ソリテア 10
「え・・・? 今、恋次、何て・・・?」
恋次は自分の掌を見た。
そして、一護の目には届かないその火を握りつぶす。
ジュッっと皮膚を焼く、音にならない音が聞こえた気がした。
「恋次っ・・・!」
「・・・・・・」
物言いたげに開かれた恋次の唇から漏れるのは、息遣いだけ。
声が。
言葉が聞こえない。
「オイッ! 俺の霊力が何だって・・・? 恋次ッ、何か言えよッ!!」
一護は、恋次の両肩を掴み、揺さぶった。
「・・・重霊地が移動したんだ」
酷くしわがれた声が恋次の口から零れ落ちる。
「・・・空座町の・・・? けど、それが何だってんだっ!」
「煩ェッ!!」
恋次の怒鳴り声に一護はびくっと身体を強張らせた。
「・・・悪ィ・・・。けど黙って聞け。頼むから」
苦しげな恋次の様子に、一護は息をのんだ。
「尸魂界でもよくわかってないんだ、なぜ、どうして重霊地が移動するか」
話しながらも、気を失う直前の記憶が恋次の脳裏に甦る。
深遠に潜っていったあの異形。
消え去る前に全てを喰らっていった。
あれがもしかして重霊地の源なのか?
視てしまったのか?
「・・・お前、重霊地のこと、知ってるか?」
「・・・・いや、ほとんど」
「重霊地は、現世の霊的特異点だ。時代時代で場所を移すが、いつ、どうして移動するのかわかってないらしい」
恋次は、一息置いた。
「重霊地には、霊的なものが集まりやすい。尸魂界との関わりも深い。そして移動するときに、全ての霊的なものを消す」
「え・・・?」
「それが目的なのかもしれないし、付随する現象なだけかもしれない。けれど重霊地が移動した後は、重霊地に招きよせられていた霊的なものは、その霊力を失うんだ。喰われると言ってもいい」
意味がうまく飲み込めない。
一護は、大きく息をついて天井を見た。
ひどく静かだ。もう夜中なんだろう。
勉強机の蛍光灯は煌々と輝いてる。
あれからずっとついてたんだ。ずいぶん無駄なことをしたなと一護はあらぬ事を考える。
「・・・わかるか、一護」
恋次は一護の両肩を掴んだ。
一護の焦点が、赤い恋次の両眼に結ばれる。
「尸魂界では、重霊地としての空座町がブレ始めたのと同時に、テメエの霊圧が酷く不安定になってるのに気がついた。だから俺が派遣されたんだ」
意味を掴みかねて、
一護は恋次を訝しげに見た。
「事の成り行きを見極めるために」
「・・・・んだよ! テメエ、全部知ってたって事かよッ!」
「だから俺たちにも全部はわからなかったっつってんだろッ!!」
「けど、けど・・・、俺の霊力が無くなるかもしれないって・・・、それは知ってたんだろッ?!」
「ああ、知ってたよッ! けど俺は副隊長やってんだッ、尸魂界にとっては重霊地の移動はとんでもねえ大事なんだよッ!!」
副隊長とは言っても末端組織の中間管理職に過ぎない。
隊長とは雲泥の差がある。所詮、使い捨てなのだ。
実際、恋次が重霊地移動に関しての末端の処理を命じられ、忙殺されていた。
だがそこへ、一護についての情報が上官たる朽木白哉によりもたらされた。
正確には機密漏えいと言ってもいい。
責務に縛られながらも、朽木白哉さえがギリギリの線で一護を救おうとしていたのを恋次は感じ取った。
それほどの緊急事態だと思えた。
覚悟を決め、全てを、副隊長の地位さえ投げ打って隊長格による空座町駐在の必要性を上訴した。
幸い恋次は、卍解に至っており、空座町にも詳しい。
諸々の事情が考慮され、また隊長格たちの黒崎一護への好意も後押しし、恋次の意見は受け入れられた。
例外中の例外だった。
だが、あまりにも大きな出来事の前に、組織の一員として、死神を名乗るものとして、
現世と一護一人を天秤にかけることさえできず、結局、唯々諾々と命に従うしかなかった。
組織の一員にすぎないと、腹の底から思い知った。
一護は、恋次の胸倉を掴んでた手を緩めた。
「・・・・はっ・・・、そうだよな。俺は唯の代行で、しかも力が消えるときた。尸魂界にとっちゃ・・・」
「そうじゃねえッ!! そうじゃねえんだ、一護ッ!!」
恋次は、連座した隊長格たちの悲痛な面持ちを思い出した。
手の打ちようがなかったのだ。
とにかく、続いた闘いで傷つきながら戦い抜いた人間の少年のことを皆が慮っていた。
出生が何であろうと、どれだけの力を持とうと、人として育ってきた年若き少年。
