は影に沈んで真っ黒に見えるが、日の光の下ではきっと派手な色合に違いない。
殺風景で、いかにも男の独り暮らしな恋次の部屋の唯一の装飾品。
もちろん本人に自覚はないのだろうが。



─── へへ。すっげえ楽しかったな。今日は大成功だったぜ!

一護は口元をほころばせた。
いろいろ骨を折った甲斐があって、秘密裏に計画した恋次の誕生日パーティーはとても盛り上がった。
驚いたり照れたりといつもより表情の豊かだった恋次の横顔を思い出した途端、
まだ酔いが残っているのもあって、くすくすと笑い声が漏れた。

ルキアもその計画にとても乗り気だったから、
白哉が必要以上に念入りに仕込んでくれたんだろう。
疲労困憊といった体の恋次は、
その日が自分の誕生日だということなどすっかり忘れ去ったまま、
遠征先からを直接、会場に姿を現した。
だから一護が現世から持ち込んだクラッカーを いっせいに鳴らされて、おめでとうと口々に祝われたときも、
全く況判断ができず、唖然として突っ立ったままだった。

─── あのツラ、写真にでも撮っておきたかったよな。

一護は横向きに丸まったまま笑った。
しばらく呆然と凍りついたままだった恋次も、
当に酔いの廻った死神達に手を引かれて席に着き、酒に口をつけると、
やっと人心地がついたのか、照れくさそうな顔で礼を言った。
隊長格も何人か同席してたせいか、最初はかなり居心地が悪そうだったが、
部屋の奥にひっそりと座り、一介の死神を気取っていた一護に気付くと、
僅かに目を丸くした後、眼を伏せて笑って肩の力を抜いたようだった。

─── 俺の企画だってバレたかな。…ま、いいけど。

当然だが主役の恋次は、常に人の輪の中にあった。
物珍しさからか、一護も死神達に囲まれ続けていた。
少し寂しくもあったけど、普段、こういう場に同席することはないから、
恋次が酔っていく様子を肴に、死神連中とワイワイと話しながら酒を飲むのは楽しかった。
少しだけ大人になって、その分だけ恋次に追いついたような気もした。
だからつい、飲みすぎてしまったかもしれない。
結構、量もいける体質だとは分かってはいたが、
未成年だし、酒を飲むと背が伸びないというし、 だから普段は正月の屠蘇ぐらいしか口にしていない。
限界まで飲んだことなどもちろんない。

─── あー…、やっぱ飲みすぎたかもしれねー。

一護は手を布団から出し、開いたり閉じたりしてみた。
自分の手なのに、少し遠くに感じるのは、まだ酔いが残ってる証拠だろう。
それにまだ頬も熱い。
頭もぼんやりとしてる。




「あちィ…」

天井に向かってそのまま手を伸ばすと、ひんやりとした空気に触れた。
虫の奏でる音が、窓から流れ込んできてる。
現世の残暑はまだあんなに厳しいというのに、尸魂界にはもう秋が来ている。
一護は腕を伸ばしたまま、反対側に向かってごろんと大きく寝返りを打った。

「…あれ?」

空振りした腕は、ぺたんと敷布団に落ちた。
そこに居て、うげっと声を上げるはずの恋次の姿は無かった。

「…んだよ」

肩透かしを食った形になった一護は、そのまま恋次の側に移動して、バタンとうつ伏せになった。
冷えきった布団が、火照った頬と身体に気持ちよかった。

「どこ行ったんだろ…」

そう頻繁に会える相手でもないし、
一護の部屋に恋次が泊まりに来てるときでも、一護に何も告げず姿を消したりしている。
だから一人で居ることなんて慣れているはずなのに、酔いのせいだろうか。
今日に限って、不安に感じた。
さっきまでの楽しい気分が急にしぼんでいく気がした。

「…くそ」

そういえばこの部屋に居るときに、こんなに布団が冷えるまで一人にされたことは無い。
それが当然だと思っていたけど、 もしかして子ども扱いされてたんだろうか。
一護は歯噛みをして、がばっと跳ね起きた。

「…って、あれ…?」

当然、裸だと思っていたのに、下帯だけ付けている。
ペタペタと身体中を探ってみたが、何をされた様子も無い。
触られた覚えもないし、身体を交わした後の火照った感じも残っていない。
そもそも、いつどうやってこの部屋に戻ってきたのか、記憶自体が無い。

─── も、もしかして俺、勝手に帰ってきたのか? これが噂に聞く、酔っ払いの帰巣本能ってヤツか?!

