それは、憧憬。
やさしく暖かく俺を包む、偽りの懐かしさ。
与えられなかった、あるはずの故郷を求めて、
そこにいるはずだった自分から目を逸らして、
今日も俺は。



回帰



大混乱中の尸魂界を抜け出して、なぜか、現世。
電線で網の目のように仕切られた空を潜り抜けて来た。
目の前では、ナツヤスミの宿題っちゅーものを必死にやってる黒崎一護。
あっちに行ってたから溜まってたんだと。

えらい細身の妙な服を着てる。
なんかボロっ切れみたいだ。
あっちにいるときは、黒に包まれてえらく目立ったオレンジ色だけど、
色彩にあふれたこっちでは、なんだか存在感、薄い。
その存在感が薄いヤツは、開かれた数冊を交互に睨んでいたかと思うと、
突然、うぉぉ、とか、あーーーーっとか、妙な叫びをあげてはガガガーっと書き込む。
クソ真面目なツラで、俺にゃさっぱり分からねぇ数字と記号の羅列とにらめっこだ。
おいおい、数字はてめぇのこと、殺しにはこないぜ?
何、振り回されてるんだか。

なんだかなー。
大刀振り回して殺し合いしてたやつがいきなり書類仕事しててもなー。
隊長格相手に不敵な面構えでいきがってたくせに、数字相手だと素になってやがる。
オロオロしたりモタモタしたり、喜んだり。
顔に出すぎだぜ?
それじゃ全くの子供じゃねぇか。


開いた窓から夏の風が吹き込み、いろんな音を届ける。
行きかう人々の声、
車の雑音、
蝉の鳴く声。
コイツはここで過ごしたのか。
瞬きするほどの、15年の時間を。


「よっしゃーーーー! 待たせたな、恋次! やっと一区切りついたぜ。」

にかっと笑い、一護が振り向いた。
体が凝ったのが、手を胸の前で組み、猫のように背中を膨らませて伸びをした。
それは本当に猫のようで、というか、子猫のようでなんか、微笑ましくって。

「お? なにニヤけてるんだ、気色ワリぃ。」

ムっとしてる。
うるせぇよ。
てめぇがただの人間のガキみたいだからじゃねぇか。
てめぇはそんなに普通じゃいけねぇんだよ。
もうちっと「特別」でいてもらわないと、俺の立つ瀬がない。

黙ったままの俺にイラついたのか、ふぃっと目をそらしながら、眉間の皺はそのままでつぶやくように、

「あー、まぁ、とにかく、待たせて悪かったな。冷たいもんでも飲むか? ちっと待ってろ。」

と言い捨てて、部屋を出て行く。

切り残されたような静けさがひろがる四角い空間で、ぽつんと座っている俺。
なーにしてんだろなー。
現世の飲み物、味わいに来たわけじゃあるまいし。



「オラ、飲めよ」

おお、すまねぇな。

ぐっと一息で飲み干すつもりが、俺の知らない刺激が強い甘い飲み物。
派手にむせちまった。
それを見た一護がにやり。

「それ、タンサン。あっちには無いんだろ?」

ああその、優越感と不安がナイマゼになったようなツラは一護、てめぇだな。
その妙な服やナツヤスミってのに囲まれてても、てめぇはてめぇのままだ。
思わず自分の口から漏れかけたのが安堵の吐息とかっていうってことは、
無意識に却下するし、見せもしない。
オトナのやり口。

コイツの過去はしらない。
明日も分からない。
刻々と変わる現世の暮らし。
分刻みで変わっていく人間の子供の体、心、魂。
今のコイツは明日はもういないだろう。
しかも戦いが始まったら、この現世の暮らしさえ危うい。
コイツにとって日常であったはずの平和な現世は、今、だけだ。
まさに、束の間。
そこまで思い至って急に、コイツの貴重な束の間の休憩時間を喰いつぶしてるような気になった。
さすがに、それはワルイ。

俺、帰るわ。

「おいおい、何だよソレ。 お前来たから宿題大慌てで終わらせたのに!
 用があったんじゃねーのかよっ」

用はもう済んだんだよ。
「平和な現世の日常」に生きるてめぇのツラ、拝みに来たんだよ。
てめぇがてめぇのツラしてるかどうか。
てめぇが俺の知ってる一護のままなのか。
二つある世界のどちらにも属するってのもわかんねーし、
大体、殺し合いが日常でないっていうのがよくわかんねーんだよ。
生きるってことは、生き延びるってことなんだよ、俺にとっては。

てめぇにとって生きるってのは何だ?
戦うことか?
護ることか?
何を手に入れたい?
何を護る?
どれが先だ?

