ソリテア 14 (最終回)
「あ、あのさ、恋次」
「なんだ?」
ようやく我を取り戻して声をかけてきた一護を、恋次は鋭い目つきのまま見下ろした。
何か俺、悪いことしたか?!
睨みつけられて、一護は戸惑った。
霊力が戻ったのはともかく、この無愛想さはなんなんだ。
一護は唐突に、去年の雪の日のことを思い出した。
つか
最後に俺、何、したっけ・・・・?
思い出すと頬が焼けるように熱くなる。
もしかして恋次、あのことをまだ根に持ってんじゃ・・・。
今度は血の気がさっと引く。
「一護・・・? 顔色、悪ィぞ?」
「な、なんでもねえ・・・」
「マジでか? まだ調子、悪ィんじゃねえか? ちょっと見せてみろ」
「うぉっ?!」
しゃがみこんで急接近した恋次の顔に、一護は慌てて飛びのいた。
「・・・んだ、元気じゃねえかよ」
「ったりめえだッ!!」
後ろ手をついたまま真っ赤になって吼えてくる一護に、
「・・・ピンピンしてんな」
と恋次は苦笑を返した。
「ほら、立てよ。元気なんだろ?」
「煩ェッ! 自分で立てらぁッ!!」
差し出された手を振り払い、バネを利かせて勢いよく立ち上がった一護に一歩遅れて恋次も立ち上がった。
だが一護には、あの圧倒的な上背が感じられなかった。
一年前より、うんと近いところに眼がある気がする。
「あ・・・れ・・・?」
「背ェ、伸びたな」
恋次にポンと頭を叩かれ、やっと気がついた。
仲間たちもどんどん背が伸びていたから、気にしてなかったのだ。
「へ・・・へへ」
笑いが零れそうなのを堪え、一護は照れ隠しに俯いて頭を掻いた。
さっき、恋次の大きい手が触れたところ。
こんな風にされたのはずっと前だった気がする。
自分の両手を見ると、力がそこにあるのが見える気がした。
集中すると、掌に熱い何かが戻ってくる。
見回すと、灰色に閉じられていた世界が色を取り戻していた。
幼い頃から慣れ親しんできた色と形。
目だけでは見えない存在を感じる。
これが一護の世界。
全てが還って来た。
胸がいっぱいで、鼻の奥までつーんと痛くなって、
母親を失くして以来、人前ではほとんど見せたことの無い涙が零れ落ちそうで、やってられない。
一護は勢いよく、頭をブンブンと左右に振った。
「一護・・・? お前、本当に大丈夫か?」
「あ・・・、俺さ!」
「何だ?」
「俺、また空手始めたんだ。他の武道もやってみようと思ってる。せめて体術、極めようと思ってさ。俺、かなりいい線、行ってんだぜ? それと高校ももう終わるんだぜ? 受験、うまくいくかわかんねーけど、終わったら大学に行く」
「一護・・・?」
「あー・・、尸魂界でもそういうのあんのかな? まあいいや。つまりまあ学校だよ、ガッコウ! けど今度はバイトしながら一人暮らしすんだ。学費は親父から借りるけど。けど今度は自分でやる。それでな、恋次、俺さ、・・・」
「オイ、一護、一護って!」
「あ・・・?」
「落ち着けって」
息つく暇もなく喋り続ける一護の両肩を恋次が掴んだ。
「え・・・?」
軽く揺さぶられて、一護は、ゆっくりと面を上げた。
目前には恋次の顔。
細められた眼の奥、赤い虹彩がゆらゆらと揺らめいている。
いつもみたいな挑むような光も、揶揄する光もなかった。
それはただまっすぐに一護を見つめていた。
「あのなあ、一護」
「・・・んだよ」
「よく頑張ったな」
「・・・・・・う・・・」
たまらず
一護は、恋次の胸倉にしがみ付いた。
まるで子ども扱いだったというのに、いつもなら絶対反抗してしまうのに、
素直な恋次の気持が押し寄せて、あっという間に堰が切れた。
地面に向かって水滴がぼたぼたと落ちていくのが見える。
堪え切れなかった。
こんな時にこんな風に不意打ちで優しくする恋次はズルいと思った。
胸の奥にしまっていたいろんな感情が走馬灯のように廻る。
廻って一護を振り回す。
