邪魔する

「あっちい…」

あまりの寝苦しさに目が覚めて、時計を確認してみたら真夜中の三時前。
今年初めての熱帯夜だという天気予報は見事に当たったらしい。
梅雨も明けきってないから湿気もすごいし、ごろごろと布団の端から端へと転がってみても、万遍なく湿ってるし、パジャマ代わりに着てたTシャツも汗でぐちゃぐちゃで、気持ち悪くて眠れやしない。
どんどん目が冴えていく。

「くそ…」

俺は、勢いをつけて起き上がり、Tシャツを投げ捨てた。
窓も開けてみたけど、風なんか全然、入ってこない。

「んだよ、暑すぎだろ」

それでも窓から上半身を乗り出してみると、汗で濡れてるせいか、案外、ひんやりとする。
夜の闇の中に両手を伸ばし、うーんと大きく伸びをしてみると、少し、風も吹いてて気持ちいい。

「あー、なんかこの感じ…」

俺は思わず首を傾げた。
こういうこと、前もあったよな、確か。
なんだろ、思い出せない、この感じ。

「うー…」

両手を伸ばしたまま、目を瞑り、記憶を探ってみた。
けどやっぱり思い出せない。
いつだったっけ?

「ん…?」

その時、ふわりと何かの気配がした。
伸ばしたままの両手にすとんと何かが落ちてきた気がした。

「よう」
「うわッ!!」

眼を開けると、両手の上にそれぞれ白足袋に草履履きのでっかい足。
しかも全く重さが無い。
まさかと慌てて見上げると、夜空よりも真っ黒の死覇装。
街灯に薄く照らされた赤い髪と両眼が、俺を見下ろしてきてる。

「れ…、恋次!」
「よう」
「びびび、びっくりさせんな! オバケかテメエは!」

驚いてつい甲高い声になってしまったせいだろう。
「オバケ」と繰り返した恋次が、くつりと笑った気配がした。

「…クソ、笑うんじゃねえ! つかテメエそこで何してんだ!」
「何って…、なあ?」

なあって何だよ、俺に答を振るな!
素直に「俺に会いに来たんだろ」なんて、口に出して言えるわけ、ねーだろ!
ムカついて見上げると、そんなの分かってるって言わんばかりの沈黙が落ちてくる。
きっといつものあの大人面してるんだ、恋次のヤロウ。

…ちっ。
これでまた一敗。
意味のない、俺の中でだけの勝負事って分かっててもやっぱ悔しい。


「…で、どうしたんだよ、こんな夜中に突然」
「突然…?」

そうだよ。
それになんで、重くねえんだよ?
本当にオバケみてえじゃねえか。
わざわざ霊子で足場を作ってるのか?

見上げると、恋次の赤い瞳が夜空に浮かんでる。
星みたいだなあなんて思う俺は、何だかんだで多分、かなり浮かれてるに違いない。
マヌケな会話しかできないのもそのせいだ、きっと。

「…突然だろ。いきなり来やがって」
「別にいきなりでもねーだろ。つか待ってたんじゃねえのか?」
「待っ…!!」

あまりのストレートな言葉に、ぼっと顔が赤くなってしまった。
悪かったな!
全然会えねーんだからいつでも待ってるに決まってんだろ!
けど恋次、普段ならこういう言い方はしない。
なんだよ、なんでそんなに押しが強いんだよ、今日は。
ますます顔に熱が集まるのを感じる。
けど焦るな、俺。冷静になるんだ。
今日こそは恋次に振り回されないで、こっちが振り回してやるんだ。
そんな俺の決心を知ってか知らずか、恋次はマジメな声で聞き返してきた。

「違うのか? つか気付いてたんだろ?」
「…気付く? 何に?!」
「何にって…。俺に?」

はるか天上から降ってくる恋次の声が、急に低くなり、一瞬、くいっと両手が重くなったと思ったら、恋次の姿が消えた。
そして気がつくと、恋次の両眼が俺と同じ高さにあった。
思いっきり覗き込まれてた。

「うわっ」
「…なぁ、本当は気がついてたんだろ?
 俺、テメーが目ェ覚ますまで、屋根の上で待ってたんだぜ?」

と愉しげな光を浮かべる赤い瞳は、夜に沈むことなく俺を見つめてくる。
不穏な半眼と物言いたげな口唇、そして届きそうで届かない微妙な距離。
こういう手で誘ってくる時の恋次は、すごく危険で手に負えないけど、嫌いじゃない。
俺はごくりと喉を鳴らした。

「…んだよ。なんで俺が目を覚ますって分かったんだよ」
「そりゃあ、な?」

意味ありげな視線に今度は身体が火照ってきたせいか、生温い夜風を涼しく感じる。
だけど負けてなんかいられない。

「…いいから、とりあえず中に入れよ」

その眼をじっと見つめたまま、窓の端の方に体を寄せると、恋次は口元だけでにやりと笑って、窓枠にガシリと手を掛け、

「邪魔するぜっっ」

と勢いをつけて部屋の中に飛び込んできた。
それが余りに夜中の恋次らしくないハツラツさだったので、
「んだよ、えらく元気だな」
と思わずツッコむと、
「あったりめえだろ! なんだ、テメーはバテてんのか?」
などと更に元気よく返してくる。だから、
「なわけねえだろ。年寄りには負けねえぜ」
とつい意地になると、
「別にテメーは寝っ転がってて構わねーんだぜ?」
などととんでもないことを言い返してきやがる。
だから俺は、ああコイツ、今夜はやる気なんだ、俺もがんばんなきゃと、まだ眠気が覚めないでいる自分の頬を叩いて気合を入れなおした。
そんな俺を見た恋次がくすりと妙に柔らかく笑ったから、一気に頭に血が上った。
…よし、今だ!

