Snow Red 11 / 恋次
「イテッ! オイ恋次っ! 何しやがるっ!!」
さっきまで俺と抱き合ってた一護が、突然、俺を突き飛ばした。
何だ、そのひでえツラ。
くくく、と笑い声が俺の口から漏れる。
だっておかしいじゃないか。
俺のためだとか霊力をわけるためだとかいいながら、俺の口に指を突っ込んできたじゃないか。
俺のこと、散々舐め回したじゃないか。
今さら聖人ぶったって、続けるつもりだったんだろう?
ほんの少しの金と引き換えに俺を食いもんにした奴らと何の代わりもねえ。
一緒じゃねえか。
ちょっとお前の血を舐めたぐらい、なんだってんだよ。
・・・・・うそだ! これは俺の考えてることじゃない! 俺は、こいつといて嬉しかったんだ。
こいつなら大丈夫って思ったんだ!
嘘付け。怖くて、イヤでイヤでたまらなかったくせに。
そんなことねえ! 俺はこいつを知ってる。こいつは大丈夫だって知ってる!!
頭ん中でぶつかる相反する考えに、ぐるぐると翻弄される。
けど、飛びずさって俺を訝しげに見ている一護の指には、確かに俺のつけた噛み傷。
ぼたっと一滴、赤い血の珠が落ちた。
とても赤い。
なんてきれいなんだろう。
なんておいしそうなんだろう。
・・・・食べたしまいたい。
その時、胸の辺りを風が吹き抜けた気がした。
そして俺の視界を占めていたミカン色が掻き消えた。
確かにあの温もりの中で何かを思い出しかけていたのに、それがあっという間に消え去っていく。
視界がドス黒く冷たく塗り替えられていく。
目に入るのは、ただ、血の赤。
「おい、恋次っ! テメー一体、どうしたんだよ?!」
一護の声が遠く聞こえる。
腹が減って腹が減って、堪らない。
こんな飢餓感は知らない。
今すぐ食わないと死にそうだ。
でも何を食う?
”・・・もちろんそのおいしそうな魂を”
俺の内側で答えたのは甲高い女の声。
ふふふと愉しげな笑い声と同時に、体の内側と外側がぐるりと裏返ったような気がした。
「・・・テメー、恋次じゃねえな。何モンだ? もしかして虚か!?」
俺の中に隠れていた異形のものが、ずるりと滑り出してきた。
ああ。また俺ん中、空っぽになっちまう。
寂しくて辛くて哀しくて堪らない。
こんな孤独はいらない。こんな苦しみはいらない。
小さい子供の泣き声がする。高く低く、うねるように押し寄せてくる。
でもこれは俺のじゃない。
だって俺はこんな風に泣かなかった。
俺は声をたてて泣いたことがなかった。
俺の中に巣食っているのはお前は誰だ?
その問いに、俺の中の何かが分離して姿を現した。
それは、小さな女の子。
雪の中で会った、あの寂しげな虚。
一護の家に急ぐ途中、チリンチリンと可愛らしい鈴の音がするほうを見ると、小さな小さな女の子。
雪の中、泣きながら裸足で歩いてた。
「ずっと待ってるの」
そう言って、雪が降りしきる道の先を指差した。
手首の赤いリボンにつけられた鈴がチリン、と鳴った。
人でないと。取り零された魂魄だとすぐ知れた。
でも妙な気配はしなかった。
純粋な目、ひたすら正面を見て待ち続ける横顔。
食いしばった歯に、気の強さと哀しみを見た。
胸に鎖がついてないのを何故俺はあの時、見逃したのだろう。
永久に現れない待ち人を待つ姿に、同調してしまったからだろうか。
待っても待っても来ない誰か。
諦めても諦めきれず、胸の奥底にぽっかりと黒い穴が開いて全てを飲み込んでいく。
暗すぎて外からは見えず、やがては自分でもそんな穴があることを忘れてしまう。
仮初の安穏な日々。
穏やかに笑顔で過ごす日々。
それこそが求めていたものだとばかりに拘ってしがみついて眼を塞いで。
でもいつだって現実は容赦ない。
いくら塗りこめても嘘は嘘で、決死の覚悟さえ砂上の楼閣。
崩れだしたら何も残らず、骸と化した己に残るのは、死んだ魂。
悔やんでも無くした時が戻ってくることは、ない。
「ねえ、おにいちゃん」
その声に、夢と現の狭間を彷徨っていた俺は、はっと現実に引き戻された。
「でももう待つの、疲れちゃった。お兄ちゃんってとってもキレイ。だから私にちょうだい?」
俺の両手を掴む小さな手から伝わってきたのは、その子に宿る夢と地獄の織り交ざった情景。
その子の我が儘を叶えて、父親が持って帰ってくるはずだった緑の本物の大きなツリー。
窓の外、雪が降り始めていた。
素敵な素敵なホワイトクリスマスになるはずだった。
金や銀の飾り、白い綿の雪を用意して待っていた。
空腹をガマンして、涙をガマンして、待って待って待ち続けたけど帰ってこない。
母親の制止を振り切って外に出てみたら、すぐ家の前で事故死したのだろう、変わり果てた父親の姿。
血が赤く雪にしみこんで凍り付いてキレイだった。
緑の大きなもみの木には、破けた袋から飛び出した赤いドレスやリボンが飾り付けのように掛かっていた。
街灯の光をはじいてきらきらと煌く。
それを雪が隠していく。
目の前で全てが真っ白に、何も無かったかのように塗り込められていく。
「だから私はきれいなものを集めてるの。ツリーを飾らなきゃ。
あなたの赤はとってもきれい。だからちょうだい。お父さんも喜ぶわ」
そう言ってふふ、と無邪気に笑ってみせる。
この子は、どうして死んでしまったんだろう。
凍死したんだろうか。それとも自殺? もしかして難しい病気だったんだろうか。
俺は目の前の家を見上げた。
どれぐらいこの子はこの家に宿っていたんだろうか。
誰知れず、ひっそりと、一人。
一年に一度だけ、姿を現して祝い続けていたのだろうか。
クリスマスイブだというのに、硬く雨戸を閉ざしたまま、真っ暗に冷え切ったこの家で。
無邪気な笑顔のその子の胸から何かが剥がれ落ちた。
ひゅうと胸の風穴を通りぬけた何かが俺にまとわりついた。
ああ、そうか。
この子はとっくの昔に虚になっていたのか。
気が、つかなかったな。
「おにいちゃんは、本当に何もかも真っ赤でキレイ。ほら、見て?」
その子の眼に映るのは、紅に染まる自分の姿。
髪や眼はもとより、血塗られたその姿。
刀も死覇装も血にずぶぬれて、魂の奥は赤黒く憤怒に燃え盛って、確かにこれより赤いものもないだろう。
「そうでしょう? だから、私がもらってあげる」
その慈愛に満ちた声に逆らえず、俺は何かを明け渡してしまった。
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