けれど背に回った恋次の大きな手が、まるで碇のように一護を引き止めている。
ここが一護のいる場所だと。
もう我慢する必要がないのだと言ってくれてるようで、一護はぎゅっと目を瞑った。
流すだけ流すと、終わりがないように思えた涙もやがて止まった。
そっと眼をあけると、また雪が降り出している。
白い粉雪が、恋次の死覇装にぶつかっては滑り落ちる。
ほんの少し前までは、今、掴んでいる死覇装の色さえ見えなかったのだと思うと、
手の中にある確かな存在感の意味がとてつもなく大きく思える。
「落ち着いたか?」
恋次の手が、ぽんぽんとあやすように軽く一護の背を叩いた。
「・・・・せぇよ・・・」
「ほら、鼻拭け」
「煩ェっつってんだろ!」
「おーおー、勢いのいいこって・・・」
「ああクソ、バカ恋次!」
「お前なあ・・・、怒ったり泣いたり忙しすぎじゃねえか?」
「煩ェッ!!!」
「うぉっ?!」
だが絶妙のタイミングで繰り出したはずの蹴りは、恋次の両腕によって阻まれた。
「テメエ、恋次のくせにやるじゃねえか・・・」
「ヘッ、テメエごときの不意打ちなんか喰らうかよ?」
「・・・クソ、見てろよ! 今度は泣かす!」
「やってみろ、テメエごときにできるんならな?」
物騒な物言いとは裏腹に、目があった二人は期せずして同時に笑った。
恋次は嬉しかった。
顔を子供みたいにぐちゃぐちゃにしながらも、一護らしいあの不遜な眼つきが戻ってきている。
恋次はこの一年、霊力が異常に増大した空座町の防御と同時に、
いまだ不安定な存在の一護を観察するという名目で、この地に駐在していた。
一護をずっと護っていたのだ。
本人の知らぬところで。
そしてずっと見ていたのだ。
朝も昼も夜も、自分の存在を感じることさえできない一護が、人として生き直す様を。
一護は、表面的にどんどん強く明るくなっていった。
だが同時に、心がどんどん閉ざされていっているように見えた。
声もかけてやれない。
ケンカのひとつもしてやれない。
何もできない自分が歯がゆかった。
無力ならば存在自体に意味がないのだと、改めて思い知った。
「一護・・・」
想いが溢れて堪えきれず、手を伸ばそうとした瞬間、一護が猛烈な勢いで抱きついてきた。
「恋次ッ!」
「うぉっ?!」
「俺・・・、戻ってきたんだ」
冷たいアスファルトの上に尻餅をついた恋次に圧し掛かったまま、一護は呟いた。
「・・・おう」
「俺、たぶん、強くなったと思う」
「一護」
「俺、いろんなこと頑張って、鍛えたけど、一番強くなったのはココだと思う」
そう言って一護は自分の胸に拳を当てた。
「ああ、そうだな・・・」
この、皆に愛された子供は、それに溺れることなく先へと進む。
あんな辛い状況でも、自分にできることを模索して歩き続けた。
心の中で泣き叫んでいても、それは絶対に見せない。
意地っ張りもここまで来ると才能だぜと呆れながらも、
それこそが一護の強さの源だと、恋次は改めて思い知らされた気がしていた。
「ああ、そうだ。お前は強くなったよ。俺は見てた」
「え・・・?」
片手で二人分の体重を支えながら、もう片方の手で恋次は一護を抱きしめた。
腕の中、きゅっとその体が強張る。
「ずっとずっと、俺は見てた。だから知ってる」
「え・・・、ええっ?!」
一護は腕を突っ張って恋次から逃れた。
「ちょ・・・と待てよ、ずっとって・・・? つか何でテメーが?!」
「そりゃー見張りだよ、見張り。テメーが悪さしねえかって」
「んだよソレッ!!」
「尸魂界の命で、四六時中、張っついてたんだ。知らなかっただろ?」
にやりと笑って見せる。
「あ・・・・!」
一護の顔が赤くなったり青くなったりするのを眺めながら、恋次は思い出していた。
昨年の冬、霊力を失くした直後から妙に明るく振舞っていた一護は時折、奇妙な行動を見せた。
