後朝 −水の風景 / 一護− 



いつのころからだろう。
起されなくても目が覚めるようになったのは。

 
小さい頃は、泥のように眠ったものだった。
布団に入るのもいやで、時間がもったいなくて、いつまでもいつまでも遊んでいたかった。
お袋が本を読んでくれるのは嬉しかったし、おやすみと抱きしめてもらうのも気持ちよかったけど。 

でも眠るのは本当に嫌で、毎晩、世界が終わるような気がしてた。 
一旦瞼が閉じると、その後は水の中に沈んでいくようで、
起されるまで朝が来たことにも気がつかない。
目が覚めて浮上すると、お袋がいて、親父と妹達がいて。
晴れていても嵐が来ていても、それが変わらぬ日常。
自覚なく沈んでは浮かんでを続けていた日常。
ずっとあのままだと思っていた。

いろんなことが一辺に起こって、日常と思っていた日常はあっさり崩れ去った。
眠るのが怖くなった。
いつ水底の更に底、泥に飲み込まれて出られなくなるか分からない。
眠りが深くなるたびに、慌てて水面に戻った。
まるで溺れたみたいに。 

幾度も無く目が覚め、汗を拭い、布団の端を握り締めてまた眠りにつく。
段々、現実なのか夢なのか区別がつかず、全てが曖昧になっていく。
確かなのは、夜が闇を引き連れて部屋のど真ん中、居座っているということ。
だから毎晩、朝が来るのを待って待って待ち続けた。

そんなことが日課として生活に溶け込んだ頃、
いつの間にかまた、起されるまで目が覚めなくなった。

俺の身体は成長していた。
食って動けばよく眠れる。人間なんてそんなもんだ。
クタクタになるまで体も頭も酷使して時間をつぶすことを覚えた。
心を抑えることも学んだ。
 
そして、夜が早く来て早く布団に潜り込みたいと願い、
朝なんか来ない方がいいと眠り続けた。
いつの間にか俺は、泥に馴染みきっていた。
毎朝体を泥の中から引き上げるのは一苦労だった。
そのたびに巻き上がる泥で水は濁った。
 

ううと恋次が小さな呻き声をあげたから、目が覚めた。
寝苦しいのか、それとも悪い夢でも見ているのか。
眉間の皺が一層深くなっている。
だからそっと背中を撫でてやる。
じっとりと汗がにじみ出て月明かりの下、墨の色が一層鮮やかになっている。
まるで昨夜の恋次の狂気のように。

 
いつのころからだろう。
こんな風に、眠りの中でもコイツの気配を感じられるようになったのは。
泥のなかに潜っていたようだった眠りは、水面に漂う藻のように形を変えた。
逃げるためではなく、恋次の眠りを護るために浅くなった俺の眠り。
自分だけのものではなくなった。

それでもやはり、朝が来なければいいのにと、
いつまでもこうしていられればいいのにと夜に漂っているのは同じだけれど。

 
光を感じて窓の外を見たら、空が白んできていた。
恋次の寝息も穏やかなものに戻っている。
もう大丈夫だろう。汗も引いている。
俺の指を握り締めたまま。 

だから俺は安心して水面を後にし、深く潜っていく。
そして泥で出来た柔らかい水底に横たわる。
静かな眠りを期待して、夜に続く朝を夢見ながら。

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