「れ、恋次…!」
「オウ!」

オ、オウ…?!
なんだよその返事。
つか何で拳とか、突き出してんだよ。
今、すっげーいい雰囲気だっただろ。
いつもだったらもっとエロい声で返事するとこだろ。
つか何だそのツラ。
眼も妙にキラキラしてるぞ。
しかも俺の前を素通りしてくって何事だ。
オイオイオイ、ちょっと待てよ!

「れ、恋次?!」
「クソ、暗くてよく分からねーな…。オイ、一護! さっさとこのテレビつけろ」
「テレビ?! 何でテレビ!!!」
「何でってそりゃあオマエ、決勝、観るに決まってんだろ」
「決勝…?」
「オウ、決勝! ワールドカップだぜ!」
「ワールドカップ…」

オーレーオレオレオレーと調子っぱずれの鼻歌を口ずさむ恋次に、俺はガクリと肩を落とした。
そういうわけだったのか。
だから、こんなクソ夜中、しかも日曜に俺が起きると思ってたのか。
残念だったな、このヤロウ。
ただの熱帯夜のせいだぜ。
つか滅多に見せないあのやる気の向かった先は、俺じゃなくてサッカーかよ、チクショウ。

「…ほらよ」
「おおう、すげえ! これが本場のワールドカップ!」

いや、そもそも本場は日本じゃねえけどな。
うんとボリュームを抑えてテレビをつけてやると、興奮したアナウンサーの声とブブゼラの音が、真っ暗な部屋に響き渡る。
恋次の眼も輝いてる。
うっれしそーだな、オイ。
つか何だ、その懐から出したものは。

「あ? 腹減るだろ。オマエも一個食うか?」

オヤツ持参かよ。

「…いらねえ。オマエが食え。つか何だよ、その腕に巻いてるのは」
「これか?」

あ、ヤバい。
鯛焼き咥えた恋次の目がギラリと輝いた。

「これはキャプテンの証、腕章だ!」
「キャ、キャプテン…?」
「オウ! 俺も玉蹴りやってっからな!」
「…そ、それは知らなかった」

つか玉蹴りって言うんだ。サッカーじゃねーんだ。
俺の頭の中を、平安時代の貴族っぽい衣装でボールを蹴る白哉と恋次たちの姿が過ぎる。

ありえねえ。
お前ら、本当に仕事してるのか?
俺はギリギリとこめかみを抑えた。

「お、始まるぜ! 座れよオマエも!」
「あー…、分かった分かった。つか声はともかく暴れんなよ。下でオヤジと夏梨、観てるはずだから」
「おう。任せとけ!」

いや、とても任す気にゃあならねーけどな。
俺は、念のために部屋の鍵を掛けつつ、テレビにかじりついてる恋次を横目で見た。

サッカー、別に興味ねーし、明日学校だしで、観るつもりはなかったんだけどな。
でも恋次、俺と観たくてこっちにわざわざ来たんだろうし。
…しょーがねえな。

テレビ前を少し譲って、早く座れとばかりに床を叩き続けてる恋次の横に座ると、肩を組んできた。
でもってあーだこーだと解説しだした。
最初はちゃんと聞いてたし、それなりに応援もしたけど、やっぱり眠い。
それにさっき、散々煽られたせいで、やっぱり疼くものがある。
こんなに側に居るのに手を出せないなんて、
あーもう、ウゼえよ、誰だよこのスポーツマン。
思いっきり非難を込めて横目でちらりと見上げてみるけど、恋次はどっか違う世界に行ってしまってて、俺のことなんか見ちゃいない。
もういい。眠みーよ、俺。
サッカーなんて嫌いだ。

キレた俺は、既に三個目の鯛焼きを頬張る恋次の横顔を軽く殴り、そのまま眠気に任せて眼を閉じた。
すると、予想してた拳骨は飛んでこなくて、代わりに頭を抱き寄せられた。
そしてブツブツと興奮して呟き続ける恋次に寄りかかったまま、俺は眠ってしまった。


翌日、はっと目が覚めたときにはもう恋次の姿は無く、しかも布団にちゃんと寝てたから、一瞬、変な夢を見たもんだと自分が情けなくなった。
だけどゴミ箱に鯛焼きの袋と、それから決勝戦の経過が逐一、頭の中に残ってたから、やっぱ本当だったんだと俺は、眠気の残る眼をこすっていつもの月曜日の朝に戻った。



→教える

真っ暗闇の中で声を押し殺してテレビ観戦する二人はきっとカワイイ。
Web拍手
<<back