「動き続ける100の御題」より (配布元 / せっと)


喰らいつく



「あった! こっちだこっち!」

そう叫んで犬っころみたいに走り出した一護の後姿が、 街灯の届かぬ闇の向こう、白く浮かび上がった扉のようなものに突っ込んで、そのまま消えた。
あまりの突然さに驚いた俺は、虚か何かかと霊圧を探ってみたが全くの異常なし。
見上げても、薄く虹のかかった月が何知らぬ顔で、漆黒の闇に張り付いているだけ。
いったい何の怪だと目を擦って、一護の消えた先に目を凝らしたら、 「何してんだ、早く恋次も来いって!」
と、その白い扉を突き抜けて一護が駆け戻ってきた。
そして俺にものをいわせる隙も与えず、 腕をぐいぐいと引いて、扉のほうへ小走りに歩き出した。

近づいてみて初めてわかった。
これは扉じゃない。ただの光。
手前に黒く視界を覆っていたのは、闇に溶け込むほどの濃い緑の常緑の木々。
扉のように見えたそれは、その木々の間の小さな抜け道を通して照らしてきた光。
その光のトンネルをくぐると、密集した常緑樹の並木が途切れ、少し開けた場所に出た。
そこには、一本の大木が月と街灯の白い光を浴びて立っていた。
暗闇を抜けた後だと、やけにまぶしく光って見えて、俺は目を細めた。

見事な大木だった。
一抱えもあるほどの太いごつごつとした幹。
その幹に手を添えて見上げると、天上の月は覆い隠されて見えない。
大きく張り出した枝の先まで、白く光る花々が満たしている。
花は、月の光を透かして蛍の光のように薄く光り、 風も無いのにはらはらと降り落ちていく様は雪のようだった。

ある種、荘厳ともいえる雰囲気に言葉をなくした俺を、 どうだ?と言わんばかりに一護が見上げてきた。

「・・・一護、これ、もしかして桜か?」
「他のなんだってんだ」
「終わったんじゃねえのか?」
「へへ。この木は特別」

いわれてみれば普段見慣れた桜並木の木々と、花の様子も枝のつき方も少し違う。
人が立ち入った様子がほとんどないけれど、大層な古木なのだろう。
他の桜が散って緑の葉で枝々を満たし始めたそのときに、人知れず咲き誇るのか。

「きれいだろー。間に合ってよかったよなー」 
俺の心を読み取ったように、一護が満開の桜に目を細める。
「偶然だったんだけどさ。こないだ、空から見つけたんだ」
そしてポケットに手を突っ込んで、背筋をうんと反らして、どこか得意げに天を仰いだ。
その横顔に、桜の花びらが静かに降り落ちる。

「あっ!!」

突然、一護が大きな声を上げた。
その横顔に伸ばしかけてた手を思わず引っ込める。

「・・・・んだよ、何、でけぇ声、上げてんだ」

棘のある俺の言葉にムッとした一護は、
「んでもねえよ!」
と怒鳴り返してきたが、桜を見上げたまま小さな声で、白哉んちとかもっとスゲえのかなあと呟いた。
けど曇った表情は一瞬で溶けて、でも花見なんてお祭りみたいなもんだしなーと、 何が楽しいんだか、くつくつと忍び笑い。
そんな一護を横目に、俺は頭上の桜へと視線を戻した。



向こうに時を合わせるように、此方でも桜は一斉に散ったと聞いていた。
だから、花見に間に合うように来るという約束を破ってしまったと、 少し後ろめたい気持ちで、鮮やかな新緑の葉桜を後にして、現世に降りたのだ。

けれど一護は怒らなかった。
その代わり、俺の手首を引っつかんで、散歩、と一言告げて、窓枠をひょいと越えた。
そして二人で、夕焼けには遅すぎる暮れ始めた外へと抜け出した。
どんどん暗くなっていく中、黙々と歩き続けた。
温い春の夜の空気は、汗粒になって肌に張り付いた。
初春独特の、どこか甘い緑の匂いが漂ってきた。
湯上りの一護の濡れていた髪は、やがて乾いて柔らかく風に揺れた。
すべてが印象的で、俺はその春の道行きがずっと続けばいいとさえ思っていた。
そして辿りついたのはこの桜。
俺は言葉をなくしていた。



気がつくと、一護が俺のことをじっと見てた。

「・・・んだよ。恋次は桜、キライなのかよ」
「・・・いや、キライじゃねえよ。ただ、」
「ただ、なんだよ」

俺の無言を勝手に解釈した一護の顔が、 不満そうに眉間の皺を深くした。

「あ、やっぱこの桜1本じゃ花見ってことになんねえのか?
 仕様がねえだろ。川沿いの桜はもう散っちまってんだからよ」

そんなんじゃない。
桜は散るんだ。だから人は魅了される。

「あー、もう! 来年、また見にくればいいだろ!」

そうだな。 来年も桜は咲くだろう。
花見をする予定だった川沿いの桜並木も、 ひっそりと人知れず遅れて咲くこの桜の木も、 来年も再来年も俺たちには構わず繰り返し咲き続ける。
けれどそれは違う花。
この花々とはまた別の命。

「おい、聞いてんのか? 何、呆けてるんだよ!」

呆けもするさ。
見蕩れもする。

「いや・・。だから、」
「んだよ」
「ただ・・・」

とがった唇。
はしゃいでいるのか、めったに無いほど素を見せる一護は年齢以下の子供っぽさ。
でもそれは、来年には消えているだろう。
指の間をすり抜ける桜の花びらのように。
俺と一護が一緒にいられる時間のように。
けれど花々には預かり知らぬこと。
今を盛りと咲き誇る。
それこそが命。
だから俺は、歪む口元を無理やり整え、素知らぬフリをしてうそぶくのだ。

「・・・なぁ一護、腹減らねえか?」
「食い気かよ! でももう桜祭りも終わっちまったし、屋台とかねえぞー」
と項垂れる一護の首はまだ細い。
だから、
「それじゃあ花見になんねえよ」
と、そのうなじにそっと唇を寄せた俺は、
「何か喰わせろ」
と囁いて、ちょうど舞い降りてきた花びらとともに、一護の肌に散った熱の花に喰らいついた。





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