「動き続ける100の御題」より (配布元 / せっと)


挫ける




「あのさ」
「あ、帰ってたのか。ずいぶん時間掛かったな。ってオイ…、どうしたんだ?」

やっと戻ってきた恋次の顔を見て、思わず声を低くしてしまったのは、俺にしか分からないぐらいの微妙な表情で、恋次が動揺してたせい。
こりゃあ何かあったなと、なかなか返ってこない答を待ってたら、たっぷりと30秒は経った後、
「悪りィ」
と恋次はソッポ向いた。

「…?」

素直に謝るなんて珍しい。
まあでもこんなふうに謝れる余裕があるんだったら、 誰かにケガさせた訳でも、ましてや虚関係で何かあったわけでもねえだろ。
かえって気持は落ち着くってもんだ。
うん。我ながらすげえ洞察力。

「で、何をしでかしたんだ?」
「…」
「オイ、恋次」
「…」

つか今、テメー謝っただろ、何かマズいことしでかしたんだろ。
ムっとしねーで返事ぐらいしろ。

「んだよ、黙ってちゃ分かんねーだろ」
「…」

つか、そんなにあからさまに拗ねられると、俺としてもどう出ていいのか分かんねーんだけど。

「……… 」
「……… 」

睨み合いという名の沈黙が続く。
どこまでも続く。
なんでこんな面倒くせェことになってんだよと思っても、今更止められるわけも無い。
なのに庭先に突っ立ったままの俺たちに、春先特有のキツい陽光がジリジリと容赦なく照らしつけてくる。
恋次の赤い髪がキラキラと輝く。
捻られた首筋も汗のせいで少し光ってる。
義骸と分かっていても、やっぱりグラリとする。

…チクショイ。
ここは俺が折れてやるか。

「オイ、恋次…」
「…自転車!」
「…あ?」
「悪りィ。テメエの自転車、壊れた」
「はァ?!」

明後日向いたままの恋次の指先が指し示す先、一時間ぐらい前か、意気揚々と恋次が乗っていった俺のチャリが内塀に立てかけてあった。

「壊した…?」

目を逸らしたまま、こくんと恋次が頷いた。

「…!!」

まさか大きな事故でもやらかしたんだろうか?
相手の人、もしくは車は大丈夫だったんだろうか?
チャリに乗れるようになったとはいえ、交通ルールとか現代の常識とか皆無な恋次だ。
しかも義骸に関しては不自由も甚だしい。
チャドほどじゃねえっつっても、こんな頑丈なヤツが公共の場でチャリ乗るのは違法かもしんねえ、つか存在自体が公共の迷惑ってヤツじゃねえか…?!

そこまで考えてなかったと、俺はボーゼンと恋次を見た。
すると恋次は、ちらっと視線を投げて寄越し、
「急に動かなくなったんだ。キツく漕ぎすぎたのかもしんねえ」
と呟いた。

キツく…?
そういや恋次、えらく張り切って出掛けてったな。
ってことは事故とかじゃねえのか。

─── あー、よかった。

俺は、マジマジと自転車を見た。
確かにフレームとかも歪んでないし、傷がついた様子もねえ。
もちろん恋次自身もいつもどおりのふてぶてしさだ。
ま、よかったといえばよかったのかもしんねえ。

─── ま、オマエだけはめちゃくちゃなツラと運転の恋次にビビる被害者たちを目撃してるんだから、一番の被害者だよな。

同情込めてチャリを見つめると、最近ほとんど使ってなかったせいか、必死で不調を訴えてるように思えた。

…ヤベぇ。
俺、もしかして、霊だけじゃなくてモノの気持まで分かるようになったのか?!

「って…、なんだ、チェーンが外れてるだけじゃねーか!!」

内心、ほっと胸を撫で下ろすと、恋次はマヌケ面を晒して首を傾げた。

「ちぇー…ん?」
「ああ。これ。この鎖っつーか蛇尾丸みてえなヤツ」
「ああ、これか。つか蛇尾丸はこんなんじゃねーぞ!」
「ソックリじゃねーか」
「似てねえ! 蛇尾丸は白いし、鬣だって赤い! つか何だよ、てーんって!」
「てーんじゃねえ、チェーンだ。つかツッコむとこ、間違ってるだろ」
「っせぇ!!」
「煩せーのはテメーだ。ホラ見ろ。こことここ、な? ペダルを漕ぐとここがタイヤと連動して動くようになってんだよ」
「へー…」

チェーンを回して見せると、恋次は酷く感心した様子だったので、俺は内心、鼻高々になった。

「ま、これだったらすぐ直るぜ?」
「マジでか? 直るのか?」
「ああ、ちょっと待ってな」

明らかにほっとした様子の恋次を背後に残し、
ちょっとした工具なんかを倉庫から取り出してきた。

外れたチェーンを手に取ると、ガチャガチャと金属が重い音を立てる。
黒い機械油が指先を滑る。
汗が額を流れ落ちる。
だけど最近は全然使ってなかった古い自転車のチェーンは頑固で、なかなか元の位置に戻ろうとしない。
なのに恋次は、俺の焦りなんか関係なしで、
俺の手元を見たり、チェーンとか工具とか弄りながら待ってる。
それがまるで小学生男子かってぐらいの感じだったから、俺はチェーンのメンテに没頭してるフリをした。

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