これ以上、何を背負わせてもいけない、人として生きるべきだと、誰もが心を痛めていた。
そして重霊地。
場としての力と影響力は絶対。
何者もの干渉も許さない。
対する死神は、神を名乗れど所詮、駒に過ぎぬ。
また、重霊地の移動に関する諸現象については解明されていないことが多すぎた。
例えば一護の友人たちのように、霊的なものの干渉で霊力を発現した者は完全にその力を失くす。
それはわかっていた。
だが一護は真血だ。先天的に霊力を備えて生まれてきた。
そこに可能性があるとも思えた。
あの父親も側にいる。
だから敢えて事の成り行きを見守ることにしたのだ。
この件に関しては尸魂界は介入を見送り、自然に任せると。
だがその決定を聞いて、恋次は腸が煮えくり返る思いだった。
結局のところ、一護の価値を見極めると、恋次の耳にはそう聞こえたからだ。
誰も、一護本人の気持ちなどわかろうとしない。
一護の抱えるあの絶望を知るものなどいないのだ。
ただの子供に戻りたいはずなどない。
それがどんなに苦しいことでも、辛くても、
あれは一護が自分で勝ち取った力なのだ。
恋次は居ても立ってもいられなかった。
「一護・・・」
「クソッ、離せッ!!」
「一護ッ!!」
背を向けようとする一護を肩を掴んで引き戻し、恋次はその胸に掻き抱いた。
「すまねえ」
間に合わなかった。何もできなかった。
「離せっつってんだろッ!!」
「離さねえ」
「クソッ・・・・!」
一護は力の限り暴れた。
もがき、蹴って殴り、四肢の全てを使って恋次の腕を逃れようとした。
だが恋次は傷つけられるまま、一護を離さない。
「一護・・・、落ち着け、一護・・・っ!」
「煩ェッ!!」
「一護、頼むから、一護・・・・」
「ちくしょうッ、くそ、離せ、バカ恋次ッ、オイ、離せッ!」
体では恋次から逃げようとしながらも、一護はこのところの変調について考えていた。
あの、身体の内側をこそげ取られるような感覚。
あれはきっと霊力を削られる感覚だったのだ。
最後の発作。あの後には何も残っていない。
ほら、身体が驚くほど空っぽだ。
「くっ・・・・」
一護は急に動きを止めた。
「一護・・・?」
だが答える代わりに、一護の体が震えだす。
「一護、オイ!」
それはどんどん激しくなって、そして爆発した。
恋次の予想とは裏腹に、一護は哄笑していた。
「ハッ・・・、何だってんだよ、今さら! 俺はもうとっくに死神じゃなくなってたんだ!」
「一護・・・」
「代行証もねえし、尸魂界にだって行けねえ。浦原さんたちも消えちまったしな」
「・・・い・・ち」
「見えてるだけだったんだ。魂魄も、それを喰らう虚も。人間のままじゃ大したことはできねえ。すっかり昔に戻っちまってた」
一護は頭を恋次の胸につけた。
「でもさ。俺、何とかなると思ってたんだ。俺には霊力がある。人間のままでも、いざとなったら俺にだって何かできるってさ」
一護はくつりと嗤いを漏らす。
「甘かったよなあ・・・。けどもういい」
「一護!」
「もう、いいんだ」
これ以上、何を失えば許されるというのか。
一護の身体は疲弊しきっていた。
心も壊れそうだった。
もう限界をとっくに超えていた。
どこかにぶつけないとおかしくなりそうだった。
けれど、一護はそれを自分に許せない。
できないのだ。
もう甘え方など忘れてしまった。
「さて・・・と、」
一護は恋次の腕に手をかけた。
ゆっくりと押しのけると、まるで牢獄のように一護をきつく閉じ込めていたそれは、あっさりと外れた。
「一護! ・・・俺はっ!」
恋次は一護の手を掴んだ。
けれど立ち上がった一護の顔は、天井の電灯の逆光になって表情がよくわからない。
「恋次・・・」
今にも泣き出しそうな恋次の顔を目にした一護は、
ルキアを助けてくれと叫んだ悲痛な恋次の姿を思い出していた。
あの時とソックリだ。
ただ、助けられる対象が俺ってのが計算外だけどな。
一護は心を決めた。
恋次は多分、恋次の精一杯をやってくれたんだ。
他のヤツラはともかく、それだけは疑いはない。
そしてコイツにはコイツの役割がある。
これ以上、苦しめちゃダメだ。
「恋次。俺は・・・」
そのとき、恋次の伝霊神機が鳴った。
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