ソリテア 8


「テメエ、覚えてろよ、コン!」
「でもニーサン! うまくいったじゃねッスか! 一護のヤロー、全然気がついてねえッスよ!」
「俺の面子はどうなる、面子は!!」
「知らねえよ、アンタの面子とかよっ!!」
「・・・テメエ、いい度胸じゃねえか・・・・」
「ひぃっ・・・! スンマセ・・・!」
「あ、コラッ! ちょっと待て、コンッ!!!」

愚にもつかぬ言い争いの後、ガラッと勢いよく窓を開けてコンは遁走した。
冷たい風が、びゅうと吹き込んでくる。

「・・・・すまねえ、一護。コンに逃げられた」
恋次が呆然として振り返ると、ペンを握ったままの一護は軽く肩をすくめた。
「って別にうちに捕獲してるわけじゃねえよ。ほっとけ、そのうち帰ってくんだろ」
「いいのかよ?」
「よく家出すんだ、アイツは。ぐるみ権を主張してるからな」
「んだそりゃ?」
「俺にもよくわかんねえ」
そう言って笑った一護の顔が思ったより穏やかで、恋次もつられて口元を緩めた。

「あ、布団、勝手に押入れから出して寝ててくれ。着替えはそこ」
「テメエは寝ないのかよ?」
「あー・・・、俺はもうちょっとやることあるし」
一護はぐるりと椅子を回して恋次に背中を向ける。
やがて、ペンが紙上を走る掠れた音が部屋を満たした。


「へんな服だなオイ・・・」
きちんと畳まれて準備されてたその着替えは、おそらく一護の父親のものだろう。
趣味はともかく、手足にも身丈にも余裕があった。
きっと一護もこの服に合うぐらい大きくなるんだろう。
恋次はまた、一護の背中を見た。

嘗ては別名で呼ばれていた一護の父親のことは、恋次も聞き及んでいた。
本当の意味で家族などなかった恋次には、今の一護の気持ちというのは複雑すぎてわからないが、 それでも一護にとって、かなりきつい状況だというのは見当がつく。

ため息をかみ殺して床に直に敷いた布団に転がり手足を伸ばすと、 慣れない義骸に入ってるせいか、それとも任務自体による緊張のせいか、 ずいぶんと体中が強張っていたのが感じられた。
意識して四肢から緊張を逃して一息つくと、一護も学校の勉強に集中しているのだろう。
気配も霊圧も、とても静かだ。

にしても、床の高さから一護の背中を眺めてみると、 現世の服に包まれた成長途中の身体が、やけに細く幼く見える。
死覇装に身を包み、不敵な面構えで大刀を構える一護は、全てを圧倒するというのに。
だがこれが本来、最初から在るべきだった一護の姿なのだ。
まだ庇護されるべきなのだ。
どんな形であれ、ちゃんと親がいるのだから。
勉学などならまだしも、生死をかけて、命を削って闘う義務などなかった。
それは大人の仕事。
俺たちの仕事。
その筈だった。


遠い遠い昔、恋次にも寝食を忘れて勉学を重ねたときがあった。
実技が重視されてたし、持ち前の霊力がモノをいう世界だったから、 ほどほどの実力を持っていた恋次には、苦痛が少ない世界だった。
何より、力を得ていくあの感覚は、たまらないものがあった。

だが一方で、恋次は醒めていた。
同期の雛森たちのように、隊長格になるという無謀な夢など見はしなかった。
身の程を知っていた。
現実も知っていた。
そこにあったのは死神としての職務をこなせば寝食が保障されるという未来。
天秤にかけるのは容易い。
無謀に逸る心と力を求め続ける本能は、意識にさえ上がらぬよう抑え続けた。

だが ルキアは去った。
嘘も暴かれる。
虚構も崩れる。
世界は一変し、孤児をやっていたころよりも心が荒んだ日々が続いた。



40年だ。
過ぎた時間の重さを、恋次は想った。
それは結果的に救われたが、自身の力ではない。
朽木白哉に無謀にも挑んだあの闘い。
そこに辿り着けたのでさえ、自分の力ではない。
一護に出会う前の自分ではできなかった。
現実と割り切ったフリをして自己憐憫に浸っているだけだった。
そして死の間際、自己犠牲に酔って諦観に侵食されつくす間際に、 恋次の脳裏に浮かんだあの不敵な面構え。
あの眼。
あれが恋次を変えたのだ。
だから恩義とか友情とか、言葉などでは語れない何かを恋次は一護に対して抱えている。
なのに、何もできないでいる。
見守るだけなんて。


