気が付くと、見たことのある天井。
覚えのある匂い。
すこし湿った布団。
そして怒ったような一護の声と、朽木隊長の静かな声。
何を話してるのかは聴こえない。
水の中にいるみたいに全ての輪郭が曖昧だ。
なんてヘンな夢見てんだ。
一護の部屋で、一護と隊長のケンカ、か。
ありえねー。
「起きていたのか」
でもそれは、まぎれもない隊長の声と霊圧。
慌てて身を起そうとするが、オンボロ魂魄に義骸が従うはずも無くギシリと軋む。
「おいっ、まだ寝てろよっ」
慌てた一護が駆け寄ってきた。
何とか半身を起した俺を支えるように横に座る。
「ルキアが心配している」
隊長の言葉に、心臓が飛び跳ねる。
「すみません、今行きます」
「まてよ。無理だろうよ。ふらふらじゃねーか!」
ベッドから抜け出ようとした俺を、一護が引き止めた。
でも、ルキアが心配してんだよ。帰んなきゃ。
そこ退け、邪魔だ馬鹿野郎。
「他人の心配してる場合じゃねーだろっ。
テメーのツラ、見てみろよ。だからルキアが心配するんだろっ。
そーいうの本末転倒って言うんだよっ、この馬鹿野郎っ!!!」
・・・うるせーよ。一々怒鳴るな。オマエが怒ってどうする。
落ち着けよ馬鹿。それに抱きつくんじゃねー、隊長の目の前で。
「では、私は戻る」
俺の内心の焦りには構わず、
隊長はいつもの平坦な声の調子で続けた。
窓から差し込む月の光に照らされ、その横顔は冴え冴えとした冷たさを増す。
また見下げられたなという自嘲の思いが胸を刺す。
「隊長・・・」
「恋次。ルキアが待っている。
休暇は延長するから、完全に回復してから戻って来い」
冷たい侮蔑を映しているであろうその眼を見れない。
「では兄にはよろしく頼む。」
一護に声をかけ、振り返ることも無く隊長は去った。
後に残ったのは、不在という名の空虚。
何が起こったのか理解不能でしばらく呆然としていたが、一護に軽く頬を叩かれ我に返った。
「いーから、寝てろ。」
酷く優しい調子で囁いて、まるで
壊れ物を扱うように、一護が俺の体を横たえた。
借り物の身体なのに。
幾らでも挿げ替えがきくというのに。
そんなことはわかっていても、この子供はやはり丁寧に扱うのだろう。
壊れないように、痛まないように。
きっと、死んだ蝶さえ大事に布に包んでから埋葬するに違いない。
慈しんで育てられた子供特有の優しさ。
「・・・・いーからオマエ、今日はもう寝ろ。な?」
ベッドの脇に座りこんで、一護は俺の髪を梳きだした。
何か哀しげな曲を低い声で歌っている。子守唄のつもりだろうか。
髪を指に絡めながら、何度も何度も髪を梳く。
指が髪の間を縫って地肌を撫でるたびに軽く頭が揺れる。
ゆらゆらと、まるで小船か何かに乗っているようだ。
ああ、揺り篭ってこんなんだったっけなーと、無いはずの記憶が甦る。
薄く眼を開けるとそこには、月の光を反射する一護の静かな眼。
不思議だ。
同じ月の光でも、一護に当たると温かみが増すような気がする。
そういえば、こいつの斬魄刀は斬月だったな。
月を斬るといいながらその月にさえ慈しまれるのか。
つらつらと思考の波を漂いながら、俺は眠りに落ちた。
◇
戌吊の夢を見ていた。
誰もいない。
ルキアも他の仲間もいない。通りには目が澱んだ大人だけ。
子供の俺を食い尽くそうと舌なめずりをしている。
好きにすればいい、と思った。
身体を投げ出すと、飢えたそいつらは群がる。
血肉を啜り尽くされ、骨さえも砕かれ粉となり、残った意識だけがふわふわと宙を漂う。
おつかれさん、と
自分を労う。
よくがんばったよ、俺。
エライ、エライ。もう楽になっていいぞ。
けれど、
安らいで消えようとしていた俺の意識を嘲笑うかのような、
けたたましい笑い声が耳を劈いた。
「おいおい、本当にエライのかぁ?」
誰だ?
