教える
「お兄ちゃんっ」
「悪りィ、また今度なッ!」
「もう、まだ終わってないのにっ…!!!」
半ば諦めたような遊子の声を背に、ゴメン、本当に心底悪い!と一護は心の中で叫びながら駆け出した。
───
だって今日は恋次が来てる。
こないだの雪辱戦だって、すっげー真剣なツラして俺を待ってる筈なんだ!
一護は走る。
高校生にもなってこんなに必死に街を走るのはどうかと思ってるし、実際、擦れ違う人たちも、不審げに見たりする。
けど今日の一護に余裕はない。
学校でゴタゴタあって、しかも家に一旦戻ったときに遊子から手伝いを頼まれて、約束の時間より一時間も遅れてしまっている。
───
どうしよう。恋次、ちゃんと待ってるかな。
短気なヤツだから、もう帰ってるかもしんねえ。
伝令神機で連絡入れてみようか。
けど、そんなことしてる暇があったらさっさと来いと逆切れされそうだ。
だからとにかく一護は走る。
人ごみを避けて、垣根を潜り、他所の家の庭先を横切って、
ガキの時以来だ、よく覚えてたぜ我ながらなどと自画自賛しながら、妹たちにさえ教えていなかった近道をひた走る。
そして、息を切らして辿り着いたのは、子供の頃によく遊んだ空き地。
ど真ん中には仁王立ちの恋次の背中。
赤い髪が風にたなびき、これからどこのライブへお出かけですかとでも言うような、空き地にはあまりにも不似合いな格好で一護を待ち構えてる。
それを、子供たちがひそひそとささやきながら、遠巻きにしている。
余りといえば余りの光景に、一護は家に帰りたくなった。
だが逃げるわけにはいかない。
「…待たせたな」
一護は、刺さるような視線を周囲から浴びつつ、恋次に近づいた。
振り向いた恋次の形相はサングラスの効果も相まって、鬼のようにすさまじい。
「おう、テメエ、一護! どんだけ待たせる気だ!」
「…わ、悪りィ。つかテメエ、着込み過ぎだろ。もう夏だぜ?」
「っせえ! つか何でこんなムチャな暑さなんだよ、現世はよ!」
だらだらと流れる汗が、恋次の井出たちの異様さに拍車をかけている。
「知るか。つかオマエ、一昨日も来てたじゃねえか。何で分かんねえんだよ」
「一昨日は死神のままだったんだ! こんなに暑くなってるなんて分かるかッ」
「もっと周り、見ろよ。つか何でTシャツとか着て来ねえんだよ。浦原さんちで支給してもらってただろ」
「っせえ! 聞いてみりゃ赤パインとかいう果物の名が書いてあるって話じゃねえか!
ぴったりだって笑われて、散々な目にあったぜ!」
─── 知らなかったのかよ。だからってレザーはねえだろ、夏に。そのツラとサングラスってだけでフツーに怖えェのによ。
慣れた一護でさえ一瞬引く迫力と違和感なのだ。
恋次がこの空き地に姿を現したときの子供たちの混乱を思うと、涙が零れてくる。
それでも一護は何とか気を取り直した。
ズレまくってる死神の正体は、自分の恋人なのだ。
これが現実。
認めるしかない。
「…よし。暑いし、さっさと始めようぜ。いいか?」
「オウ!」
恋次がサングラスを取ったのをきっかけに、
二人は互いに背を向けて、颯爽と歩き出し、ある程度の距離を取って立ち止まった。
振り向くと、今日こそは負けるものかという視線がぶつかる。
ジリジリと夏の日差しが容赦なく二人を照りつける。
少し風があるが、これぐらいならいけるはずだ。
「…行くぜッ」
一護は軽く両足を開き、手にしていたフリスビーを構えた。
─── ここで体は回転させないように、軸足を残したまま。
そんで手首のねじりを利かせて、…投げるッ。
「うおッ?!」
強い回転を掛けて投げ出されたフリスビーは、恋次の手を擦り抜けてぐんぐんと距離を伸ばし、遠巻きにしていた子供たちの輪の中に飛び込んだ。
ざわっと歓声が上がる。
「…やったぜッ!」
ぐっと拳を握る一護に、恋次はただならぬ視線を投げかけた。
「テ、テメエ、腕を上げやがったな?」
「ったりめーだぜ。現役高校生の実力、舐めんなよ」
一護は鼻高々に言い放った。
先日、恋次が遊びに来てたときに見つけたフリスビーは、子供の頃、散々ねだって母親に買ってもらったものだった。
懐かしくってつい、恋次を誘ってみたのだが、あっというまにヒートアップした。
どっちが遠くまで飛ぶだの、どう投げればカッコイイだの、落としたらマイナスだの、オリジナルルールを作り上げたはいいものの、決着が付かなかった。
一護にしてみれば、恋次が霊圧を乱用するのがよくない。
「俺の霊圧を喰らえ」などと怒鳴りながらフリスビーに霊力を込めて武器化するわ、「とうッ」などと掛け声も高らかに、霊子で足場を作ってとんでもないジャンプを見せるわ、無意識に瞬歩を使って加速するわ、つまり反則負けに近い。
恋次にしてみれば、死神のままなんだから仕様がない、
義骸を持ってきてないんだから一護が死神化するべきだという。
けれどこれは一護の大事な思い出の品なのだ。
一護と恋次が死神として本気で勝負すれば、冗談ではなくあっというまに塵になる。
そんなのは絶対イヤだ。
だから改めて義骸vs人間で、と今日の勝負に至ったわけだが、身長、つまり手足の長さでかなり負けてる一護としては、かなり不利だった。
それにこれはいわば母親の形見の品。
─── おふくろの目の前で負けたら男が廃るぜ!
