晩夏の訪れに気がつくのは、いつも唐突。
凍てつく冬も、芽吹きの春も、灼熱の夏も、
それぞれの季節は到来時、呆れるぐらい主張するというのに、その席を次に譲り渡す気配は密やかもの。
特にそれが別れの季節を告げるものならば尚更。
夢見る季節を過ぎても
「あっちぃー、くそ、浸かりすぎたかな・・・・・、うおっ・・・っ!!」
疲労困憊の身体を早めの長風呂で黙らせて、すっかり湯だって汗だくになって部屋に戻ると、部屋の真ん中に突っ立つ一護の姿。
まさかこんなときにいきなり一護が俺の部屋に来るとは思わなかったし、窓から差し込む逆光で最初、一護とわからなかったから、反射で攻撃しそうになった。
「・・・あ、あぶねえだろっ! つか何してんだテメエ、こんな所でっ!」
「そりゃあこっちのセリフだ。何でこんな早く帰ってきてんだよ」
「何でって・・・、自分ちに帰ってきて悪ィかよ?!」
「悪かねえけど、早すぎだろ。サボってんじゃねえ」
「んだとコラ?!」
突然の来訪の上、不機嫌この上ないツラの一護としばし相対してみたが、ガキと同レベルで睨みあってどうするよと空しくなった。
「・・・とりあえず、座れ」
「おう」
毒気を抜かれたのか、それとも同じ思いだったか、一護はどこか空々しい表情を浮かべて、とすんと畳の上に直接、腰を下ろした。
見れば、バカでかい一護の斬魄刀は部屋の隅にひっそりと寄せてある。
いつからここにいたんだろう。
唐突なのはいつものことだが、身の置き所のないといった様子は、常には見せたがらぬ子供臭さを露にしていて、苦笑を抑えてあらぬ方向を向いてやるのが俺にできる精一杯の気遣い。
「てっきり居ねえと思ってたのによ・・・」
浴衣の下、風呂上りの肌に流れる汗を乾かそうと窓を開け放つと、背後で一護がぼそりと呟いた。
ゆったりと流れ込む風の音がその声に重なる。
「・・・居ちゃ悪いかよ」
他に返事の仕様がない。
往生した俺は一息ついて窓に背を向け、部屋のど真ん中に陣取る一護の方に振り向いた。
相変わらずそっぽ向いたままの一護の横顔が、薄暗い部屋の中、夕焼けに照らし出されてるのが目に入る。
その横の畳には、俺の影が黒く長く落ちている。
いつになく儚げなその風情に、無愛想な俺の部屋がずいぶんと違ったものに見えて困る。
「・・・ここんとこ残業続きだったからな。今日は早めに戻ったんだよ」
「サボってるわけじゃねえんだ?」
「ったりめえだろ!」
「だったら・・・、皆で飲みとか行かねえのかよ」
「疲れてるっつってんだろ? 飲むより寝てえんだよ、俺は」
「けど誘われたりとかしねえのかよ」
「しつけえな、テメエは! 何、こだわってんだよ!」
「別に」
「大体、何しにきたんだ?」
「・・・別に」
ということは、公式に呼ばれて来たついでに寄ったわけではなさそうだ。
そして突然の来訪の理由を明かす気はないらしい。
まあ大体、その不機嫌そうなツラ見れば、予想がつくけどな。
重なった疲労も相まって、イライラする。
「こっち来い」
「う・・・おっ?!」
腕をつかんで引き上げると、バランスを失った一護は倒れ掛かる。
そこをすかさず掬い取って、腰に腕を廻して引き寄せる。
嫌がって逃げようとすることなんか計算済みだから、そのままかわして今度は背後から抱き込む。
腕の中にすっぽりと収まる久々のその感触に、熱いものが込み上げてくる。
「何しに来た?」
柔らかく反抗するオレンジ色の髪に鼻先を埋めながら問うてはみたが、答えはない。
その代わりに身体を強張らせて全身で拒否してきやがったから、一抹の希望は消えたも同様。
なら俺だって意地になろうってもんだ。
「何しに来たんだ?」
声をうんと低く落として耳に吹き込むと、
一応おとなしく俺の手の内に収まっていた一護の身体が弾ける。
首筋が赤く染まり、体躯を緊張させてしなやかさを失う。
その過剰なまでの反応に誘われた俺の手は、反射的に一護の死覇装の合わせに滑り込む。
「は、放せッ」
「・・・・」
「放せっつってんだろッ!!」
「ってぇ、何しやがる!」
「んなことをしに来たわけじゃねえことは確かだよっ!!」
「・・・そーかよ」
そりゃそうだろうな。
あんな別れ方をした後じゃ。
最高潮のイラつきに任せて、俺は一護の正面に廻り込んだ。
肩に力が入ってるのを故意につつく。
腕だけで俺を突き放そうとするから、寸前でかわす。
行過ぎた一護の手は空を切ったから、その手首を外側から掴みこんで、そのまま床へと誘い落とす。
同時に払った一護の足は行き場を失くして畳を滑り、ざらつく音を立てて踏みとどまったが、追い討ちをかけ、膝をつかせて袴の脇を踏み、立ち上がれないようにする。
それでも無理やり身体を起こしてくるから、今度は真正面から掌底を胸に食らわして、床へと倒しこむ。
げほげほと圧迫された肺から無理やり空気を搾り出すところをついて馬乗りになり、仰向けになった一護の四肢を、体重をかけて押さえ込む。
これで動けまい。
テメエは畳に張り付けだ。
「・・・テメエッ、何しやがるっ!」
わかんねえか?
