ソリテア 12

「あれは・・・・」

一護が見上げた先、降りしきる雪の闇空にぽっかりと黒く、影のような空間があった。
降りつけた雪が滑って落ちていく。
ならばそれはきっと霊体。
まさか、
「・・・・れ・・・、恋次なのかっ?!」
一護は、降りつける雪を二の腕で避けながらその名を呼んだ。
だが 黒い空間は身じろぎもしない。
一護は、伸ばしかけた手を止めた。
恋次かもしれない。
だが、見も知らぬ他の死神かもしれないのだ。
そして一護の背筋を恐怖が走った。
虚かもしれないと思い至ったからだ。

一護の呼びかけに応じたのか、その黒い空間はすっと降りてきた。
期待と恐怖で混乱した一護は身動きができない。
その目前にそれは立った。

激しく降りしきる 雪が、姿の見えないそれに吹き付けては落ちる。
まるで影が輪郭を得るように、馴染んだあの上背が姿を現した。
忘れもしない。
高く括られた髪も、広い肩幅も、少し寂しげに感じる立ち姿も、すべて恋次のものだった。

「・・・・恋次、だよな」

一護は 思わず駆け寄った。
暗い影は一歩引いた。

「恋次・・・なんだろっ・・・・!」
イラッとした一護は、思わず駆け寄った。
そして胸倉の辺りを掴んで、引き落とす。
不意をつかれてバランスを崩した影は、一護に向かって倒れこんだ。

「な・・・? 恋次・・・なんだろ?」
自分より一回り大きい体躯を支えながら一護が見上げると、 その影は微かに頷き、まとわりついていた雪がはらはらと落ちていった。

「へ・・・へへ、顔が見えねえや・・・」

今更ながら、霊力を失くすという事実を突きつけられた気がしていた。
たった一晩。
けれど何もできない、その無力。
力を欲して、足掻いて、強くなって、その先で絶望を見た。
だが、それでも力があれば何かができた。
前に進むことができていた。
なのに今は、何もできない。

「・・・俺さ・・・・」

恋次の影、胸の辺りに手を添えて、一護は必死で自分の身体を支えた。
油断すると、膝が崩れそうだった。

「俺は、大丈夫だと思う」

一護は、恋次の顔の辺りを見上げた。
そこはぽっかりと暗い空間。
あの赤い眼が見えない。
触れていても、温度も何も感じられない。
不満げに結ばれたふてぶてしそうな口元も、 眉間の皺も、派手な刺青と髪も、ガキみたいな笑い顔も、闘いに挑むあの顔も、 自分だけに見せたであろうあの泣きそうな顔も、もう何も見ることができない。

「俺は・・・!」

失くして初めてわかることがあると言う。
けれどそんなこと、知らなかった。
知らないことさえ認めず、ただ前へと我武者羅に進むだけだった。
あれ以上何かを失くすなんて考えられなかった。
死ぬこと以上に恐ろしいことがあるとも知らず、だから 死なんてものも、怖くなかった。
全て、子供だったせい。

一護はやっと、恋次の言う四十年の時の重さの一端を感じることができた気がしていた。
あの時、一護に願いを託さざるを得なかった恋次の絶望。
そして無力。
その中を、恋次は足掻いてきたんだ。
先も見えない、この暗黒を。

一護は、恋次の両目があるべきところを見上げた。

恋次。今度は俺の番みてえだ。。
けど、お前ができたんだったら、俺にだってできる。
そうだろ?

「・・・・俺は・・・」

目の前の、ぽっかり開いた黒い空間を見ていると、 そこにあったはずの恋次の表情も、 忘れ去っていたはずのその時々の自分の感情も次々と姿を現しては消えていく。
全部、思い出になってしまう。
こんな風に突然、終わるはずじゃなかった。
ずっと一緒に闘っていくんだと思っていた。
けれど恋次と共に在る未来はもう無い。


「・・・・俺、お前のこと、すげえ好きだった」

一護は恋次をぎゅっと抱きしめた。
自分よりうんと大きい身体。
しかもただの影。
けれど、それが恋次だというだけでよかった。
腕の中の恋次の身体は硬く強張ってて、どうせ目も白黒させているんだろうと一護は口元を綻ばせた。
「お前、バカだしガキだし大人だし意地っ張りだし弱虫だし、なんかもう目も当てられねえ感じだったけど・・・」
応える声は聞こえない。
反応も無い。
いつもみたいに怒鳴り返したり殴りつけてくれればいいのにと思いながら、
「でも俺は、お前のことがすげえ好きだったみてえだ。お前と一緒に闘えてよかった」
と、そっとその顔の辺りに手を忍ばせる。
手ぬぐいを巻かれた恋次の額から、眼、鼻、そして唇。
目を瞑ると、さっきみたいに二人で暗闇にいるだけのようで、 こんなふうにいつまでも感じていられるようで、 けれどそれは全くの嘘で、そう思うと居ても立ってもいられなかった。
何かを残しておきたかった。
考えて起こした行動じゃなかった。
気がついたら夢中で口付けていた。
なのに 恋次の身体は硬く強張るばかりで抵抗もない。
一護は重ねてた唇を離し、また恋次を抱きしめた。

こんなバカやっても殴られないのは、これが最後だから。
互いに酷くかけ離れた存在になってしまったから。
さっき触れた唇にももう、温度が感じられなかった。
だから これが最初で最後。
それでも、数時間前に指先に触れたあの柔らかく温かい記憶が今と重なっていた。
ならば俺は きっと、絶対、忘れない。


「・・・悪ィ・・・」
一護は、恋次の身体に回していた腕を解いた。そして、
「行けよ」
と恋次の身体を突き放した。
その弾みで、身体にまとわりついていた雪が零れ落ち、恋次は輪郭を失くす。
ぽっかりと黒く曖昧な空間が代わりに浮かび上がる。

「・・・行け。そして二度と来んな」

いつの間にか雪は小降りになっていた。
もう、恋次の姿は闇に溶け込んで、どこに居るのかさえ一護にはわからない。

「皆によろしく伝えてくれ。ありがとうって」


一護は背を向けた。
向かう先には、煌々と人の世の明りが灯っている。
それが、これから一護が生きる世界だった。



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