含み損




ちょっと待て、と恋次は眉間の皺を深くした。

─── 今、一護のヤロウ、何て言った?  どさくさに紛れて、とんでもねえこと訊いてこなかったか?  まさか、この状況でケンカ売ってんのか?!

恋次はまじまじと一護を見つめた後、聞き間違いに違いないと結論付けた。
いつもどおり、情事の真っ最中とは思えないほどの憮然とした顔つきとはいえ、 押し倒された挙句の半裸で、やたら頬を上気させてるのだ。
さすがの一護といえど、この状況であんな質問はできやしない。

「…何だって?」

恋次は、冷静を装って訊き返した。
すると一護も冷静に、問い返してきた。

「いや、だから、オマエ、性欲異常なのかって」
「?!」

ごく普通に、それこそ明日の天気かなんかを訊くように繰り返されて、 頭のどこかでブチっと盛大な音が聞こえた気がした。
怒鳴りつけそうになった。
だが必死に、全身全霊で堪えた。

─── 落ち着け、俺。 今、この状況でキレたら、俺たちゃ終わりだ。 つか見てみろ、一護のツラ。マヌケ面、晒しやがって。 絶対コイツ、自分が何言ったんだか分かってりゃしねえ。
だから落ち着け。落ち着くんだ、阿散井恋次!
お前はいい年した大人で、死神で、副隊長で、責任とかもあって、 色事に関しても人生そのものに関してもうんと先輩なわけで、 そりゃあ、一護ごときには想像もつかないような修羅場も潜り抜けてきたわけで、 だからこんな訳の分からん戯言に惑わされちゃいけねえ!

「…あのなあ、一護」

なんとか自分を抑えた恋次は、一護の不用意な発言を諭そうと改めて向き合った。
だが、恋次の静かな反応を都合よく解釈した一護は、
「だってお前、いい年なんだろ?」
と畳み掛けてきた。
当然、恋次は言葉を失った。
「…あァ?」
と恐ろしいほど低い唸りが漏れた。

一方的に押し倒したわけじゃない。
久しぶりに会えて、なんだかタイミングも掴み辛くって、 なかなか距離を詰められずにいたところを、一護から仕掛けてきたのだ。
誘いとも分からないぐらいの拙い誘いだったからこそ、一気に血を上らせてしまった。
何か言いた気だった唇を無理やり塞ぎ、抱き締めてしまった。
手首を深く寝床に縫いつけ、上衣を剥がし、逸らされた首筋に深く口付けてしまった。
咎があるというならば、あんな風に拗ねられて、あんな横顔を見せられて、余裕を保てるほど大人ではないというその一点だろう。
だがこれまでの遣り取りで一護も身に染みて分かってる筈だった。
それを、言うに事欠いて性欲異常だの年寄りだの、 ことの顛末を全部、恋次一人のせいにして、自分は他人事のような顔をしている。

「… テメエ、一護。何だ、その言い草は」

子供だから、 経験が無いから、 何より惚れた弱みだからと、 特に身体を重ねるようになってからは、自分を抑えてきた。
それが裏目に出たのだ。

甘やかしたい気持に流されていたのもある。それは認める。
だが、腹の奥のどこか、深く留めておいた本音が、もう限界だと告げていた。
重ね続けた無理が破綻したのだと、宣告していた。

「一護。テメエ、いい加減にしろよ?」

地を這うような声の低さと、酷く冷たい光を宿した深紅の眼に、 一護は眉間の皺を一層深くした。

「… んだよ」

ようやく押し出された一護の声は、酷くしわがれていて、 少し前の恋次なら、その響きだけで冷静を取り戻せた筈だった。
幼さに胡坐をかいた迂闊さをも、柔らかく情事に溶かし込めていた筈だった。
だがもうムリだった。破綻したのだ。

恋次は、押さえつけていた一護の両手首を離し、身を起こした。

「んでもねえよ」
「…恋次?」

一護も慌てて後を追った。
だが恋次は、一護に見向きもせず、腰を上げた。

「テメエがそう思ってんじゃ仕方がねえ。今まで悪かったな」
「…あァ?!」

立ち上がった拍子に、先ほど下ろしたばかりの髪がざらりと首筋を撫でた。
うぜェなあと呟いて、恋次は床に目を遣る。
床に投げ出された布の塊を持ち上げて振ると、絡まっていたらしい髪紐がふわりと落ちてきた。
その髪紐を空中で受け止めながら、まずいな、と恋次は思った。

