鴉の理 2
 
 
 
「・・・ここはどこなんだ」
 
汗だくになってついた場所は田園地帯。
空を飛ぶ鴉ばかり見て走ったから、どこをどう走ってこんな所に辿りついたのか分からない。
大きな街ではないものの、たかが十五分程走ったぐらいでこんなふうに風景が変わるわけがない。
 
遠く山並みは青く霞み、田んぼには水が入って青空と雲を映している。
真昼だというのに人影一つ見えないのは、皆、昼飯で休みを取っているせいか。
物音一つしないのは、耳がおかしくなったせいか。
なにやら気味が悪い。
 
狐ならず鴉に化かされたかと苦笑する一護に、
血斑の鴉がガァと急かすように鳴いて、一直線に飛び去った。
その先には小さい丘の上に聳え立つ大木。
周囲の木々がか弱く見えるほど、太い枝が青々と葉を茂らせている。
 
樹木などに詳しい方ではない。
だが明らかに南方系の、この辺りではあまり見ない木。
鴉の後を追ってきた一護は、息を整えつつその木を見上げた。
厚みがある深い緑は、力強く日の光を照り返している。
独特の香りも漂っている。
陽の光を集めたような堂々とした姿に一護は違和感を覚えた。
 
鴉は木の根元に飛び降り、ガァと鳴いて一護を呼んだ。
近寄ってみると、そこには穴が開いていた。
太くうねる木の根と岩を入り口に、それは木の北側、
日陰に隠れるようにぽっかりと大きな黒い口を開けていた。
奇妙なことが続く中、先ほどまでの勢いをすっかりなくした一護は、
それでも好奇心の赴くまま、その洞を覗き込んだ。
 
木の裏側は、影が濃すぎるせいだろうか。
表からの陽光に照らされた雰囲気とは真逆に、
暗く重い空気に満ちて陰欝としか言いようがない。
どこへ繋がっているのか、どれぐらい深いのか。
洞の奥からは時折、冷たい空気が吹き上げてくる。
見上げると、生い茂った枝と葉を通して、日の光がちらちらと目を射してくるのが救いだった。
 
鴉はそんな一護を嘲笑うようにガァと一声あげ、洞の中へ進んでいった。
ピョンピョンとどこかコミカルな跳び方で、振り返りもせずに闇の中へ消えていく。
 
「ちくしょっ」
 
ここに一人残されても仕様がない。
振り回される一方の自分が腹立たしくて、一護は一言残して鴉の後を追った。
 
 

 
 
中に入れば案外天井が高く、腰を軽く曲げれば通れるぐらい。
深いと根拠もなく思っていた洞は、すぐに行き止まりのようだった。
ガァと鴉の警告する声が狭い空間に響く。
とはいえ明りもなく、頼りになるのは入口から漏れ入る微かな日光だけ。
木の根や岩で足元がゴツゴツと不安定だ。
心なしか滑っているような気もするが、鴉から滴り落ちた血のせいかもしれない。
身動きするたびに、きゅ、きゅ、とスニーカーの底が音を立てた。
 
一体なんで俺はこんなところにと疑問が浮かびだした頃、ようやく目が慣れてきた。
目のすぐ前には薄白く木の根が立ちふさがっていた。
 
「・・・なんだコレ」
 
そういって一護は手を伸ばした。
縦に横に、まるで格子のように木の根が張って行く手を阻んでいた。
つるりとした表面がひんやりと肌に馴染む。
 
「何だ、小鬼か」
 
突如響いたしわがれた声に、一護は驚愕して手を引っ込めた。
くつくつと低い含み笑いが湿った空間に広がる。
その声は、木の根の格子の向こうからしていた。
 
「・・・誰かいるのか?」
 
やっとのことで一護は声を絞り出した。
人の気配には鋭い方だ。
ましてや死人の魂まで見える身。
こんなに近くにいるのに、それを感じられなかったなんて我ながら信じられない。
声が突然したことよりも、誰かがそこにいることよりも、
その事実に一護は動悸を抑えられずにいた。
こいつは一体、何者だ?
 
「・・・お前、だれだ。なんでこんなとこにいるんだ。出られないのか?」
 
木の檻の中の人物は、構わず笑い続けている。
苛ついた一護が中を覗くと、なにやら白いものなかに真っ黒な影が一つ、ぽつんと落ちていた。
垂れていた頭と思しきところがゆっくりと持ちあがった。
蛇が鎌首を上げるように妙にぬらりとした動きのそれは、一護の方を向き、目を開いた。
闇の中で赤銅色に煌いたそれに、一護の心臓がどくりと蠢いた。



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