聞き覚えのある声。
「俺だよ、俺」
眼を向けるとそこには血のような虹彩と髪、闇を映すひび割れのような刺青。
「俺はオマエだよ。そっくりだろぉ?」
ケラケラと高い声でひとしきり笑った後、ひたと此方を見据えてくる。
紅く引き裂かれたような口が気味悪い。
「エライだぁ? ただの自己満足じゃねーか。
自分で自分を喰らっといてよく言うよなァ。
美味かったかァ? 自分を哀れむのは気持ちいもんなァ?」
指差す方向、塵になった死骸の方を見ると、群がって残り物を漁るのは、俺。
やせ細った身体に紅い髪を振り乱し、ギラつく眼。
口元には黒く乾いた血がこびり付いている。
まさに餓鬼、だ。
なんて浅ましい。
「浅ましいーよなァ。アレがオマエだよ。
自己満足に浸って、何も見ようとはしない。
自分の血肉を自分で喰らっておいて、知らん振りだ。
他人のためなんていいながら、本当は全部自分のためじゃねーか。
実につまんねー人生だな?」
ソイツは俺の耳元に囁く。
「ルキア、幸せになってよかったなァ?
オマエの無駄な努力のおかげかよォ? まさかなァ?
取り戻すだァ? 無理無理!
オマエみたいなヘタレには無理だろ?
あのまましといてやれよ。
強くて貴族様の朽木白哉が幸せにしてくれるぜェ?
オマエみたいな副隊長止まりはお呼びじゃねーって」
わかってるさ。だから身を引いた。
歯を噛み締める音がギリ、と耳に響く。
「身を引いただと?
おっかしーなァ、オマエ。おもしれーよ!」
ソイツは腹を抱えてゲラゲラ笑う。
「引いたんじゃなくて負けたんだろ? 叩きのめされたんだろ?
腹ん中じゃぁ悔しくって辛くって寂しくって、殺したいほど憎んでるんだろ?
連れ去った朽木白哉も、勝手に幸せになろうとするルキアもなァ?」
怒りと恥辱で目の前が真っ赤になる。
「・・・・本当は寂しいんだろう? 半身だっけなぁ、ルキアはオマエの。
今でも半身を千切られた後の傷は疼くんだって?
毎夜、血を噴出すんだろう? 痛くて痛くて呻いてんだろ?
ルキアの方はどうなんだろうなぁ? きっと平気だぜ?
義兄妹ってヤツを楽しくやってるだろうからなァ。
オマエはもういらないんだよ。用無しなんだよ、とっくの昔になぁ!
ほら、また血が出てるぜ。俺が舐めてやろうかァ?」
見えるはずの無い傷を抉ろうとするソイツを、いつの間にか手に持っていた刀で切りつける。
ひょいと身軽にそれをかわしたソイツは俺の背後に回り、腕を廻して抱きつく。
ぬるりと冷たい腕。
「殺せよ」
紅い眼が覗き込んでくる。
「殺してしまえば楽になるぞ」
甘美な誘惑。
ルキアを殺して、独りに戻る。
自由になる。
俺のいないところで幸せになるルキアを見なくて済む。
確かにそうなんだけどな。
「・・・・・オイ、何哂ってんだ?」
ソイツが眉間に皺を寄せ、不安げな表情を見せる。
哂ってる?
ああ、俺か。
この哂い声は俺が立ててるのか。
「何がおかしい?」
だっておかしいだろ。
ルキア殺してなんになる?
アイツがいなくなってどうやって生きていけるよ?
意味ねーよ、そんなの。
俺なら絶対そんなことは言わねぇ、テメーは俺じゃねぇ。
俺の形をしたテメーは何者だ?
くつくつとソイツは哂う。
下ろされた髪の隙間からのぞく虹彩が色を失い、水銀のようにギラギラと光る。
口が裂けて、ぬらりと紅い舌がちらりと口唇を舐める。
「俺はオマエだよ。正真正銘、な。
オマエの腹ん中、溜まってる正直な気持ちってヤツ、ぜーんぶ吐き出してやるよ。
臆病なオマエの代わりになァ?」
うるせぇっ。
切りつけると鮮血が飛び散る。
ソイツは嘲笑う。
「いってぇなァァ。
いいのかよ、自分を斬ってよォ? ほら、オマエも血ィ出てるぜ?」
ソイツと全く同じ場所が切れて血が噴出していた。
拍動にあわせて痛みが体中を駆け巡るというのに、口元に哂いが広がるのを感じる。
そいつは都合いいぜ。
ぶった切ってやるよ、俺もテメーもまとめて。
丁度潮時だ。まァ、役にたたねぇ上に用済みじゃぁな?
