「動き続ける100の御題」より (配布元 / せっと)


抱き上げる



ただいま・腹減ったと、と帰宅直後で育ち盛りの高校生は、いつもどおり、台所へ直行した。

「遊子、何か食うもん…、って、あれ? 居ねえのかよ?」

台所どころか、家全体が静まり返っている。

「何だ。みんな留守か? 無用心だよなー、うちも」

一護はブツブツ呟きながら 冷蔵庫から牛乳を取り出し、グラスに注いで一気に飲み干した。
喉の渇きは何とか収まったが、腹の方はどうにもならない。
一護は台所内をぐるりと見回した。
すると テーブルの上に、解した鳥肉のようなものが小皿に盛ってあったのが目に付いた。

「…サラダか何かに使うのかな?」

ぐうと腹が鳴った。

「結構うまそ」

少しぐらいならいいだろとひとつまみ、口の中に放り入れる。
塩気が薄いが、旨い。

「あークソ、余計、腹減った。…全部食ったら遊子が怒るだろうなあ」

あと少しだけならいいだろと、もうひとつまみ、口の中に放り入れる。
腹がまた、ぐうと鳴った。



「何か食うもん、無えのかな…」

部屋に買い置きしてた菓子類も確か、切れていた筈だった。
キレイに片付けられたテーブルの上にも、広告と思しき紙が数枚、残っているだけ。

「ついてねえ…。つか何だこれ。全部、猫の…?」

ぱらぱらとめくってみれば、猫のエサにトイレの砂、おもちゃなど、とにかく猫を飼うためのものの広告ばかりだった。

「あいつら、もしかして猫、飼うつもりなのか?」



一護は、子供の頃を思い出した。
自宅の一部が病院で、不特定多数の人が来る。
飼えないのが分かっていても、捨て犬や捨て猫をつい拾ってきては、
母親と一緒にもらい先を探して歩いたものだった。

遊子も夏梨もそんな時期なんだろうなあと、母親の居ない二人の境遇を思った。
オヤジには反対されるだろうけど、できぬなら叶えてやりたい。
二人ともしっかりしてるから、ちゃんとすれば何とかなるんじゃないだろうか。

一護は広告の束を手にとった。
ついでに鳥肉もひとつまみ、口の中に入れた。

「よし! えーっと、何だ? キャットフードに猫砂? なんだそりゃ。おもちゃ? 爪とぎ? うわ、結構、高けえし面倒クセエな、いろいろと」

けど飼うからにはキッチリしねえとと、いつの間にかすっかり猫を飼う心構えになって、一護は真剣に広告に掲載されてる記事を読み出した。



「へえ…。飼い主が居ないときの猫の行動、か」

妹たちも自分も日中は学校だし、父親も仕事で留守にしたりする。
だから猫はきっと一匹、取り残されることになるんだろう。

「窓から外を眺める、ほかの動物と触れ合う、家にある物で遊ぶ…」

猫はそんなことしてるのかと、水をまた一口、飲んだ。
数日単位で預かったことはあるが、本格的に飼ったことがないから、よく分からない。

「つかテーブルの下はともかく、浴槽の中でたたずむって、なんかスゲエ変じゃね?
 何、考えてんだろーなー、猫ってヤツは」

誰も居ず、他に動物もいない家だ。
この記事に書いてあるとおり、窓から外を眺めたり、いろんなものにちょっかい出したり、寝たり、テレビや本棚なんかを眺めて時間を過ごすんだろう。

「つかエサ、食べねえで眺めたりするんだ」

一護はくすりと笑った。
留守中に訪ねてきてた恋次の姿を思い出したからだ。
勝手に寝てたり、CDや本の類を眺めてたりすることはしょっちゅうだが、あるとき、食べていいと言っておいた菓子の買い置きを横に、不貞寝してたことがあった。
腹減ってたんだろ、何で食べなかったんだと訊いたら、ひとつ食ったらすげー辛かった、こんなの菓子じゃねーやと拗ねていた。
いい年した大人が全くと、口の中にチョコをひとつ放り込んでやったら、眼を白黒させた後、すぐに機嫌が直った。
けれど一護と目があった途端、ぶすっとむくれたのだ。
沽券に関わるってヤツだろうなあと一護は呆れ半分、他に用事がある振りして一旦、部屋を後にした。
戻ってみると今度は、菓子の買い置き、全部が開けられていた。
辛かったと称した菓子だけは、部屋の隅に放り投げられてた。
旨い順に並べたから覚えとけと、無駄に偉そうな態度の恋次の単純さに、怒ることも忘れて笑い転げた。
当然、恋次はまた機嫌を損ねたが、もうどうしようもなかった。

