「動き続ける100の御題」より (配布元 / せっと)
もう昨日と呼ぶべきなのか、
日付が変わるほんの少し前、
夜闇に紛れていつもどおり部屋に忍び込んでみれば、
来訪に気付いてないはずは無いのに、一護は背を向けたまま、机に向かっていた。
何と言っても一護の本業は学生なのだ。
邪魔をしてはいけない。
なら寝床を拝借して大人しく仮眠でもして待とうと、恋次は腰を下ろした。
すると、「寝るんなら
コレを使え」と、薄暗闇にも白が眩しい真新しい枕を投げつけられた。
反射的に受け止めながらも、「なんだこりゃ」と思わず反論すると、
「テメエばっかりに客用の枕使わせる訳にゃあ行かねえんだよ、
ほんとの客が来たときに使えねえだろ」と、
やけに言い訳くさいセリフを吐くだけ吐いた一護は、すぐにくるりと背を向けた。
恋次は呆気にとられた。
最初のぎこちなかった頃ならまだしも、
いろいろと慣れて来たこの頃では、一護のもの以外に滅多にお目にかかった覚えもない。
仮に客用のものを出す暇があったとしても、
この小さな寝床に枕や布団が二つというのは無理があり、
すぐに床の上にでも落としてしまうのが常で、真っ当に使った覚えもない。
─── それが何で今更、俺専用の枕…?
そもそも一人用の寝床に大の男が二人でってのが無理な話な訳で、
だからいつだって場所の奪い合い、テメーの枕や布団の奪い合いでやってきてるんじゃねーか。
本当はそういうの、苦手だったのか?
恋次は、一護の背中をじっと見た。
そういえばこの子供は、母親のことはともかく、環境で言えば現世でも恵まれて育ったのだった。
一人じゃないと眠れないなどとそんなに妙に繊細なところがあったか、
さては枕や布団を分け合うような環境だったから眠れずとも強がっていたかと、
今日こそは熟睡するであろう一護を眺め、恋次はため息をついた。
ならば帰った方がいいかとも思ったが、
激務の連続で疲労も重なってるから目前の布団の誘惑は大したものだったし、
元々考えるのは苦手だし、それに理由がどうあれ自分が貰ったものだしと、
半ば開き直った恋次は、受け取ったばかりの枕を寝床に放り投げて、その上に寝転がった。
すると、ぐんっと頭が沈んだ。
予想外の柔らかさと弾力に思わず、うおっと声を上げて半身を起こすと、ちらりと振り向いた一護が口元だけで笑った。
果たしてこれが狙いだったか、してやられたと、恋次は内心、歯軋りをしつつも、
何事も無かったように、そこで仮眠を取ることに腹を決めたのだった。
「あー、クソ。眠みィ…」
あの一刻にも満たない仮眠のせいで、こんなに眠れなくなったんだろうか。
うーと低く唸りながら恋次は、
窓越しに照らしてくる寒月の光にぼうっと浮き上がる枕を見下ろした。
──── にしても俺らのとは大違いだな。
羽が詰められているんだと一護がどこか得意そうに説明したこの枕は、
尸魂界にある自分の枕とは何もかもが異なっているように思えた。
異世界のものという感じがした。
とても自分に属するようになるとは思えない。
それに、
今日みたいに義骸に入ってる状態ならともかく、魂魄のままで馴染んでも、
汗も匂いも吸わず、汚れることも無く、きっと真白のままなんだろう。
こうやって夜を過ごした証拠も、
眠れない恋次の苦悩も、何も残らないんだろう。
それがこの世の理なのだけれども。
恋次は枕に顔を埋めた。
寝心地は最悪とは言え、情交の時の声を殺すのには重宝した。
それが一護の目的だったんだろうかと、邪推する自分の意地悪さに自嘲が漏れた。
ふうと息をついた拍子に、肩から髪が流れ落ちた。
そして枕の表面を擦り、ほんの微かにだが音を立てた。
そのざらついた遠い音が、夜中に一人で修行を重ねていた昔の、竹藪のざわめきを思い出させた。
だからだろうか。
当時と同じく、ひどく一人に思えた。
隣に眠る一護が、どこか遠くの存在に思えた。
いつもだったら、枕を勝ち取った方の腕を枕にして寝てるから、もっとずっと近いのに。
こんなに狭い寝床で二人並んで違う枕で寝るなんて、遠く離れているよりももっと遠い。
──── ダメだ。やっぱ帰ろう。
恋次は、一護の熟睡具合を推し量り、これなら起きないだろう判断した。
息を殺してそっと肘を立て、
一護の方に冷たい空気が流れないように気をつけながら布団を自分の分だけ剥ぎ取る。
後ろ手をついて体を起こし、両手両足を駆使して、布団に包まった一護を乗り越える。
床に着地したとき、トンと軽い音を立ててしまったが、一護はまだ熟睡しているようだった。
ほっと一息つくと、急に寒さが身に染みた。
温まりきった足に、真冬の床は冷たかった。
「うう、寒みィ…」
つい丸めてしまった足の指先を眺めながら、
なんとか音を立てずに義骸から抜けられないものかと、恋次は思案しだした。
義骸は唯の物体に過ぎず、魂魄が抜ける瞬間にものすごい勢いで倒れ、騒音を立てる。
だから実際のところ、まず床に横たわるところから始めるしかない。
「…よし」
恋次は、義骸から魂魄を抜くための手袋を取り出し、
冷え切った床にほぼ裸同然の下着姿のままで寝転がる覚悟を決めた。
するとその時、
「で、帰るのか?」
と背後で静かな声がした。
慌てて振り向くと、一護が寝床の中から、じっと見ていた。
→企む3
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