ついてねえなあと零れ落ちそうになった文句をぐっと飲み込み、窓枠に片肘をついて外を見上げれば、真夏を先取りしたよな入道雲。
紺碧の空を貫くその純白は圧倒的。
まるで後悔そのもののように容赦なく、瞼をきつく閉じさせる。



Happy Happy Unbirthday

「梅雨、明けたなあ・・・」
たっぷりと五分は青空と睨み合った後、ようやく一護の口をついて出てきた言葉はそれだった。
そして、それと同時に、
「オイ、黒崎!」
と、バンッと頭上から破裂音と怒鳴り声が降ってきた。
いってぇ何しやがると叫びながら一護が振り向くと、担任の越智が出席簿を振り上げたまま、仏頂面で突っ立っていた。

「お前なあ、黒崎。天気の心配、してる場合か? 自分の出席日数とかそっちのほうを心配しろ!」
「・・・・スンマセン」
「面倒くさいだろうが、勉強はできるうちにしてて損はないぞ? 学校も来れるうちが花!」
「・・・・・」
すげえ暴言、本当にこれで高校の教師やってられるのが不思議だよと一護が見返すと、越智は、口元はへの字のまま、目だけで笑って、
「とりあえず次の授業、私が戻ってくるまでそのまま廊下に立って反省してろなー?」
と、ヒラヒラと出席簿を背後の一護に振ってみせながら、職員室へと去っていった。



「・・・次の授業までって今、休憩じゃねえか」
不平をこぼしながらも一護は、また窓の外に視線を戻した。
理不尽な、冗談めいた言葉に従ったわけではない。
ただ、空が綺麗だったのだ。
梅雨明けの空気は十分すぎるほど水分を含んでいるせいか、
まるで肌に浮かぶ汗の粒のように、レンズとなって世界を歪めて見せる。
その上、いきなり衣替えした太陽がむやみやたらに夏の光を大盤振る舞いしてるから、歪んだ画像が反射しあって、ありとあらゆるものの輪郭が滲んで、何を見ているのか、そもそも物に形があるのかさえも不確かになり、確固としていたはずの足元までもゆらゆらと揺れだしたように感じる。
そんな意味不明の不安感など、昨年までは知らなかったし感じなかった。
大方、死神代行になってから起こったいろんな出来事の影響だろう。
恋次とのことも無関係ではあるまい。

子供の敏感な感性なんて言葉、信じらんねえよな、と一護は内心、呟いた。
小さい頃は、晴れたらプールと草っぱらのどっちで遊ぶかを真剣に悩んで、雨が降ったら泥んこになって遊ぶために一番大きい水溜りを探して、そんなことぐらいしか考えてなかった。
空や世界が色や形を変えるなんて思ってもみなかったし関係もなかった。
要するに母親が笑ってるかどうかが問題だったわけであって、その点、いつも笑顔を絶やさなかった母親を持つ息子としては、世界は万事OKだった。

じゃあ俺はいつから子供じゃなくなっちまったんだろう。
家族を護ると決心したあの頃は自分が大人になったと思ってはいたけど、今思うと滑稽なほど幼かった。
今はというと、少なくともあの頃よりは年を取って、力も得て、強くなった。
だったらあと何回、梅雨と誕生日を凌いだら、子供じゃないと言えるんだろう。
いつになったら恋次に追いつくんだろう。

一護は、窓の外の蒼天に立ち上る入道雲に想いを馳せた。




休憩時間の廊下は、いつもの均衡の取れた雑音に満たされていた。
甲高い女子の声、太さを増した男子の声。
ガタガタと物がぶつかり合う音、微かな衣擦れの音、リズムの違う足音の波。
いつもよりそのざわめきが浮かれているように感じるのは、夏休みが目前に迫っているせいだろうか。
一護は、耳は遠く音の波に任せながら空を見上げた。
周囲の雑音はどこか沈黙に似ていて、その心地よさに眠気さえ誘われる。
このまま世界が続けばいいのに、と一護は願った。
だがそれを破ったのは、一護自身だった。

