ソリテア 13
そして時は過ぎる。
季節も巡る。
一護も友人たちと共に最終学年を迎えた。
春は桜。
降りしきる薄紅が、はしゃぐ人々の後姿を染め上げた。
夏は蒼天。
紺碧の空を見上げると、強すぎる日差しに目を開けられなかった。
秋には紅葉。
過ぎ行く季節に彩られて、足元さえ眩しかった。
そして冬。
雪と氷に覆われて、世界がまた白く暮れて行く。
それは一護が見る初めての、生きる人々だけの世界だった。
美しく儚く、泡沫と消える日々。
嘗て、圧倒的な力を手にしていただけに、翻弄される人々の弱さ、脆さが辛かった。
けれど一年という永遠に近い時を過ごしてみると、
力が無いからこその強い想いや夢に確かな意味を感じるようになった。
一護は18歳になっていた。
「じゃあ健闘を祈る!」
担任の越智の言葉も上の空、
一護は、今期最後のホームルームだというのに、ぼーっと窓越しの空を見ていた。
「つか勝てよ! 勝負は勝ってナンボ! わかったな皆!!!」
「受験は賭けじゃないんですけど・・・」
「はーい、先生も元気でー!」
「あたしゃ正月返上で働くんだよ!」
「越智さん、それじゃあまた彼氏できないぞー!」
「余計なお世話だ、バカたれっ!」
「イテッ・・・」
ガタガタと皆が一斉に席を立つ。
もう終わったのかと、一護がぼんやりとクラス内に視線を戻すと、
終業式後、受験真っ最中の級友たちは、
否が応でも増した緊張感に対抗しようとしてるのか、いつも以上のはしゃぎようだった。
「いーーーーちぃぐぉっ!!!」
「ウルセエ」
早速飛びついてきた啓吾を、一護は拳で迎えた。
いつものようにずるずると啓吾は崩れ落ちる。
それを横目に、こんなバカやるのもあと少しかーと思いつつ、
縁は切れないだろうと確信して安心する自分がおかしかった。
「今日はどうするの?」
「お、水色。そりゃ家に帰るけど・・・」
「ちょっと寄って行かない?」
「そういや水色はもう推薦で決まってんだったな」
「そうだぜ、一護! 今日からバラ色のふ・ゆ・や・す・み!」
「・・・啓吾、オマエ、受験は?」
「ああん、一護さーーん、そんな無体なっ」
相変わらずだなあコイツもと、一護は口元だけで微笑し、
「悪ィ、また今度な。オベンキョーしねえと」
と、もの言いたげな二人を背に教室を出、家路についた。
*
今日は曇った空が暗かった。
この冬、最初の雪が降りそうで、
いろんなものを失くしたあの日のことが心に重くのしかかってきて、どうしても普通に振舞えない。
啓吾や水色だけじゃなくて、他の仲間たちも一護を気遣っていたのにも気がついていたのに。
一護は思わず足元を見た。
新調したばかりのスニーカーはまた爪先がきつくなってきてる。
まだ新しいのになあ、今度は2サイズぐらいデカいのを買うかとスニーカーの中の指先を動かしてみた途端、
世界がぐにゃりと歪んだ。
「・・・くっ・・・、またかよ・・・・」
突然襲った頭痛と違和感に、一護はふらふらと人気のない路地に人目を避けて入り込む。
もう街灯には明りが灯りだしていた。
空座町が重霊地ではなくなったと聞いてから一年近くが経つが、一護の状態は安定から程遠かった。
最後の発作ほど重いものはなかったが、いまだに頭痛や奇妙な感覚に悩まされている。
そしてそれは、ここしばらく酷くなってきていた。
あの時、同時に霊力を失くした仲間たちは、最後の発作をきっかけに何もないというのだから、
虚の力まで手にした一護にだけ特有の後遺症なのかもしれない。
「ち・・・くしょ・・・・」
痺れが走る頭を抑えながら、結局ただの病気なのかもしれないなと一護は空を見た。
以前と同じように振舞いながらもめっきり口数を減らした父親は、
一護が苦しんでるところにも出くわしたこともある。
だが何も言わないかった。
つまり、できることは無いということだろう。
訊き正す気にはならなかったのは、ただの反抗心のせいではなかった。
一護は理解していた。
父親は父親の生を生きた。信念を貫いた。筋も通っている。
母親のことを誰より大切にしていたのもわかった。
そして今は家族のことを一番にしている。
霊力がまだあるのかどうかは知らないが、元が死神というのなら影響はなかったのだろう。
だが人として生きている。
そう父親が決めたというのなら、それでいい。
全て頭では納得できてた。