街角や家の中、突然、あらぬ方向に走り出すのだ。
宙から一護を見ていた恋次には、その理由がわからなかった。
もしかしたら何か妙なもんが見えてるのかもしれない。
あるいは虚に惑わされてるのかもしれない。
危険はないようだが、万が一ということはある。
だから一護の背後につくようにした。
そして恋次が耳にしたのは、己の名。
踏み切りで、交差点で、店の曲がり角で、そして自宅の窓際で、
一護は小さく恋次の名を叫んでは駆け出して行った。
視線の先にもちろん、恋次が居るわけがない。
そんなところにいるはずがないのだ。
そもそも見えるはずもない。
一護もわかっているはずだった。
それなのに、それは何度も繰り返された。
その度に肩を落として、それでも心配する家族や友人たちに明るく振舞ってみせる一護を見るのは辛かった。
だから。
「安心しろ」
万感の思いを込めて、恋次は一護の頬に手をやった。
俺はここにいるから。
あんなふうにもう走り出さなくていいから。
だが恋次の思いを他所に、一護は顔を真っ赤にしていた。
どうやら怒っているようだと見当がついたとたん、
「・・・つかテメエ、見たのかッ?!」
と胸倉を掴んでくる。その真剣さがおかしくって、
「何を?」
とぼけて見せると、まるで茹だったように赤かった一護の顔がさらに首まで朱に染まる。
「何ってテメエ・・・!!」
「ああ、見たぜー、あんなのやこんなの」
「・・・・!!」
「けどまあ安心しろ。別に便所や風呂には付いていってねえから」
「ったり前だッ!!」
「あ、マスかきそうな時も部屋から出たから安心しろ」
「・・・・ッ!! ・・・・こんの・・・クソ恋次ィッ!! 今度という今度は許さねえッ!!」
無我夢中で殴りかかってきた一護をひょいと交わした恋次は、そのまま抱きこんだ。
「う・・・・・んんっ・・・・!」
そしてジタバタともがき続ける一護の反抗などものともせずに、
この一年、重ねてきた想いを込めて、恋次は一護に口付ける。
あの夜。
一護が思いの丈をぶつけてきたときは正直、戸惑った。
好敵手で戦友で、いろんな想いがあったのは確かだが、
まだまだ子供だと思ってた一護が、そんな風に自分を見ていたとは知らなかった。
青天の霹靂と言ってもいい。
だがこの一年、一護だけを見てきた。
一護が呼ぶ、己の名を何度も耳にした。
やがてその声は、耳に木霊して消えなくなった。
ほだされたのかもしれねえなあ。
そんな自分に苦笑を止められなかったが、実のところ、そんな浅い思いじゃないのは自覚があった。
やっと触れることができた。
恋次は充分に一護の唇を味わった。
魂魄のままだが、一護の持つ熱が伝わってくるようで、柔らかくて、
あの時に一方的に交わされた口付けよりもずっと甘く感じられた。
一護の唇を貪りながらも、自分が笑んでいるのがわかっておかしかった。
反抗が止んで、代わりに恋次の死覇装にしがみ付くようになった頃、ようやく恋次は一護を解放した。
顔を赤くしたまま、
はっはっと息を切らしてるのが可愛らしくて、つい頭を撫でてやると、
「テ、テメーッ!! 何しやがんだっ!!」
「・・・つかテメーが最初に手ェ出してきたんだろ」
「けっ、けどッ・・・、今は、なんていうか、あん時もほら、アレだったし・・っ」
二の腕で口を隠しながらしどろもどろと訳のわからないことを言い募る一護を見てると、どうしても笑ってしまう。
「なんだよ。もう時効なのか?」
「そ、そんなんじゃねえっ!!!」
「そうか。ならよかった」
途端に一護の顔が真っ赤に染まる。
恋次は笑みを抑えず、
「安心しろ。テメーが童貞なのはわかってっから」
「な・・・・!」
「別に期待してねえよ、テクとかそういうのはよ?」
「ク・・・、クソッ! なんてこと言いやがるバカ恋次ッ!!」
あの時はヤケに物慣れた風に見えたのにな?
火事場の馬鹿力ってヤツか?