あの時は面白かったなあと一護はほくそ笑んだ。

「今度はいつ、来るんだろ…」

最近は、帰宅するときに必ず、自分の部屋の窓を見上げるのが癖になってる。
誰か、自分の帰りを待ってるヤツがいないか、窓の奥に恋次の赤色が見えないか、と。

なら猫を飼うというのは、恋次を待たせてるのととても似てるんじゃないだろうか。
もし恋次が猫だったら、
窓枠のところで自分の帰りを待ってたり、部屋でゴロゴロとひとり遊びしていたり、机の下や椅子の上や浴槽の中なんかでたたずんでたりするんだろうか。

「へへ…、カワイイかもなー。これっくらいかなー」

あの図体がうんと縮んで小さな赤い恋次猫になったところを想像すると、自然と頬が緩む。

いくら猫でも恋次には違いないから、きっと躾には苦労するだろうなー、エサは辛いのはダメだよなー、鯛焼きとかも体に悪いだろうからダメだろうなー。
目の前で食ってやったら怒るだろうか。
あの性格だし、抱き上げるたびに爪を立ててくるかもしれない。
けど今よりもずっとずっと小さな手、つか前足だろ。
怒っても、今みたいな図太い怒鳴り声じゃなくて、にゃーにゃー言ってるんだろ?
ぜんっぜん迫力も何にもねえよな。
絶対、イジワルしてしまいそうだよな。

一護はつい、にやりとした。

夜、一緒に寝たら温かいだろうな。
でも潰しそうで怖えェ。
あ! でももし、俺より遊子とか夏梨とかに懐いてしまったらそっちで寝るのか?
つかエサをやる遊子が絶対有利だよな?!
俺はどうなる?!

「うー…」

想像の中の恋次猫が、一護に一瞥くれて、遊子の足元へと擦り寄っていった。
くそ、と一護は頭を抱え込んだ。

そして、どうしてくれようと眉間の皺を深くしたその時、
「お兄ちゃん、おかえり!」
と背後からの声を浴びて、一護は慌てて立ち上がった。
椅子がガタッと派手な音をさせて倒れそうになった。
振り向くと妹たちが大荷物を抱えて台所に入ってくるところだった。

「うおおっ…、ゆ、遊子じゃねえか。夏梨も」
「何、驚いてるの? 特売だったから、夏梨ちゃんと一緒に行って来たんだよー」
「なんだ。一兄がこんなに早く帰ってくるんだったら行ってもらえばよかった」
「ほんとだね。ってお兄ちゃん、もしかしてこれ、食べちゃったの?!」
「え…? あ、ほんとだ。悪りぃ、全部、食っちまった…」

無意識に手元に引き寄せていた鳥肉の皿は、空になっていた。

「もう! ほんとだ、じゃないでしょ!」
「う…、すまねえ。腹へってて。すぐ買いに行ってくるから!」
「あ、別にそれはいいんだけど、あれ、猫のごはんだったんだよ?」
「え…? 猫? …マジで?!」
「うん。近所のスーパーで配ってたの。試供品だって。だから猫に上げようと思ってたのに…」
「一兄、知らなかったっけ。この間からウチの床下に一匹、住み着いてんだよ」
「いや、知らねえ。つかキャットフードだったのかよ!! 道理で味がしねえと…」
「何言ってんの! 全部食べちゃったくせに」
「途中で気がつけっての!」
「…スミマセン」

一護はがくりと肩を落とした。
それを目にした妹たちは、目を見合わせて、少し笑った。

「大丈夫だよ、お兄ちゃん! 猫用のごはんっていっても人間のと変わり無いって言ってたもの」
「味以外はね。で、何、読んでたのさ、一兄は」
「あ、これは…」

呆然としてる一護が手にしていた猫に関する商品の広告を、夏梨はひょいっと奪い取った。

「何だ、さっきの試供品についてた広告じゃん。もしかして一兄、猫、飼いたいの?」
「え? ウチは病院なんだから、猫とか犬とか飼っちゃダメなんだよ、お兄ちゃん!」
「あ、いや、俺は別に…。つかオマエらが飼いたいんじゃねえのか?」
「何言ってんの! 私も夏梨ちゃんも、お兄ちゃんとお父さんの世話で手一杯なんだよ?!」
「ほんと、これ以上は無理、無理!」
「…俺とオヤジは犬猫レベルか?」

一護の情け無い声音に、ぷぷっと二人は噴出した。

「ご飯のときしか帰ってこないお兄ちゃんが猫で、いっつもうろうろしてるお父さんが犬だよねーって言ってたんだよね?」
「ほんっと。まさか一兄、キャットフードまで好きとは思わなかったけどね?」
「じゃあお父さんにはドッグフード、買って来ようか?」
「つまみに出したら絶対、気がつかねーよ!」

二人は顔を見合して、大爆笑した。
その笑い声を一身に浴びて、一護はテーブルに突っ伏した。

「うー…、面白くねえぞソレ」

そして心の中で、猫扱いしてゴメン恋次、と謝った。



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恋次は犬属性ですが、対・一護限定で猫属性になるとすげえ萌えます。留守中の猫の行動については某キャットフード会社の調査結果より。
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