ソリテア 9
「う・・・・、イテ・・ッ」
どれぐらいの時間、気を失っていたのか。
一護は痛む頭を抑えながら、身体を起こそうとした。
だが四肢がろくに言うことをきかない。
目も開かない。
身体の内側を千の針で掻き取られたような、とんでもない苦痛がまだ体中を満たしている。
今回のは、今までとは桁が違った。
「ち・・くしょ・・・」
それでも一護は諦めない。
痛みが何だというのだ。
大切な人を失くすあの苦しみ、未来永劫続く取り返しのつかないあの虚無の恐怖に比べれば、苦痛など何でもない。
そのために手に入れた力だ。
苦しんで、喚いて、弱い自分と向き合って足掻きつくし、ようやく手に入れた力。
だから耐えられる。
苦痛など、何でもない。
無力であることに比べれば。
「・・・れ、ん・・じ?」
回復して
最初に目に入ったのは、常識離れした深紅の髪だった。
そして人の体の温もり。
正確には人ではないが、恋次の大きな身体が一護に覆いかぶさっていて、
だから動きが取りにくかったのかと一護は苦笑する。
「重い・・・。オイ、恋次。寝てんのか?」
返事も反応もない。
恋次の重い腕から逃れようとしたが、力を失った手足では、そう簡単にいかない。
ふう、と一護は一息ついて、恋次の肩越しに天井を見た。
心地よい重みだった。
力が抜けてずっしりと重く、だからこそ暖かくて、鬱陶しくて、だからいつまでも感じていたいとさえ思った。
だがいつまでもそうしてるわけにも行かない。
身体も痺れてる。
「・・・やっぱ重すぎだぜ、コイツはよ」
なんとか少し身体をずらすと、恋次の顔を見ることができた。
目がきつく閉じられ、眉間の皺も深い。
眠ってるのか?
重い腕を上げて、そっと頬に触れてみたが、ピクリともしなかった。
そのまま顎の線を辿ると、自分のとは全く違う大人の男の骨太な感触。
なのに半開きの唇はあどけなく思えるほど無防備で、そのアンバランスがおかしい。
そういえば食卓ではあんなに大人ぶってたくせに、コンと同レベルで言い争ったりしてた。
闘うときはあんな凄い眼をするくせに、時々、とんでもなく穏やかな表情で自分を見たりもする。
記憶の中のその表情が目の前の恋次に重なって、一護は顔が赤らむのを感じた。
「ああクソッ・・・、阿呆か俺は!」
なんとか気を逸らそうとぶんぶんと頭を左右に振ってみると、頭痛ももうほとんど消えていた。
身体の内側を削られたようなあの違和感は残っているが、そのせいか驚くほど身体も軽い。
完全に抜けたようだと一護は一息ついた。
そうなると気になるのは俄然、目の前の人物。
「コイツ・・・、オトナなんだかガキなんだか、わかんねえよなあ・・・」
誰に聞かせるとも無く呟いた一護は、そっと唇に触れてみる。
思いがけぬほどそれは柔らかく指に馴染んで、一護は奇妙な焦りを覚えた。
何やってんだよ俺?!
大体、寝てるヤツ相手になあ・・・、つか起きてりゃいいのか?!
相手は恋次じゃねえか!!
「ああもうっ・・・!」
やっぱ俺、まだおかしいかも。
一護は、台所で恋次を見つけたときのあの衝撃を思い出した。
共に闘い抜いてきた戦友。
別に、再会できたからといってそこまで驚くことじゃない。
けど嬉しかった。
その嬉しさが尋常じゃなかったから戸惑ったのだ。
死神代行証を剥奪され、尸魂界との交流も途絶え、父親との溝も深く抉れたままだった。
身体もおかしいし、世界から忘れ去れていく、そんな気がしていた。
けれど恋次は来た。
任務の一環ではあるだろう。
けど嘗てと同じ態度で、恋次は恋次のままだった。
心の中の空洞が一気に満たされた気がした。
さっき勉強していても背後に音がするのが嬉しかった。
一人で居るのが好きだったはずなのに、他人の気配をとても贅沢に思った。
たとえそれが、ほんのひと時だとしても。
恋次がいなくなる未来を思うと、胸がきりりと痛む。
一護は眼を伏せた。
「にしてもよく寝るなあ・・・」
一護は恋次の頬をつまんでみた。反応はない。
いくらなんでもおかしくないか?