俺は、護るものなんて、ひとつも無い。
この体だけだ。
得るものもない、失うものも無い。
気軽なもんだ。
それが生きるってことだろう?

俺、胸がこんなにスカスカするのはなんでだろうな?
体のど真ん中に穴があいてるみたいだ。
まるで、虚。
ルキアが戻ってきたらそれも埋まるかとも思ったけれど。
隊長と幸せな兄妹ってヤツを始めたルキアを見たら、
たしかに少し、体が温まったけど。

でもそれだけだ。
俺がこの体一個だってのは、変わりゃしない。
他に何にもありゃしない。
温もりが消えた後の体は更に冷える。
暗く冷たく、闇に溶ける。

もう、「ルキアが戻ってきたら」という未来の選択肢は残っていない。
ルキアがあの頃のように、家族のように俺の所に戻ってくることは無い。
俺もルキアの家族にはもうなれない。
もう壊れちまってるんだ。
とっくの昔に。

ああ、俺は知ってたよ。
もう何もかも、家族も友人も帰る場所さえ失っていたことを。
家族の真似事が終わったときに、俺をつなぐすべての絆はもう切れちまってたんだ。
それでもすがり付いてたんだ。
ルキアが、家族がいるかもしれない未来ってやつに。
望んでさえいれば、命にも意味があって、つながる時間もあった。

でももう帰るところがない。
あるとしたら、子供時代ってやつだけだ。
犬吊じゃなくて、おぼえてさえいない、俺の人としての現世での生。
妙な感じだ。
そんな昔に遡らなければいけないほど、俺は飢えているのか。
帰る場所が欲しいのか。
確かに存在してはいたんだろうけど、
ルキアや犬吊の仲間達みたいにはっきりと目の前から消えればわかりやすいんだけど、
あやふや過ぎて分からないだけに「無い」と言い切れないその場所。
何があった?
早く死んだ俺を悼んだ人はいたのか?
いつか還ることがあるのだろうか。
見たことも無い、あの懐かしい故郷へ。

なんで俺、こんなこと考えてる?

コイツを見てると無性に懐かしくなる。
指の隙間から零れ落ちていった、人の生、在るはずだった俺。
幻影が俺を捕らえる。
捕らえて離してくれない。
望んでしまう。
後に残るのは更に深くなる暗闇だけだというのに。
還りたい。戻りたい。
遠いあの日に。


はっと気がつくと、いつの間にか考えに沈みこんでいた俺の顔を一護が覗き込んで、目の前でぶんぶん手を振っている。

「ぅおおおおーい? どーこ行っちゃってんだ? 帰って来いよーーー?」

・・・・うるせぇな。
どこにも行ってねぇよ。
だいたい「帰って」来いってなんだよ。
なんで俺がここに帰ってこなきゃいけないんだよ。
鬱陶しいんだよ。
ズカズカ入り込んできやがって。
そうやって無邪気にピンポイントで人の痛いところ、突くんじゃねぇよ。
ガキが。

妙にむかついて、じゃな、とだけ言い残して窓から飛び出る。
あっけに取られたような一護の顔が目に焼きついたままだ。
間抜け面。

「バカやろー、全然わかんねーよっ! 二度と来んなっ!!!」

背後で叫んでるのが聞こえる。
アホか。
通りの人間、みんな見てるぞ。
それが無性におかしくって、俺は久々に腹の底から笑った。

いつだって切望する自分を知っていた。
でも、眼を閉ざし、押し殺して、黙らせて。
だってそうだろう?
絶対自分が敵わない相手を敵に回すと、俺が死ぬんだぜ?
俺は、俺を裏切れない。
俺はいつだって生きたがっていたんだ。
それは強い本能。
手足がもがれても、心が千切れても、俺の体は俺の命を続かせることに全力を尽くしていて。
かりそめの望みに、生きる動機を預け、
その場しのぎの延命を続けて、己の所属する場所を失った。

なぁ、一護。
お前はなんでそんなに何もかも護りたいんだ?
なぜあきらめない?
護って何になる?
何を願う?



その願いが叶えられるように、
今のまま、強くあれるように、
還る場所を無くさないように。

一護。

俺は、お前とその儚い未来に祈る。



2.帰巣>>

<<back