いろいろ御託をありがとうよ。
でも自分のことだ。よーくわかってるさ。
懇親の力を込めて刀を振るうたびに、ソイツの身体から、俺の身体から血が飛び散る。
憎しみの赤、怒りの赤、悲しみの赤。
鮮血は髪に降り注ぎ、交じり合って更に鮮やかな紅になる。
血など全て流れ落ちてしまえばいい。
そうすれば残った肉も白くなるだろう。
骨のように。
朽木白哉のように。
俺はアンタを倒したかったわけじゃない。
アンタになりたかったんだ。
何もかもその手に持つ、その高潔なその魂に成り代わりたかった。
ザク、と刃が肉を切り裂き、骨に食い込む振動が腕を伝わり脳髄に届く。
その快感で指先まで痺れる。
同時に肉を割かれ、骨を断たれる激痛が脳髄を抉る。
四肢を生きたまま引き裂かれる、もはや快楽に近いその刺激。
生きていると、だからこそ死んでいくのだと、身体の奥深いところで感じる。
顔が自然と笑みを浮かべる。
ソイツが哂う。
「気持ちいいかァ? 斬って斬られて、最高だよなァ?」
瞬きをしないその眼に嘲笑を浮かべ、ダラリと立ちはだかる。
髪や指先から血が滴り落ち、血肉の匂いがプンと鼻を衝く。
これは俺だ。
鏡の中の俺。
闘争本能そのものの悪鬼。
「快感なんだろう?
好きなんだろう? 斬り合うのがさァ。
そうじゃねーと生きてるって感じられないんだろう?
それがオマエなんだろう?」
体中、朱に染まりながらも、自由が利かぬ四肢を引きずってズルズルと近づいてくる。
「役立たず、用済み、結構じゃねーか。
もう一回這い上がってみろよ。自分でさ。
他人、言い訳にしないで、自分の足で、自分の責任で立ってみろよ。
そんで、もっともっと強くなれ」
鮮血を浴びた顔は赤一色で表情が読めない。
ただ、水銀の虹彩と、血より更に紅い口腔がヌラヌラと光を反射する。
えらくマトモなこと言うじゃねーか。俺のくせによ。
ソイツはまたくつくつと笑う。
実に愉快そうに。
「やっと自分だって認めたんだなァ?
そうよ、俺たちゃオマエの分身よ。なァ。
また一緒に闘おうぜェ? 派手に斬り合いてーんだよ」
わかるだろう、といつの間にか息がかかるほど近くに来て纏いつく。
生臭い息。
冷たい関節の無い腕が、俺の首に巻きつく。
さも愛しそうに。
「俺たちが誰かわかるだろう?」
ちり、と逆立った鱗が首の肌に刺さる。爬虫類の乾いた滑り。
そして
身体に触れるのは覚えのある毛皮の感触。
・・・オマエ、まさか蛇尾丸か?
「やーっと気付いたのかよぅ?」
ゲラゲラと笑いながらいつもの姿に戻る蛇と狒々。
俺はといえば、呆然として口もきけない。
「ちったー、気合入ったかよ?」
「目が覚めたか」
何やってんだ、てめーら!
「貴様は消えるところだったのだぞ。」
まさか。
「嘘ではない。人の形も保てなくなっておった」
「全く世話の焼けるヤツだぜオイ!」
・・・・・・・・・・まさか。
「何故、現世に来た?
いつもなら犬吊で派手に斬り合って己を取り戻すところであろう?
貴様は何時から他人に頼るような弱い人間になった」
頼るって、誰が。
俺がか?
「大方、あの斬月の主でも求めてきたのであろう。そこで貴様を呼んでおるぞ」
・・・一護のことか?
「だが、あれは危険だ。貴様を滅ぼす」
まさか。
ただの人間の子供だ。
「・・・行ってやれ。だが、忠告はしたぞ」
訊くも訊かぬも貴様次第だがな、と振り向き様に言い捨て、蛇尾丸は消える。
蛇の甲高い笑い声が耳に残った。
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