くそっ・・・、と恋次は歯噛みした。
「どうした? 眠れねえのか?」
音にならぬ音を聞きつけたか、一護がくるりと椅子ごと回った。
「・・・いや、何でもねえし」
「そっか」

一護は机には向かわず、そのまま、恋次を見た。
「何だ?」
「いや、別に・・・・」

おそらく一護は知りたいのだろう。
自分に起きている異変、死神代行を拒否する尸魂界の意向、 そしてこのタイミングで義骸に入って訪れた恋次の意味。
だが巧く答えられるだろうか?
恋次の身体に緊張が走った。

人というのは、死神を名乗ってさえも弱い。
辛い記憶は意識的に捨て去ろうとする。
その煽りで既に忘れ去られようとしているこの年若き英雄に、納得できる答を与えられるのか?
任務を買って出たのは恋次自身だが、もっとも不適格だったと今は自認できる。
一護に対する思いが深すぎる。
自分にも 甘すぎる。


まるで、人知れず降りてくる霜のように、予期せぬ静けさが部屋に落ちた。
体表から静かに、白く冷たく凍りつかされていくような気がして、恋次は身を震わせた。

「・・・どうした、恋次。寒ィのか? あ、暖房、切れてるか。つけるからちょっと待て」
「いや、別にそんなんじゃねえ」
「つか今・・・」
「いいって!!!」
「・・・恋次?」
一護の目が丸く見開かれた。

俺のこと、構ってる場合じゃねえだろ!
恋次は酷くイライラしていた。
今はテメエ自身のことを考えろよ!
そう、声に出せて、怒鳴りつけることができたらいい。
けれどそれはできないのだ。
緘口命令が敷かれている類のことだし、 それよりなにより、確定してない不安な未来をわざわざ一護に見せる必要は無い。
実際、いつ何が起こるか、誰も知らないのだ。

けれど 一護は、一護だ。
恋次は自分に言い聞かせる。
誰にも、人間にも死神にも虚にも、一護の在り方を予想できない。
だから一護は一護なんだ。
勝手に、自分のレベルまで貶めて一護を制約するな。

「・・・恋次?」

つか、何、俺、一護に期待してんだ。
恋次は嗤う。
夢、見すぎだろ。 いい加減にしろ。
自分の分まで、こんな人間のガキに背負わせるんじゃねえ。

「一護・・・」

ようやく二人の視線が絡んだそのとき、
「ぐ・・・っ・・・」
一護が突如、頭を抱えた。
そしてそのまま椅子から転げ落ちる。
「一護・・・?!」
「・・・・う・・・」
「オイ、一護? どうした?!」
恋次は慌てて立ち上がり、床上でカタカタと震えだした一護を抱き起こした。
だが、腕の中の体は小さく強張り、大きく見開かれた目は焦点を結ばない。

「あ・・・・」
小さな声を上げて、 あっさりと一護は気を失った。
「オイ、一護ッ! どうした、大丈夫かッ?!」
その体からは力が抜け、ぐったりとしている。
「まさか・・・」
総隊長に直接受けた説明を思い出す。
もう兆候は出ている、いつそれが起きてもおかしくない。
ではこれがその兆候の一つだというのか。
恋次は青ざめて、一護の身体を抱きあげた。
と、同時に、
「くそ、何だこれは、・・・ぐぅ・・っ」
ざわりと何かが義骸の内側の、恋次の魂魄を直接、抉るものがあった。
身体の内側をこそぎ取られるような感覚に、恋次の肌が粟立つ。
「まさか、始まるのか・・・・!」
恋次は、一護を庇うように抱きしめた。
だが義骸であるかのように、ぴくりともしない。
「・・・一護」
そしてもう霊圧も感じられない。
「一護ッ・・・・!!」



 *

消えゆく意識の中で恋次が見たのは、
深い深い地の底、うっそりと鎌首をもたげた異形だった。
暗い瞳で 周囲を睨回している。

長い長い、気が遠くなるほどの時間を眠っていた其れは己に問う。
我は在るか。
力は在るか、容は在るか。
まだ名はついておらぬのか。

やがて完全に目覚めた其れは、底深い暗黒に拡散していた己をずるりと引き戻す。
名は無い。
だが、力を容に収め、我を取り戻した。

そして満足げに目を閉じた其れは、ぴちゃんと跳ねた。
跳ねてさらに深きヘと潜る。
次の目覚めを待つ場所を求めて。

そして全てが暗黒に転じた。


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