「動き続ける100の御題」より (配布元 / せっと)


手を合わせる




たまたまその日はいい月夜だった。
忙しすぎる春の朧は夕暮れと共に息を潜め、
かといって鮮明すぎる冬の厳しさは遠く過ぎ去ってしまった後で、
そのほんの僅かな隙間に身を委ねた世界の全てが、
俺たちのことを見逃すだけの余裕に満ちてるように思えた。
だからだろうか。
その拙い動きがとても愛しく思え、俺はゆったりと夜を愉しんでいた。
けれど相変わらず幼いままの恋人は、いつにも増して眉間の皺を深くし、酷く丁寧に情事に打ち込んでいた。


覆い被さったまま、いいのかと眼で問いかけてきた一護を受け流して瞼を閉じると、クソっと毒づく声が耳の中で甘く木霊する。
意地になった指と唇が駄々を捏ね出したから、声を解放して応えてやる。
少しだけ一護の焦りが収まったから、そっと背を撫でてやる。
ふうと同時に漏らした息が絡まる。
嘘は得意じゃないから、眼は開けない。



──── 全く気付いてねえわけじゃねえんだよな。

一護が人間の子供で異属だからか、
それともただ単純に俺が齢を取り過ぎたせいか、快楽を貪り続ける身体とは裏腹に、肌を合わせるという行為には酷く虚しさを感じて始めていた。
それに気付いているのかいないのか、一護は身体を重ねることに必死になっていた。
熱に走りやすい自分の身体をなんとか制御しながら、得た技巧の全てを駆使し、俺の反応をひとつも逃さぬと神経を逆立てていた。

──── ただ単純に潮時ってだけなのかもしんねえのになあ。そういう流れには抗っても無駄だ。ろくな結果になりゃしねえ。

俺は、足掻き続ける子供の不器用と、それを止めずにいる自分の狡さをそっと笑った。

何度目かのため息と共に崩れ落ちてきた身体は、微かに震えている。
求められるまま何度も達した俺の身体も、当に限界を超えている。
考えるのを止めて、まだ一回りも細い一護の背に腕を回す。
手放した意識は、馴染んだ闇へと沈んでいく。





─── オイ。テメエ、いつまでそこに座ってるつもりだ。

夢を渡りに渡ってやっと辿り着いたその場所で、まるで喧嘩を売るような質問をぶつけてしまったのは、眩しすぎる夏の日差しの中、ぼんやりと座る子供の横顔が酷く寂しく思えたせいだ。
陽光のような色のその髪さえ、うなだれてるように見えた。
それは俺のせいではないし、責任を負える類のことでもない。
一護が自分で選んだ道の最果てがそこだったというだけだった。
けれど放っておけるわけも無かった。
だからそのまま横に座った。

一護は、天をきつく見上げたまま何も言わなかった。
だから俺も一緒に、黙って空を見上げた。
空は蒼く深く、雲は白く悠然と流れるほか、何もありなど無かった。
だからかもしれない。
当に死んでしまった俺らはともかく、人ってのは短い人生しかなくても、こうやって無為に時間を過ごすのが必要なんだと分かった。
ましてやそれが死んだ後でも。


しばらくして一護は振り返り、俺を見て少し笑った。
そして、
─── 大丈夫か、オマエ
と言った。 俺は間髪いれず、
─── そいつは俺の台詞だ、こんなとこまで追いかけて来させやがって
と切り返した。
一護はまた笑った。
透明な笑みだった。

─── …約束だ、俺が昇華させてやるぜ

迷ったら一護が辛い。
そう決めてここまで来たはずだ。
だが手をやった先に、蛇尾丸は無かった。
それどころか俺の手はやけに小さく頼りなくて、
一護のことだって、仰ぎ見ないと顎の線さえ見えなかった。
慌てて見回した周囲の風景も何もかもが大きく、酷い違和感に眩暈がした。


─── 当たり前だろ、オマエは子供なんだから

俺を諭す一護の声は、現世に執着して逃亡し続けた死人とは思えぬほど柔らかかった。
でも表情が逆光でよく見えない。

─── …え? でも一護、俺はもう死神で…
─── よくがんばったな
─── え…?
─── 俺は、それが地獄だったとしても、オマエが生き延びて、今、ここに居てくれてすごく嬉しい

それはオマエだろ、負いきれない責のために消えてしまったお前こそが地獄にいたんじゃないのか。

俺は今にも叫びだしそうだった。
けれど、頭に置かれた大きな大きな手が暖かかった。
この手がずっと欲しかったんだと、自分の中に深く巣食う飢えに気がついた。
と同時に、俺は俺のために此処に来たんじゃない、オマエを救いに来たんだとその手を払いたかった。
でも出来なかった。
声も出なかった。

呆然と突っ立ったままの俺に、
─── さ、帰ろうぜ
と一護は言った。
ますますきつくなる逆光の中で、一護の表情は全く分からなかった。
俺はたまらなく不安になった。
けれどもう一回、
─── 夢だから、これでいいんだ
と大きな手で俺の頭を撫でられたから、
まだその時じゃなかったんだ、全部ただの夢だったんだと俺は安心し、その大きい手を取った。
そしてそこで目が覚めた。




ぼんやりと眼を開けると、やはりまだそこは夜だった。
一護も居た。
けれど枕に半ば、顔を埋め、すうすうと寝息を立てている。

俺は、顔の横に置かれた一護の手を取った。
まだ寝入り端なんだろう。
うんと体温が上がってて、うっすら汗もかいている。

─── まるでただの子供だな。

軽く閉じられた掌をそっと開いて自分のそれと重ねると、やはりうんと小さく細い。
死神代行として刀を振るう魂魄の影響を受けているのか、唯の人間のそれとはずいぶんと違ってきてはいるのだけれども。



─── あの夢はなんだったんだろう。

俺は、薄暗い天井を睨んだ。

こんな春の月夜は駄目だ。
ずっと昔に葬り去ったはずの脆弱さを懐かしんでしまう。

手を重ねたまま指を絡めると、一護は無意識に握り返してきた。
俺はその掌を枕の上に置き、自分の頬を重ねた。
夢でも見てるのか、ひくりと時々、指が痙攣する。
けれどとても温かい。
夢の中のように大きい手ではないけれど。

俺は眼を閉じた。
そしてまた夢を見た。
今度は全く違う夢だった。
俺は普通に死神をやって、一護も普通に人間をやってて、
崩壊してゆく世界の中で擦れ違っても、互いを気に止めることなどなかった。
これもまた選択肢のひとつだったかと理解すると同時に、胸の中のしこりが融解した。

今は今で、充分だ。
何も起こらなかった今なんて要らねえ。
過去も未来もクソ食らえ。

迷いが消えると、急に目前の一護の寝顔を懐かしく感じた。
それは多分、一護が居ない未来を知っているから。
今だってほら、まるで追憶だ。
情けない。
だが構やしねえ。



いっそ起こしてやろうと、一護の鼻を指で弾いてみたが、ううと唸るばかり。
本格的に置いてきぼりにされたのだと悟った俺は、ぼふっと乱暴に頭を枕に埋めた。
そして考えた。
夢で視たあの未来、孤独な魂たちは救われたのだろうか。

思わず寝返りを打つと、いつの間に目を覚ましていたのか、一護の手が俺の頭をそっと撫でた。
それはとても暖かい掌だった。


→撫でる


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