「動き続ける100の御題」より (配布元 / せっと)
待つ
玄関のドアを開けた途端、上階から漂ってきた慣れた霊圧に、来てたんだと、逸る気持ちを抑えながら階段を駆け上った。
大きく一息吸い込んでから自室のドアを開けると、夕陽を受けて一層鮮やかな赤が眼を射抜いた。
よぉ、と恋次は言った。
すっかり定位置になってしまった俺のベッドの上にだらしなく腰掛けて、淡々とした口調で、久しぶりだな、と続けた。
義骸で来てたんだ。
しかも支給された制服じゃない。
予想外な要素に、心臓がどくんと跳ねた。
霊圧を頼りに気配を探ったせいで、いつものように、そこにそうやって座っているのも分かってたし、大体、何度も繰り返された状況だというのに、まだ慣れない。
それでも何とか、来てたのかと一言、何でもない風を装って応えると、ひくりと刺青ごと、派手な眉が跳ねた。
なのに半開きになった薄い唇は、物言いたげにしたままで何の言葉も吐き出しやしない。
「…んだよ?」
何か怒ってるのかよ?
つか何で黙ってんだよ。
全く予想外だった気まずい沈黙を何とかしようと、かろうじて搾り出した声は呆れるぐらい掠れてた。
ヤベえ、みっともねえと、何でもいいから誤魔化さなきゃ。
だが恋次は片眉だけ器用に上げて俺を遮り、「んだよもヘッタクレもねえだろ、テメエが言い出したこと忘れてどーすんだ」
と床に大きく投げ出してた両足を引いて真っ直ぐに座りなおし、偉そうに腕を組んだ。
見上げてくる視線も冷たい。
「え…?」
何のことだ?
「今日だろ、今日」
恋次の目がすっと細められた先にあるカレンダーを見れば、バカみたいに大きく赤い丸印がつけてある。
もちろん俺が書いたんじゃなくて、恋次が俺をからかってふざけて書き殴ったやつが。
「えっ…、ちょっと待て。今日って…、何日だッ?!」
「…ったくテメエはよー」
恋次は腕を解き、両膝に手を付いた。
腰を上げるときに隠れてしまった不満げなツラは、次の瞬間には呆れた表情に変わっていた。
あ。怒ってねえ。
大丈夫、だ。
ほっとしたのが顔に出てしまったんだろう。
恋次の口元が、皮肉げに歪んだ。
勢い、頭にカッと血が上って何か乱暴な言葉を投げつけそうになったが、
「ま。大方そんなことだろうとは思ってたけどな。で、行くのか行かねえのか」
と、恋次は落ち着いたもんだった。
クソッタレと思ったけど、それどころじゃない。
「あ…、行く! ちょっと待ってろ」
慌ててタンスの方を向くと、背後でどすん、ギシリと音がした。
振り向くと恋次は、ベッドにごろんと横になってた。
「テメッ、何で寝てんだよ、行かねえのかよッ!」
「あー…? 服、選ぶのにまた時間、かかるんだろ?」
「かかんねえよッ!」
「へーへー。じゃあ一眠りして待ってっから」
「テメエっ、恋次ッ!」
「冗談だよ。いいから早く着替えろ。見ててやっから」
「っ…!」
いっそ眼を潰してやろうかと思ったが、恋次はにやりとした後、仰向けになって眼を瞑ったから許してやることにした。
するといきなり静かになった。
外からの喧騒は夕暮れ時のもので、窓越しにもう時間なのだと告げてくる。
時計を見ると、予定してた時間よりうんと遅れてる。
「…なあ、恋次」
「…ん?」
制服を脱いで、今日用に準備してたシャツを取り出す。
おろしたての服特有の、肌を滑るひんやりとした布の感触に、今更ながら、なんで今日を忘れてたんだろうと不思議になる。
「え…っと、なんつーか、覚えててくれてありがとな」
「あァ? つか当たり前だろ。覚えてねえ方がバカだろ」
恋次は眼を瞑ったまま即答した。
「オマエなあ…」
ひとがせっかく下手に出ればコレだ。
「あんなツラでデートとやらの申し込みされたのに忘れちゃ男が廃る」
「ッ…!!!」
「まあ、当の本人が忘れてたんじゃどうしようもねーけどなー」
「だ、だからッ! 忘れてたんじゃなくて、明日だって勘違いしてて、しかも一昨日ぐらいからなんかスゲエいろいろあって、それで…」
「一護」
恋次は、瞑ってた眼を片目だけ器用に開けた。
「いいから早く服、着ろ」
「…うん」
そうだ。時間が迫ってると慌てて袖に腕を通したら、あろうことか恋次は真顔で、
「じゃねえと襲いたくなるだろ?」
と言った。
「テ、テメエ…」
どうしてテメーはそうなんだ!
つか予定が埋まってなかったら当の昔に襲ってるのは俺だっての!
「いいから早くしろ。待つのは得意じゃねえんだ」
「う…」
脳みそが一瞬、沸騰しそうになったけど、宥めるような優しい声で促されて、俺は言葉を詰まらせた。
だって待ち合わせの時間から一時間以上も遅れてるのは事実なんだ。
いっつも部屋で会うだけだけど、せっかくチケットも手に入った訳だし、ついでに現世の面白いもんでも見せてやろうとかいろいろ計画してたのに、全部パァだ。
コイツにしてみても、ヘタしたらすっぽかされてた訳だし、この気性ならもっと怒っててもいいはずなのに、また眼を瞑ってしまった横顔は何だか楽しげで、しかも穏やかで、
だから変な風に気を回してしまう。
もしかしたら俺、恋次にムリさせてんじゃねえか、とか、本当は興味なかったのに、俺に合わせてるだけなんじゃねえか、とか、ダメになりそうでほっとしてんじゃねえか、とか。
でもとにかく、行けば絶対楽しいはずだしと、無駄な雑念を振り払って、着替えを済ませ振り向くと、
「…恋次?」
薄く開かれた唇からは、微かに寝息が漏れていた。
「恋次…? なあ、恋次」
「うー…」
「…!」
繰り返し呼ばれた名前にやっと反応したと思ったら、思いがけず柔らかい微笑らしきものまで零れた。
「…んなツラで、うーとか言われても…」
俺は途方に暮れて、口元を掌で覆った。
だってどうしようもないぐらい、ふにゃふにゃになってる。
こんなツラ、恋次に見られたら、何、言われるか分かんねえ。
つか、
こんな風に笑われたら起こせねえじゃねえか、いきなり寝るな、そんな待ち方、ルール違反だろ、と思ったがもう遅い。
このままでは開場時刻にさえ間に合いそうにないというのに。
「おーい、なぁー、れんじー」
もはや熟睡してしまったらしい男を起こすにはとても足りない音量で呟きながら、ベッドの端に両肘をついて、無防備すぎる寝顔を眺めた。
もう一回、笑わねえかなあとか、待たれるのと待つのとどっちも本当に苦手だなあとか思いながら。
→引き摺る
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