俺たちは、決して真に触れ合うことはない。
どんなに求めても、
どんなに近づいても、
永遠に埋められることのない僅かな間隙が
絶対的な存在感で俺たちを隔てる。
怯懦な俺はその間隙を直視せず、また今日も眼を逸らす。
鼓動
「いってぇ。」
起きようとしたら髪を強く引っ張られて、思わず呻いた。
ベッドから半ば落ちるようにして眠る一護が、俺の髪の一束を掴んでいた。
「・・・・・ ハゲたらどーしてくれるんだよ。」
指をそっとはずし、髪を開放する。
その一束は湿っていて、長く握られていたことを示していた。
何を考えて髪なんか握ってたんだか。
湿気で深紅になった髪を手に取ると、
わずかな期待と、それを揶揄する己の闇で胸の奥がずきりと痛む。
眠りの中の一護は穏やかな顔で、眉間の皺もない。
そうしていると案外あどけない顔つきで、
16歳だという彼の実年齢を如実に表していた。
外はもう明るい。
月は白く色を変え、朝の訪れを示している。
昨日、現世を訪れてからの己の無様な行動を思うと、ため息しか出ない。
ぐっすり寝ている一護を起すのは憚られ、
そっと着替えを済ます。
髪を括り上げているときに背後で一護の気配がした。
「・・・よぉ。もう行くのかよ。」
変な姿勢で寝ていたせいで寝違えたらしく、首をさすっている。
「ああ。世話になったな。」
背を向けたまま髪の始末を終え、襟元を整える。
振り向くと、どこか拗ねたような顔の一護が、
相も変わらずの残酷なほど真っ直ぐな眼で俺を睨んでいた。
「オマエさ。」
こちらを見据えたまま、言葉を継ぐ。
「なんでわざわざコッチ来たんだよ。訳、言えよ。」
突然の剣呑な雰囲気に呑まれる。
言葉がでない。
「なぁ、恋次。なんなんだよ。」
一護が立ち上がる。
「なぁ。てめーに訊いてんだよ。俺はてめーのなんなんだよ。」
憤りを顕わにして一護が近づいてくる。
怯えに似たものが背筋に走った。
一護が俺の胸倉を叩きつけるように掴む。
その眼があまりに真っ直ぐで、視線がはずせない。
「・・・なぁ、恋次。
もうちょっと、腹のなか、ぶちまけてくれてもいいんじゃねーか。」
何故?
どうやって?
そんなやり方、俺は知らない。
こんなドロドロの腹の中、見せられるわけも無い。
「恋次。」
わずかな睨み合いの後、一護のほうが視線をはずし、肩を落とす。
俺を押していた圧が、途端にしぼむように落ちる。
Tシャツを着ていると更に細く見える肩が、僅かに震えている。
「俺はさ。てめーが何者だっていいんだよ。
人間でも死神でも、恋次は恋次でいいじゃねぇか。
落ち込むのも結構。そのうち浮上するさ。
でもよ、1人で何もかも背負うこと、ないじゃねーか。
たとえそれがてめー自身のことだとしてもさ。
すこしぐらい、俺にも手伝わせろよ」
そうだろ、と同意を求めるこの若い男に、俺はどうしようもなく圧倒されていた。
そして思い出していた。
己がルキアに言ったことを。
背負っているものを皆の肩に分けろと、そう言ったのだ。
朽木隊長に向かって「足下を見ないから分からない」とも言い放った。
それなのに自分自身はどうだ?
人に分けることも、背後を見ることもせず、一人で、ただひたすら前に進むだけで。
俺は今まで幾つ、差し伸ばされた手を払いのけてきた?
「俺、ヤなんだよ。てめーがそんなにツラそうにしてんの。」
襟元を引き寄せる力が強まり、硬くなった俺の体は前に倒れそうになる。
得たとばかりにそれを引き寄せた一護は、
爪先立ちで、しがみつくように俺の肩に腕をまわし、
かすれた声で、自分自身に言い聞かせるようにつぶやいた。
「俺、オマエが好きだ。」
触れる一護の体から、早鐘のような心臓の拍動が伝わってくる。
それは俺の何かに届き、伝わらないはずの一護の熱が俺の体を熱くする。
一護、と応えようとした。
でも声が出ない。
それは危険だ、と年経た狒々の声が頭の中で響く。
踏み入れてはいけない。
身を滅ぼすぞ。
ああ、わかっているさ。
でももう、分別あるオトナってやつをやるには俺、年を喰いすぎた。
ルキアも自分の居場所をみつけた。
俺だって、俺のために生きていい頃だろう?
心が凍っちまうぐらいなら、身体ごと焼けて滅びたほうがまだマシだろう?
何も言わない俺を一旦開放し、一護が俺の目を覗き込んでくる。
その琥珀の瞳に映る俺は、なんと頼りない顔をしていることか。
「恋次」
一護がおずおずと死覇装の肩口をつかみ、自分のほうに引き寄せる。
何も言えない俺は、
それでも一護の熱情に応えるべく強ばった背中を丸める。
その不慣れで不躾な口付に一護の気持ちがすべてこもっているようで、
俺は動けずに、ただそれを受け続けた。
それが俺たちの始まり。
互いを知らず、明日をも知れず、
永遠に廻り続けるメビウスの輪。
なぁ。
それでも願っていいか。
決して触れぬはずのこの指が、いつかオマエに届くことを。
[回帰/終]
月夜行>>
熱が伝わらない、というのはオリジナル設定です。構成する分子が異なるんだったら、それに伴う物理法則も違うかなと。でも本当にそうだったら、恋次が雨に濡れる→冷える→風邪を引くわけも無く。ただのご都合主義大暴走になってしまいました。(2006.9.27)
* Gap junction = 細隙結合/電気緊張性シナプス − 電流伝達に関与する細胞間の結合。2nmの間隙を、神経伝達物質を介して情報を伝達する。
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