「・・・何しに、来た?」
もう一度ゆっくり問うてみる。
ほら、本音を吐いてみろ。
会いに来た訳じゃねえ、別れに来たと今、その口で言え。
「吐けよ」
俺の言葉に、薄茶の瞳の奥で揺れていた怒りがあっさりと消え、代わりに不安定な感情が姿を現した。
「じゃねえと・・・」
ギリ、と両手首を締め上げると、一護の眉間の皺が深まる。
その先に連なる拳が細かく震えてる。
何をこだわってる、俺は。
こんな風に苦しめても、意味がない。
どうせこいつが素直になるわけがねえ。
こんな脅しに屈するわけがないんだ。
そんな一護は一護じゃねえ。
だから時間も十分に与えぬまま俺はその首筋を狙う。
産毛に唇で触れただけだというのに、押さえつけている四肢が震える。
畳と一護の背が擦れあってささやかな音を立て、息を飲む音が大げさに響く。
唇を進めていたのを一旦離してみると、一護はさっきまで俺を睨みつけていたその眼も唇もきつく閉じている。
逃げるなら今のうちだぜ?
だが、俺を殴ろうと握り締めていた拳の中には、いつの間にか俺の浴衣が収まっていた。
肌蹴かけた漆黒の布の下、薄い筋肉が時折、姿を現して、晩夏特有の黄みを増した陽光をはじき返す。
漏れ始めた吐息が、暮色の空に響くヒグラシの声に混じる。
そういえばヒグラシなんて、いつ鳴き始めてたんだろう。
もう夏も終わりなのか。
終わってしまうのか。
過ぎ去る時間の早さにどうしようもなく焦る。
急いだからと言って時の流れも一護のことも引き止められるわけがないのに、性急さに任せて貪って、今という時を否定したくなる。
「・・・ん・・・っ」
「痛えか?」
ろくにほぐしもしないで力に任せたから、快楽よりも苦痛が勝るに違いない。
だが一護は、薄く涙の滲んだ眼を逸らしただけで何も答えない。
きつく噛締められた唇が痛々しいが、どうしようもなく煽られる。
「・・・何しに来た?」
込み上げる衝動を何とか握りつぶし、動きを止めて先ほどの問いを再び繰り返した俺に、一護の眼が大きく見開かれる。
閨事の最中にあまり口をきくことはないし、しかも別れを確定するような質問を繰り返されたから意表をつかれたんだろう。
その気持ちはわからねえでもねえけどな。
「何しに来た、言ってみろ」
俺はしつこく繰り返す。
「正直に言え」
だが一護は、眼を閉じることで否定の意を伝えてきた。
イラついた俺は、ゆっくりと大きく一旦引いた腰を打ち付ける。
薄暗闇に変わり始めていた部屋に、肌がぶつかる規則正しい音が満ちる。
堪え切れなくなった一護の発する声が、かすかな水音の意味を際立たせる。
言葉になることなく漏れ落ちる啜り泣きに似たその声に、煽られるより先に胸が痛む。
→夢見る季節が過ぎても 2
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