そもそも大体、こんな状況で恋次が寝てるのがおかしいのだ。
あの恋次が一護を抱きしめてなどという奇妙な状況で。
「恋次・・・?」
一護は恋次の霊圧を探ってみた。
だが恋次の霊圧も、霊子で構成されているという義骸自体からも何も感じられなかった。
「まさか義骸だけ?」
だがあの恋次が、こんな風に抜け出すはずも無い。
そんなヤツじゃない。
もしかして何かあったのか?!
「恋次・・・・? オイ、テメエ、どこにいやがる!」
一護は恋次の腕の下から叫んだ。
「クソ・・・、重いんだよっ!!」
まだろくに言うことを利かない腕で無理やり恋次をどかして起き上がると、
恋次の義骸はゴンと派手な音を立てて床に転がった。
一護は部屋の中を見渡した。
誰もいない。
目を閉じて霊圧を探る。
何も感じない。
うんと遠くまで、神経を集中させる。
まだ現世にいるならば、すぐに見つけられる。
恋次の霊圧なら、間違えるはずが無い。
けれど何も感じない。
空座町のどこにもいない。
しかもそれだけじゃない。
恋次どころか、他にも何の霊圧も感じられない。
篝火のようにこの町のあちこちに漂っていた霊圧が全て消え去っていた。
「・・・・何だ? 空座町に何が起こったんだ・・・?」
一護は愕然とした。
足元もわからない暗闇に投げ出されたような気がして眩暈がする。
「う・・・」
「恋次?!」
「イ・・・・テェ・・・、クソ」
頭の打ったところを擦りながら、のっそりと恋次が身体を起こしたのを見て、一護はほっとした。
「・・・んだよ、心配させんなよ」
「あ・・・・?」
まだ意識がはっきりしないのか、ごしごしと腕で目を擦っている。
軽く胡坐をかいて、大きい背を丸めて、
所在なさげな様子がどうにも、図体だけ大きい仔犬みたいでたまらず、
「よかった・・・」
と一護は恋次を抱きしめた。
「うぉっ・・・、い、一護?!」
もちろん恋次のほうがうんと大きいし、こんな風にしてみると体格差がはっきりする。
恋次も戸惑ってじたばたしてる。
けど構いはしない。
ぎゅっと、思いの丈をこめてきつく抱きしめる。
「オ・・・、オイ、一護・・・・。イテェって・・・」
「よかった・・・。消えたかと思った」
「・・・消えた?」
恋次が本気で腕を突っ張って、一護の身体を離した。
「どういうことだ?」
「・・・いや、俺の勘違いだ」
「そうじゃねえ! オイ、言ってみろ! 何で俺が消えたと思った?!」
「イテッ・・・・、何、マジになってんだよ・・・」
急に血相を変えて両肩を掴み、ガクガクと揺さぶってくる恋次に、一護の眉間の皺が深まった。
「離せよっ!!」
「・・・一護、これを見ろ」
恋次は少し離れて両手を突き出した。
「・・・・破道の三十一、赤火砲」
「止めろ! テメ、ここ部屋の中・・・」
ドンッと破裂音がして、突風が一護に吹き付ける。
部屋中が燃え盛っているのを覚悟して薄目を開けてみると、前と同じ風景。
蛍光灯が明るく部屋を照らすだけで、恋次の掌の上には何も見えなかった。
「あー、びっくりした」
一護は胸を撫で下ろす。
「不発かよ。お前、ルキアにツッコまれてなかったか? 鬼道はへたくそだからって・・・」
ずっとずっと前、虚夜城の壁を破って進んだときの事を思い出した。
あの時も確か、ろくな明りを出せなかったのだ。
もうずいぶん前のこと。けれど鮮明に覚えている。
「・・・見えねえんだな?」
「まぁ気にすんなよ恋次」
「一護」
「テメエはそもそも力技だけなんだからよー」
恋次の目が細められた。
「一護。聞け。小さな火だが、燃えてるんだ」
「・・・・え?」
「手を寄越せ」
鷲掴みにされた一護の指先が、恋次の掌にかかるかかからないかのうちに鋭い痛みが走った。
「イテッ・・・」
一護は慌てて手を引き戻し、恋次を見た。
「何で・・・」
「一護。よく聞け」
恋次は真剣そのものの眼で、一護を真っ向から見た。
「お前の霊力は消えた」
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