けれど心はまだ軋んでいた。
この無力さえ、一旦、口にすると他人のせいにしそうで、自分の弱さが露呈しそうだった。
だから一護は口を噤んだ。
結局は自分の中で解決すべき問題だと、わかっていた。
「イ・・・・テェなあ・・・」
苦痛に苛まれながら、一護は空を見上げた。
いつになく弱音が零れ落ちる。
「あ・・・、雪、かぁ・・・」
クリスマスまで数日残していた。
この細い路地にまでクリスマスソングが鳴り響いてくる。
そして、底抜けに明るいその音楽に呼ばれたように、ちらほらと白い雪が降り込んで来る。
それがなぜか心に痛い。
妹たちは霊力の無い日常にすぐに適応した。
元々、妹たちにとって、さほど意味のある力ではなかったともいえる。
家中をクリスマスの飾りで華やかに飾り立て、一護の帰宅を待っているだろう。
もちろん一護自身も、仲間たちと一緒にまた同じ道を歩き始めたと思っていた。
実際、受験準備もして、空手も再開して、妹たちともたくさん遊んでやって、うまくやっていると思っていた。
過去は過去のまま、ちゃんと前へ進めていると思ってた。
なのに雪をまた見るだけで、こんなに辛い。
「アイツ・・・、元気にしてっかなぁ・・・」
こんな雪の日に恋次という名を口に出したら、何かが崩れてしまいそうだった。
「・・・・ッ!!」
不意に頭痛が激しさを増した。
全身が刺されるように痛む。
霊力を失くした時とは違う痛みだが、明らかに同質の違和感。
また何かが起ころうとしてる。
「もう・・・、霊力なら無えぜ?」
背にしたガードレールを支えにずるずると崩れ落ちながら、何も見えない空に向かって問いかけてみる。
「持ってって得するようなもんは、もう、なーんも残ってねえ・・・」
一護の呟きに答えるように、雪が段々と激しさを増していく。
そして地面に座り込んだ一護の全身を刺しながら降り積もる。
体中を粉々にされるような痛みに、遠い昔の闘いを思い出した。
あれは痛かったなあと一護は苦笑する。
今も痛い。
呻き声を堪えて身体を丸めた時、気づいた。
「あ・・・、あったか」
まだ、大事に持っていたもの。
残されていたもの。
それは命。
そういうことか、と一護は納得した。
たったひとつ、この手に残されてたそれ。
命さえも消えるというのか。
「・・・アイツ、迎えに来てくれっかなあ」
じゃねえと、すぐにでも虚になっちまいそうだ。
胸の辺りがスカスカするぜ。
アスファルトに横たわったまま一護は、ぼんやりと空を見上げた。
そしてそこに、雪が避けて降るあの黒い空間を見つけた。
あれは多分、霊体。
朦朧とする意識が見せる夢なんだろうか。
「・・・・れ・・ん・・?」
それとも虚か?
俺を喰らおうというのか?
そうしたら俺は消えるのか。
手を伸ばそうとした。
けれどそのまま暗黒にのまれて意識ごと消えた。
*
「ヨウ、久しぶりだな・・・」
再び取り戻した朦朧とする意識の下で目にしたのは、薄暗闇にも鮮やかな赤だった。
街灯の明りに照らされて仁王立ちに見下ろしてくる相変わらずの横柄な態度。
けれど、
やっぱり迎えに来てくれたんだと、一護は嬉しくなった。
「遅かったじゃねえかよ」
口を突いて出てくるのは当然、憎まれ口。
けれど返ってきたのは、
「・・・・一護?」
静かな消えそうな声で呼ばれる自分の名。
懐かしい、あの声。
こんなに早く会えるとは思わなかった。
けれどそれの意味することを思うと胸が痛む。
「あのさぁ、俺。ちゃんと皆にお別れ言いたいんだけどさ・・・・」
「い・・・ちご?」
「魂葬される前に、ちょっとだけ、俺ん家、行ってもいいかな?」
もう霊力は失くしてしまった妹たち。
けれど父親なら、死んで魂魄だけになってしまった自分も見えるかもしれない。
見えなくても、書置きぐらいできるかもしれない。
死体が発見される前にメッセージ残すのも変だけど、けどやっぱり何も言わずに向こうには行けない。
だってまだ、やり残したことがたくさんある。
受験勉強だって必死にやった。
空手だって死に物狂いでやった。
ダチとも楽しくやった。
やっと、人としての生活を受け入れられるところまできてたんだ。
なのにこんな終わり方なんて。
「・・・一護?」
「・・・・俺、やっぱまだ、死にたくなんかなかった」
「一護?!」
「ああ、テメエにはまた会いたかったさ! けどまだだ! まだ何にもやってねえ!