「うおぅっ・・・・・!!」

突然、大声を張り上げた一護を、廊下いっぱいに広がっていた生徒たちが振り返った。
しんと沈黙が、廊下とそれに続く教室に降りる。
「・・・な、何?」
「黒崎くん・・・? どうしたの?」
「い、いや、なんでもねえ!」
「何、見てんだ? 窓の外、何かあんのか・・・・?」
「なんでもねえって! さあ体操でもしよっかなー!」
興味深げに集まってきた生徒たちから窓の外を隠すように、ブンブンと大きく一護が片腕を振った。
「いっちにー、さんっしー!」
「く、黒崎・・・?!」
そのあまりの挙動不審さに引いた生徒たちは、
最近の黒崎は本当に大丈夫か、などと呟きながら窓際の一護に背を向けた。

「ふー。・・・ったく、冷や冷やするぜ」
ざわめきが戻るのを確認した一護は、窓の外に沈めていた片腕を戻した。
するとその掌の下、鮮烈な赤色をした頭がぴょこんと窓枠の外に再び、姿を現す。
それが見慣れた恋次の髪の色だとわかってはいる。
だが、今の今まで眼に馴染んでいた紺碧の空も真白の入道雲も色褪せてしまうほど自己主張の激しいその色合に、不意打ちを受けたのも相まって、一護はかけるべき言葉をなくした。
だが当の本人は自覚しているのかいないのか、いつもと変わらぬぞんざいさで怒鳴りだした。

「いってぇなあ、このバカ一護! せっかく来てやったのに、いきなりひとの頭、押さえつけるやつがいるか?!」
「しぃぃぃぃっ! 静かにしろって! つか、いきなりガッコー来て、窓の外に顔出すやつがいるか?! ここ、三階だぞ?! オマケに赤いわ、刺青だわ、無駄にゴツいわ、モロ不審者じゃねえか! いいから頭、引っ込めてろ、このくそ恋次!」
「ってえ、頭、押すんじゃねえ!!! つか死神のままだし、見えるわけねえだろ!」
ぼそぼそと小声で文句を言いながらぐいぐいと頭を押さえつけてくる一護の手を力尽くで跳ね返した恋次は、ぴょんと窓枠に飛び乗った。
「え・・?」
確かに周囲を見回しても、窓枠にしゃがみこんだ恋次に、誰も気がついた様子はない。
いまだ何人かはこちらを見てはいたが、注目先は明らかに”独り言”を続ける一護だった。
廊下に落ちた日の光も、恋次をすり抜けて、一護の影だけをかたどっている。

「気づいてなかったのか? 脳みそ、ゆだってんじゃねえか?」
「・・・うるせえ」
「大体、ぼーっと窓から外なんか眺めやがって。腐ってんじゃねえか? それともアンヌーってやつか、あァ?!」
「・・・テメー、いい加減黙れ。つかアンヌーって何だよ、アンニュイだ。無理に知らねえ言葉使うなバカ」
「わ、わざとだわざと!」
「・・・・どうだかなあ。つかテメー、何しに来たんだよ、わざわざ学校まで。 あ! 何かあったのか? でかい虚でも出たか?! ちょっと待ってろ、死神化すっから!」
「いや、違う。虚じゃねえ」
「あ・・・? ならなんで突然」
代行証を手にしたものの、意味が分からず混乱している一護から目を反らした恋次は、軽く頭を掻いた。
「・・・俺、もう帰んなきゃなんねえんだ」
「帰る・・・? って、向こうにか?」
「ああ。ちょいヤバいらしくてな」
でもこないだも・・・と漏れかけた言葉をぐっと飲み込み、
「テメーでも役に立つのか?」
と一護が茶化すと、恋次は、
「抜かせ!」
と一護の頭を叩きざま、反射的に怒鳴り返す。けれど、搾り出されるように続けられた恋次の、今度は長くなりそうだという言葉に、一護の目は大きく見開かれ、そして細まった。

「そっか。頑張れよフクタイチョー」





→Happy Happy Unbirthday 2


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