「動き続ける100の御題」より (配布元 / せっと)


手当てする
 


水、と無意識に手を伸ばしたけど何もない。
息苦しさに薄目を開けると、ぼんやりと闇。
何も見えやしない。

「・・・暑い」

布団を跳ね除けようとしたが、鉛のように重くて持ち上がりもしない。
自分の声さえよく聞こえない。
それがひどい耳鳴りのせいだと気づいたのは、
珍しく夏風邪なんかに罹ってしまったのをやっと思い出したからだった。

医者のくせに薬が嫌いな親父は、風邪なんか寝て治せと言う。
それでもお袋が生きている頃は、濡れタオルやら氷嚢なんかで手当てしてもらったもんだ。
俺も小さかったし。
夜中にいつ目覚めても、お袋が大丈夫よと声をかけてくれたのをうっすらと覚えてる。

床に洗面器やタオルがあるところをみると、
心配性の妹達はきっと日中はいろいろと看病してくれたに違いない。
でも今は真夜中。
皆寝静まって、人の気配もない。

ギシギシと痛む関節をむりやり動かして額に手をやると、汗でじっとりと湿っている。
熱いのかどうかなんて、額と同じ体温の自分の手で分かるわけもないのに。
でもそのボケ具合のおかげで、まだ熱があることがわかった。

とにかく喉が乾いて仕方がない。
体を起こそうとすると、頭が割れるように痛んだ。
金槌かなんかでブッ叩かれてるみたいだ。
仕方なく目だけで水を探すと、
妹達が置いてくれたのか机の上にペットボトルがぼんやりと見える。
ベッドの上からだと、あと少しというところで手が届かない。
もう少し、と指を伸ばした瞬間、

「怠けてんじゃねえ、足を使え」

と窓から舞い込んだのは薄墨の影。
恋次かと一瞬期待したけど、耳鳴りと頭痛が酷くて声が聞き分けられない。
それにあの紅い色が見えない。
もしかしたら俺を迎えに来た、ただの死神かもしれない。
そういえば薄暗闇の中の真っ黒の影は、カラスの化物みたいで正体不明もいいところ。
見ているだけで体の芯まで黒くなりそうだ。
魂葬とか見よう見まねでしてきたけど、こういう風に見えたのかな、俺も。
怯えた魂魄をこうやって脅してきたのかな。

「何、ぼーっとしてやがる」

ドスの聞いた声が頭に響く。
これじゃ音の暴力だ。
うう、と唸り声が漏れた。

カラス野郎はゆっくりと近づいてきた。
空気が動いて、冷たい風がひんやりと顔にかかる。
気持ちいい。

首の後ろに手を突っ込まれ、無理やり上半身を起された。
口に冷たい何かが流し込まれる。
毒かと思ったけど、甘くて冷たくて美味い。
五臓六腑に染み渡るっていうのは、きっとこういうこと。
顔の前にあるのはさっきのペットボトルだけど、本当にただの水なんだろうか。
生き返る気がする。
それとも死んできてるんだろうか。

「体、抜けるか?」

目の前にドクロが突き出された。
親切なくせにやっぱりお迎えか。

「抜けてちっとばかし休憩してもいいんじゃねえか?」

そういえば、目の前で揺れるこのドクロは俺の代行証。
見上げると、何となく紅い色がちらちらするから、
やっぱりこれは恋次だとちょっと安心する。
迎えに来てもらうにしても、他の誰より恋次がいい。
でも恋次にだけは弱みは見せたくない。

「・・・ズルはまずいだろ」

実のところ、体を抜けて回復を待つというのは、いいアイディアだと思った。
でもつい強がって拒否してしまうのは、もう癖を通り越して習慣になっちまったからだろう。
それにたかが夏風邪。
さっきまでの弱気にはフタをして、悟られないように気合を入れなおす。

そうか、と言って恋次は俺の体をベッドに戻した。
そして額にそっと置かれた手。
人間の俺から、死神には伝わるはずもない熱が、
それでも恋次の手に吸い込まれ、すっと体が軽くなったような気がした。






抱える>> ([手当てする]の恋次さんサイド)

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