死神じゃなくなって、空っぽのままで、まだ何にもしてねえんだっ!!」
怒る先は恋次ではない。
それはわかっていた。
けれど溜めに溜めていた感情の奔流を止められなかった。
哀しくて辛くて悔しくて、けれどどこかで嬉しい自分が情けなくて、どうしていいのかわからなかった。
「なのに何で今なんだよッ・・・!」
一護は胸を押さえ、そこに連なる鎖を引きちぎろうとした。
だが、
「・・・あれ? 無ェ・・・」
キョロキョロと見渡しても、胸の鎖も地面に転がってるはずの自分の死体もない。
「何で・・・・? 俺はどこだ?」
「・・・・一護。テメエはそこだろ」
恋次は、深く皺を寄せた眉間を押さえていた。
一護の頬に、みるみる朱が上る。
「えっと・・・」
「落ち着け。俺もテメエをわざわざ殺して魂葬するほどヒマじゃねえよ」
「んだとッ!!」
苦笑した
恋次は、一護の両肩にゆっくりと手をかけた。
「・・・一護。お前は死んじゃいねえ」
「けど、俺、お前が見える・・・」
「ああ、そうみてえだな」
「何で・・・? あ、もしかしてテメエまた義骸に入ってんのか?」
「わざわざ死覇装つけてか?」
「え? けど、じゃあなんでっ・・・?!」
「霊力が戻ったんじゃねえか?」
「は・・・・?!」
あまりにも間抜けな一護の表情に、恋次は苦笑を重ねた。
そして伝霊神機を指差してみせる。
「さっき連絡が入った。空座町がまた重霊地に戻ったらしい」
「は・・・・?」
「戻ってきたんだ」
「何でッ・・・・!!!」
「さあな・・・」
だが恋次は知っていた。
一護の父親が深くそれに関わっていたことを。
重霊地は、時代時代で場所を移す。
霊なるものを呼び寄せては喰らい尽くし、また違う場所へと移動する。
そこは必ず、その時代で一番霊的濃度の高い場所。
どんな遠くにあっても、血を嗅ぎわける鮫のように、その地を探り出し、そこで眠りに付く。
そして永い時を待つのだ。
一護たちの霊力が消え去ったあの日。
恋次は見たのだ。
機が熟したとばかりに一護の霊力を根こそぎ喰らった其れが去るのとほぼ時を同じくして、
一護の父親が空座町の奥深くに向かって、自分の霊力を解放したのを。
その膨大な霊力は、空座町を天まで覆いつくした。
そしてそれはこの一年、続いた。
やがてその力も枯れようとしたこの冬、
空座町を離れ、深きに潜っていた其れは、世界をゆっくりと巡った後に、戻ってきた。
そして満足そうに一護の父の霊圧を喰らい、己を拡散して、この地の深遠へと潜って眠りについた。
重霊地へと戻った空座町は、霊的特異点としての安定をすぐに取り戻した。
恋次は、一護を見遣った。
まだまだ混乱の真っ只中らしく、呆然としている。
実のところ、
一護の父親の取った行為が何を意味していたか、恋次は知らない。
空座町から全ての霊力が消えた後も、残り火のようなものだったが、一護の霊力は微かにあったのだ。
だから何もしなくてもいずれ一護は霊力を取り戻していたのだとは思う。
だが父親なら、一護のあの不安定さを理解していたのだろう。
大きすぎる代償だったと。
即刻の処置が必要だったと。
結果的に、ここが重霊地として復活したことをきっかけに、一護の霊力が戻ったのは確かだ。
けれどあの男が、息子にそのことを話すことはないような気がする。
だが父子というものはそういうものなのかもしれない。
ならば恋次も口を噤むだけ。
誰にも何も言うまい。
>>ソリテア14 (最終回)
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