きみがいるから
オイと唐突に掛けられた声で我に返ると、
ごく至近距離、肩ぐらいの高さで一護が見上げてきてた。
「うお…っ」
「何、ビビってんだテメーは」
「っせえ…! いきなり何だテメーこそ!」
裏返った俺の声に、一護は呆れて笑った。
ちくしょ。
そうだった。
うっかり失念してた。
コイツ、尸魂界に遊びに来てやがったんだった。
驚きすぎて、まだ心臓がバクバクいってやがるぜチクショウ。
それにしても、だ。
改めて一護を見下ろして、俺は思わず息を飲んだ。
なんだこの妙な雰囲気は。
あの生意気盛りの一護と同一人物だとは思えねえほど、可愛げに溢れてる。
まるで別人だ。
遊んでくれと尻尾を振ってる仔犬か何かみてえじゃねえか!
うんと近くで、ほぼ真上に向かって見上げてきてるせいか?
しまった。
執務の真っ最中だってのに、手が疼きだした。
一護の気持ちの在りかを確かめたくて、
構ってやりたくて、もっと違う表情を見たくて堪らない。
だけど肝心の一護の表情が冴えない。
それに実際、狭い通路で両手に荷物を抱えてるせいで動きが取れない。
時間も全くない。
さて。
何をどうしたものか。
少しだけならいいだろうか。
判断しかねてる間に、一護の唇がもの言いたげに薄く開かれた。
俺は期待した。
けれど目が伏せられた。
薄い色の睫毛が揺れる。
どうした?
大体、何故、わざわざ尸魂界まで来たんだ。
何か話でもあったか。
それとも手伝って欲しいことでもできたのか。
だが一護が口にしたのは予想に反して、
「テメエ邪魔だ、そこをどけ」
のたったニ言だった。
しかも仁王立ちになって、俺が場所を譲るのを待ってる。
身構えていただけに、かなりイラっときた。
前言撤回。
何が仔犬だ。尻尾なんか振ってるもんか。
牙剥き出して吠え付いてきてるじゃねえか。
可愛げもへったくれもありゃしねえ!
つかな。
一体、どこの誰がそこまで上から目線でモノを言われて、
ハイそうですかって道、譲るか?
ここは尸魂界で、六番隊隊舎内の資料室で、つまり俺の縄張りだ。
でもってテメエは予告なしに来て居座ってる迷惑な客だ。
まさに旅禍だ、災難だ。
普段からクソ生意気すぎて手を焼かせてる自分の立場、少しは考えろ。
「…阿呆か。タダで通すわけ、ねえだろ」
「タダ…?! 金、取んのかよッ…?!」
「金なんかで通すもんか」
「じゃあどうしたら通すってんだよッ!!」
「知るか! その能天気な頭で考えろ」
「んだと!!」
我ながらガキくさいとは思ったが、口にしてしまったもんは仕方ねえ。
つか一護との付き合いが深くなってから、ガキくささがうつったような気もするぜ。
…ったく。
堪ったもんじゃねえ。
ため息をついて黙り込んだ俺に当然、一護は反抗してきたが、
俺は、石のように立ちふさがったまま、無視を決め込んだ。
大体、普段から甘やかしすぎてんだ。その自覚もある。
ならばこういう時ぐらいはキッチリしねえとな。
ちらりと見下ろすと、ギッと睨みつけてきてた。
俺も何も言わずに睨み下ろし返す。
「どけっつってんだろ」
「タダじゃ通さねえっつってんだろ。つかテメーがどけ」
理不尽なのは百も承知。
けどな。
こっちはテメエと違って仕事中なんだよ。
テメエが来たときにちゃんと、今日は構ってやれねえから帰れっつっただろ。
なのに
「別件で来てんだ、煩せェ!」
とか何とか意地張って居座りやがって。
その上、何だその態度は。
マジでガキか、テメエは。
つか俺もガキか。
自覚はあるんだ。
けれど方策はない。
そういうもんだろ。
自嘲に、口の端が歪んだのを感じた。
小せえな俺、と思った。
つい、睨み合いをしてた一護から視線を逸らしてしまった。
その時、不意に、頬に温かいものが触れた。
「…!!」
慌てて見遣ると、真っ赤な顔して腕組みしてる一護が、
あさっての方向を見て突っ立ってた。
「い…、い…ちご?」
「んだよッ」
今のは一護か?
しかもアレか?
唇か?
一護がか?
本当に本物か?!
驚きすぎて、つい頬に手をやったから、
持ってた資料がバラバラと派手な音を立てて床に落ちた。
「うわッ…、あっぶねえなあ。もうコレでいいだろ? いい加減、機嫌直せ。
つか通せんぼは止めろ。ガキじゃあるめーし」
「え…? 何が?!」
「だから! ここ、早く通せっつってんだよ!」
もしかしてタダでは通さねえって言ったからか?!
さっきのくだらねえ売り言葉に買い言葉の結果か?!
つまり通行料代わりってか?!
…いい仕事したぜ、俺。
「一護…!」
「うわ…っ、何しやがるッ!」
何しやがるも何も、この状況ですることっつったらひとつしかねえだろ!
「一護、お前…」
「つか俺、便所…ッ!」
「べ…?」
「だから、えっと…、便所! こっちでは別の呼び方するのか?!
えっと…なんつったっけ、確か国語で習った気が…。あ、せっちん!」
「べ…、便所は便所だ!」
「っせェッ! 分かってんなら早く通せッ! つか便所はどっちだッ!」
「あ、廊下に出て右」
「サンキュッ」
「い、一護…っ」
床に散らばった資料の山をひらりと飛び越えて、一護は廊下へと消えた。
「一体…。一体、何だったんだ」
俺はガクリと床に膝をついた。
他に何と言っていいか分からない。
つまり、便所に行きたかっただけなのか?
だからあの仕草と表情か?
あっさり煽られてた俺は見当違いもいいとこだったのか?
「…つか、通せんぼって…。俺ァどこのガキだよ…?」
言葉も無いとはまさにこのことだった。
しばらく立ち直れそうにない。
「く…」
けれど執務は執務だ。
何とか、資料だけは始末をつけないと。
俺は何とか気力を掻き集めて、床に散らばった資料を拾い出した。
希望的観測で述べれば、
一護は教えてやった方とは別の方に走って行ったし、
顔も知られてるからあっちこっちに声を掛けられて、きっと戻るまでに時間が掛かるだろう。
「…よし。時間までにはきっと何とかなるはず」
「無理であろう」
「え…?」
地獄の底を渡ってきたような平坦な声音に、恐る恐る振り向くと、
やはりそこには、声音どおりの無表情をした隊長が立っていた。
「た…、隊長…!!」
「貴様、一体何をしておる」
「し、資料を…」
「どの資料だ。床に散らばって破損著しいその資料か。それとも貴様の手の中で握りつぶされているその資料か」
「うわああッ、しまった…ッ!!」
「遅いと思って念のため戻ってみればこの有様。己の所業にも気が回らぬほど腑抜けておったか」
「た、隊長、これはッ…!」
隊長は、静かに霊圧を増し続けていった。
なんという失態。
言い訳のしようもない。
俺は覚悟を決めた。
→きみがいるから 2
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