一護は布団の上に座り込んだまま、いまだ朦朧とした頭で記憶の糸を辿りだした。

「えっと…」

とにかく楽しかったのは覚えてる。
いっぱい笑って、いっぱい喋った。
楽しげな死神達の姿が脳裏に甦る。
決して愚痴を垂れたり暴れたり、他人の迷惑になるようなことはしてない。

「…いや…、ちょっと待てよ」

確かに迷惑は掛けてない。
だが、何を喋った?
あの時の自分は、やたら照れてはいなかったか?
照れつつも、 秘密にしていた事柄を公にできる開放感に浸って喋り捲ってはいなかったか?

「…うッ…」

一護は一気に正気が戻ってくるのを感じた。
血が引いた。
交わした会話の全部は覚えていない。
だが確かに惚気まくっていたような気がする。
酒に飲まれて気が大きくなったか、
もしくは初めて真剣に耳を傾けてくれる相手がいたせいか、
恋次に対する不満も含めつつ、経緯から何から、思いっきり上から目線でぶちまけてた気がする。

「…あ…、ありえねえ…ッ」

ありえない。
あってはいけない。
それを何故あんなに気分よく盛大にぶちまけたのだ。
普段は、恋次に対してさえ何も恋人らしいことは言わないのに、
ドラマにさえ出てきそうもないセリフを延々と繰り出してたような気がする。

─── あ…、あれは俺じゃねえ…!!!

自分が信じられない。
一護は呆然と頭を抱えた。
皆、真剣に聞き入るはずだ。
厳格で知られる朽木白哉率いる六番隊の副隊長と死神代行の、年齢差も何もかも越えた男同士の恋愛沙汰など。
今頃、護艇中でスキャンダルの嵐が吹き荒れてるに違いない。
もしかしたら恋次は解任されるかもしれない。
だから呼び出されて、ここに居ないのかもしれない。

「あ…ッ!!」

そして突然、思い出したのは、呆れたような恋次の顔。
喋るのが億劫になり、酒の代わりに水をもらうようになり、
更にふわふわと視点が定まらなくなってきたところで、
いきなり恋次の赤い色が近づいてきたから、「あー、恋次だー」と抱きつこうとしたらブラックアウトした。
その後の記憶はない。
我ながら限りなくバカだと思うが、もしかしてあの一瞬、恋次に昏倒させられたのではないか。
そういえば胸の辺りがムカムカするのは、腹に一発、決められたかせいか。

「…あのヤロウ…」

俄然、腹が立ってきた。
確かに、恋次との関係は誰にも知られたくないと思っていたが、
抱きつこうとした一護を殴ってまで止めるというのは、恋人としてどうなのか。
それはつまり恋次にとって、一護という存在より、自身の立場の方が大事だということじゃないのか。

「…」

一護は泣きそうになった。
そんな自分に更に落胆の涙が零れそうになった。
恋次に関して、こんなふうに感情が爆発するなど、あった例がない。
そもそも泣くことなんて、当の昔にやめてる。
なのにこんなふうにどうしようもない気持ちになるのは、恋次が悪い。
酔っ払いだから、自分もすごく悪い。
一護は布団にもぐりこんだ。
すると暗闇の中で、困りきった恋次の顔が見えたような気がした。

「…全部、恋次が悪い」

一護はぼそりと呟いた。
大体、恋次というのは面倒くさいのだ。
やたら一護のことを大事にするくせに、素知らぬ表情の向こうでルキアのことを考えてたりする。
カマをかけると、大慌てで否定するくせに、
途方に暮れながらも抱きしめてくるその腕がやたら優しかったりする。
一方でその優しさも、いつも以上の仏頂面に相殺されてしまうから、分かりにくいことこの上ない。
なんでこんなヤツの相手をと思わないことも無いけど、
猛獣使いにでもなったと思えば気持ちの切り替えは効くし、
それに何より、その手にも声にも馴染んでしまってる。
要するに今は酔っ払っているせいだとは思うのだけど、いつもよりずっと、
あの手に撫でられたり、うわごとのように名を呼ばれたりしたいと思っていたりする。

─── あー、チクショ。俺も恋次も頭、悪すぎ!!
大体、こんなのヘンなんだ。 誰にも言えないなんて、おかしすぎる。
恋次も恋次だ。
死神の誕生日に意味がないなんて嫌がってたけど、
ルキアや他の連中は、流魂街でも祝うのが当たり前だって笑ってた。
じゃあなんであんなにピリピリしてたんだろ。
恋次には恋次の、何か事情があるんだろうか。
けど恋次がその理由を話してくれるとは思えねえし。

なんだか袋小路にはまり込んだ気がして、一護は布団の中で丸まった。
たまらなく息苦しかったけど、布団から出る気にはなれなかった。




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