決心を新たにした一護は、何かコツがあるはずだといろいろ調べてみた。
どうやら、踏み込みと手首の角度がコツらしい。
この世の中、情報を握った方が勝ちだと、一護はその時、勝利を確信したのだ。
「どうだ。参ったか!」
「ま…、参るかボケッ! 今度は俺の番だ。テメエ、見てろよ!」
子供たちに恐る恐るとフリスビーを手渡された恋次は、びしぃっと人差し指を一護に突きつけた。
おおおと周囲にざわめきが広がる。
「テメエなんぞに負けるか。いいから早く投げろ」
「いくぞ。泣いて謝ってももう知らねえからな。…おりゃッ」
だが思ったとおり、恋次は体を回転させてるし、手首が返ってしまうしで、力が入った分だけ、フリスビーの飛行が安定しない。
一護のと比べると、むしろふにゃふにゃといったノリで飛んでくる。
「ほい…っと」
「くぅ…!!!」
「楽勝だな。つか恋次。やっぱこないだのは霊力頼みだったんだな?」
「んだと!!! テメエ、たった一回で俺の実力を測れると思うなよ?!」
「おー。じゃあまた投げてみろよ! って俺の番か。いくぜッ」
「うおおッ?!」
不意を突いて投げたのだが、そこはさすがに恋次。
二度の失敗は犯さず、ぐんと伸びるところをすかさずジャンプしてキャッチした。
おおうと周囲から、本気の歓声が上がる。
「見たかッ!!」
「…本気で犬か、オマエは」
意気揚々とフリスビーを振り回す恋次を目にした一護の脳裏を、昨夜、フリスビーの投げ方を調べたホームページの一文が横切る。
曰く、”人と犬が共通に遊べるフリスビーは、愛犬とのコミュニケーションと信頼を深めるための遊び道具”。
そして、真剣にフリスビーに飛びつく犬と、嬉しそうな飼い主の写真の数々。
─── あれってもしかして俺たちのことか?
恋次の背中にぶんぶんと振れまくる尻尾が見え隠れするような気がして、
一護は、眉間の皺を僅かに深くした。
「オイ、一護! 何、ぼけっとしてやがる! いくぜええええッ」
「…ほいっと」
「く…、チクショウ…」
「いいからほら、早く立て。投げんぞ」
「…、さあ来いッ! とうッ!!!」
「オマエ…」
一護はガクリと肩を落とした。
─── 負けを認めたら、フリスビーの投げ方教えてやろうって思ってたのに…。
一護の投げるスーパーショットを、かなりの身のこなしでキャッチするたびに周囲の歓声を浴びるのだから、恋次としてもかなりまんざらでもない様子で、負けを認めるどころの話ではない。
昨夜、ぼんやりと夢想してた場面がことごとく崩されていく。
「何ぼんやりしてやがる! さあッ、次だ次ィッ」
「…おう」
僅かに横に逸らしてやったりカーブを掛けたり、うんと高くに飛ばしてやると、ますます張り切ってキャッチしまくる恋次に、一護は、
─── ま、「愛犬のしつけ」にもいいって書いてあったしな…。
と、余計なことを考えるのを止めて、自分の技を磨くこととに専念することにした。
そしてその日の夕方、クタクタになって帰宅した一護を待ち構えてたのは、「黒崎んちの兄貴がヘンなロックオヤジと空き地でフリスビー伝説作ってた」という夏梨の友達情報を元に遊子法典が発動されたという知らせ、つまるところ”手伝いさぼった人は夕食抜き”という戦力外通告だった。
→加減する(エロ)
投げられるものがあればきっと恋次の犬度は増す。けど妹たちにとっては一護も同類。
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