─── もう、一護の匂いがする。 この服にも、髪紐にも、おそらく自分自身にも一護が染み付いてる。

失うことなど最初っから覚悟していたが、
こういうマヌケな終わり方など想像してもいなかった。
くつりと喉の奥から嗤いが漏れた。

─── 全く、マヌケにも程がある。
性的異常だと?
阿呆か。
確かに男が男と寝るのは普通じゃねえかもしれねえ。
だが、それだけだ。
妙なことを強いた覚えもねえ。
優しくはないかもしれねが、できるだけ傷つけないようにしてきた。
そんなとんでもねえ疑いを掛けられたまま止めてたまるか。

恋次は背後の気配を伺った。
何の音もしない。動きもない。
一護は一護で、恋次の出方を伺ってるようだった。
もしかしたら反省して項垂れてるのかもしれない。
だけどこの意地っ張りは、何もいえないでいるのかもしれない。

ならここは一発、カツでも入れてやるかと恋次は振り向こうとした。
だがその瞬間、抜けるほどの強さで髪がぐいっと引っ張られ、世界がぐらりと揺れた。

「クソ恋次ッ」
「うおッ?!」

反射的に受身を取った。
背が落ちたその場所が一護の寝床だと思い至る前に、

「あのなあッ、このバカ恋次ッ!」

と怒鳴られて、眼を開けると、あっという間に逆さまになった世界で、 天井を背景に視界一杯に広がってるのは、逆さまの一護の顔だった。
いつもどおり憮然としてるくせに、口元がどこか緩んでるのが奇妙に映った。

「テメ…、何しやがるッ」

ズキズキと痛む頭皮を擦りながら身体を起こそうとすると、 一護はどすっと、恋次の腹の上に乗っかってきた。

「ぐほッ…、クソ、テメエ、退けッ」
「なんだ、やっぱ、ちゃんと怒れるんじゃねえか」
「はぁ…?!」
「オラ、怒ってみろよ」
「んだと?! 何言ってんだテメエ、訳、分かんねえだろッ」
「そりゃあこっちのセリフだっての!」
「…あァ?」

一護は、恋次の腹に跨ったまま、憮然とむき出しの腕を組んだ。

「大体、気色悪りィんだよ、テメエは!」
「あァ?!」

─── さっきは性欲異常且つ年寄りで、今度は気色悪いかよ?!

一発殴ってやろうと恋次は身体を起こしかけたが、この体勢で勝てるわけもない。
正面から拳を喰らって、ぼふっとまた寝床に背を沈めた。

「…う、いってェ…」
「ったりめえだろ、痛てェようにしてんだからよ」
「テメエ、何の恨みがあって…」
「恨み? 何言ってんだ、このバカ」
「バカ?! テメエみてえなクソガキにバカ呼ばわりされる覚えはねえぞ!」
「あるだろ! よーく胸に手を当てて考えてみろ」
「…」

恋次はじっと考え込んだ。
確かにバカ呼ばわりは慣れてるが、 ここで改めて一護に指摘されるような出来事には思い当たる節がない。

「分かったか? バカ恋次!」
「…いや、わからねえ」
「んだと?!」

一瞬で沸騰したかに見えた一護は、突如、ガクリと首を垂れた。

「…い、一護?」
「なんか俺、すげえ疲れた」
「あ…?」

ぐらりと揺れた一護の体は、そのまま前倒しになって、、
ごろんと恋次の横に転がり込んできた。

「うおっ…、て、オイ、一護…?」

反射的に身体を起こした恋次は、 うつ伏せに力無く横たわった一護の裸の背を見つめた。

「なんかさー…」
「…?」

いつになく覇気のない一護の声に、恋次はその大きな背を丸めて続きを待った。

「なんか恋次、すげえ変」
「変?」
「そう、変」
「…何が」
「オマエが」
「…だから俺の何が」

一護は少しだけ頭を上げ、恋次を一瞥した後、ぼふっと枕に顔を埋めた。


→含み損 2




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