鴉の理 6
「・・・おい、大丈夫か?」
唐突に叫び声が途切れ、代わりに洞を満たしたのは静寂。
耳が痛くなるほどの静けさ。
ハッハッという獣のような、影の息遣いが染み渡る。
「・・・なあ、お前・・・」
檻の中、膝立ちで虚空を見つめ続ける影に一護は手を伸ばそうとした。
けれど、傷つけられた利き手に感覚がない。
動かない。
痛みもない。
驚いて見下ろすと、腕は先ほどの傷で血塗れのまま。
そして見慣れぬ黒い色。
「・・・な、なんだよこれっ!!」
慌てて血を拭うと、はっきりと漆黒の文様が姿を現した。
腕を蛇のように這うそれは明らかに、影のものと同種。
「くそっ、消えねえっ・・!」
擦っても消えない。それどころか触れている感覚もない。
まるで作り物の腕みたいだ。
一護は焦った。
「・・・・・無駄だぜ?」
いつの間に移動したか、影が一護のすぐ側に座っていた。
檻の内側、木の根の格子に縋るように体を預けて、その体躯に見合わぬ弱々しさ。
だが声は、先程までの老人のようなものとは全く違う。
幾分高くなった太く強い声が、一護のすぐ側で響く。
「テメーの腕は、俺がもらった」
影の腕が、ぬっと木の根の檻から突き出た。
よく見ると、一護の腕と影の腕には同じ文様が刻まれている。
一護のものより遙かに太くたくましい腕。
「テメーの血で繋がったんだ、ほら」
檻の中、影が舌を突き出して見せる。
血で濡れた赤。
「気がついたか?」
くつくつと影が笑う。暗い紅の髪が、影の笑いに合わせてざわめく。
「もう体だってかなりやられてるぜ?」
顎で指し示され、慌てて袖を捲り上げると、一護の肩に黒く模様が浮き出てきていた。
気がつくともう一方の腕も、そしてシャツの下の体も薄く染まりだしている。
「すげえ力だ」
影が眼を細める。紅い光が眼の奥、瞬く。
薄い唇から這い出た舌が軟体動物のように蠢く。
影は両手を軽く動かしてみた。
「・・・体が動く。ウソみてえだ! すげーよお前、ガキのくせに! 今度こそ、此処から出られるかもしんねえ!」
「何をやった! 何を言ってるんだっ!」
力を失った両腕をブラリと下げたまま一護は叫び返したが、急に脚の力が抜けてガクリと地面に両膝をついた。
「・・・・っ!!」
「・・・どうしたよ、もう動けねえのかよ」
「くそっ・・・!」
体を支えきれず、どさっと頭から地面に倒れこんだ一護の目の前には、ゴツゴツと絡み合った木の根。
鉄の匂いがきつい。一護自身の血のせいか。
辛うじて動くのは首から上だけ。
頭を上げると、影が檻の内側、木の根の格子にしがみついて一護を凝視していた。
襤褸布の下、見事な体躯の表層に、漆黒の文様が装飾具のように太く蛇のように絡まっている。
紅い髪がその身体を包むように薄く覆っている。
まるで彫像か何かのようだ。
身動きできない一護は威圧され、為す術もない。
何もできない。
瞬きもしない真紅の双眸に、射殺されるような気がする。
「礼を言うぜ」
「・・・・・」
「もう口もきけないか?」
「・・・・」
「苦しいか?」
影は、腕を伸ばして一護の髪を鷲掴みにし、力任せに己のほうに引っ張り寄せた。
「・・・・っ!」
痛みに呻く一護の荒い息遣いが、狭い洞の中に響いた。
「・・・見事なもんだなあ」
そう言って影が一護の腕をとった。
力の抜けた両腕には、影のものと寸分違わぬ見事な墨。
「・・・・ガキのクセにこんなもん、テメーは背負ってたのか?」
意味が分からず、一護は眼球だけ動かして影を見た。
「もうすぐ楽になる」
影は格子から突き出した両手で、一護の頭の両側を挟んだ。
「テメーの分は、俺が背負ってやるよ」
そのまま持ち上げ、自分の方へと近づける。
「・・・そして俺は外へ出るんだ」
もう痛みも感じず為されるがままの一護の唇に、影のそれが格子越しに重なった。
一護の視界が紅に染まる。
全ての力が抜け落ち、全身がバラバラの破片に遊離していくように一護は感じた。
そして、重く黒かった何かを委ねたような安心感と共に、意識が遠のいていった。
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