今にも卒倒しそうな勢いで怒り狂っている一護を前に、恋次は背を丸めてくつくつと笑い出した。
「まあ、のんびり待ってっから」
「何をだよッ?!」
「そりゃあもう、成長ってヤツ?」
「テメエ、クソ恋次ッ!!!」
一護はまた殴りかかってきた。
それをかわしながら、恋次はさらに笑った。
今でも覚えてるんだ、一護。
あのときの泣き出しそうなテメエのツラ。
けど強い光だった。
全てを失くしたというのに、お前の目は強くて、もう前を見てた。
俺は、当事者のお前よりずっと弱かった。
キツかったよ、正直。
俺のことを見えないお前ってのを認めるのが。
もう肩を並べて闘えないってのを受け入れるのもイヤだった。
なんだか俺の足元まで崩れたようなそんな気がしてた。
けど一年だ。
この一年、テメエをずっと見てた。
年端もいかねえ、自分よりうんと強かったガキが力を失くして、それでも足掻き続けるのを見るのは楽じゃなかった。
誰よりも傲岸不遜に全てを叩き潰していたテメエが、護られる側になるのも耐えられなかった。
けどテメエはテメエだった、一護。
力があろうがなかろうが、やっぱ強かったよ、テメエは。
「俺の負けだよ、俺の負け」
恋次は両手を挙げて見せた。
「はい、コーサン。だから止めろって」
殴りかかってた一護は手を止めて、不満そうに唇を突き出す。
「ったりめえだ。テメーが俺に勝てるわきゃあねえんだよ」
「・・・・言ったな?」
「オウ、言ったがどうした、やんのか、あァ?!」
だが一護の挑発には乗らず、
恋次はすっと立ち上がった。
「やんねーよ、今は」
「・・・んだよ」
袴の埃を払う横で、一護も立ち上がる。
「やるんなら、テメーが死神化してからだ。キッチリと勝負つけようぜ?」
「え・・・・?」
「尸魂界のほうでもいろいろと考えてんだよ」
「ってことは・・・!」
「ああ。多分じきに代行証、届くと思うぜ?」
「マジかよっ・・・・!」
「つかまたテメエ、こき使われんだぜ? 嬉しいのか?」
「嬉しいに決まってんだろッ!」
「・・・・そうか。そうだな」
このどこまでも真っ直ぐな少年が、あの老獪どもに利用されるのかと思うと、一抹の不安が過ぎる。
けれど一護を大事に思う隊長格は少なくない。
あの総隊長でさえ「恩義」などという重々しい言葉を口にしたりしていた。
ならば信じてみようかとも思う。
信じることで仲間と力を得てきたこの少年のように。
「あ、そうだ。お前、義骸、あんのか?」
「おう、一応な」
「じゃあ今度、それ入って来いよ」
「・・・いいのか?」
「ああ、今度、クリスマスだろ? パーティやるって張り切ってんだ、遊子や夏梨が。
つかあいつら、うるせえんだよ、あの派手なにーちゃん、また来ねえかってよ」
「・・・行ってもいいけど、俺、一年前に借りたお前の親父の服だぜ? アレ以来、義骸、使ってねえし・・・」
「ってあのTシャツとジャージかよ?!」
「・・・・・しょーがねえだろッ! テメエん家に全部置いたまま出て来ちまったんだからっ」
「じゃあアレだ、お前、サンタやれよ!」
「さ・・んた?」
「真っ赤なお鼻でテメーの地味な赤火砲にぴったりのド派手な衣装だ? うん。よく似合うと思う」
「テ、テメー・・・、古い話を・・・」
路地から大通りへと出ると、華やかなイルミネーションが、クリスマス前のひと時を彩っていた。
「帰ろうぜ!」
恋次の答を待たずに一護は駆け出す。
頬に当たる雪は冷たい。
灰色の空間を白く眩しく埋め尽くしていく。
だけどもう空を見上げて、飛ぶ夢を見たりはしない。
一護は少しだけ眼を瞑った。
そして過去に別れを告げる。
ただ前へと進むために。
2008.12.18 - 30, 終わってみればクリスマスとは程遠かったクリスマス企画。
読んで下さってありがとうございました! >>あとがきのようなもの
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