Seaside
「で、オマエは一体、何を見せたかったんだ?」
思いっきり背を向けて先を行く一護に、恋次は何度目かの声を掛けた。
だが返ってきたのは、相変わらずの雄弁な沈黙。
短気を誇る恋次が、苛つく神経を抑えきれる訳もない。
「なぁ、おい、一護。聞いてんのか? 一護、オイ、耳が聴こえなくなったか、なあ、一護!」
ヤケクソになって呼び続けると、やっと一護は振り向いた。
だが、
「…っせえよ!」
とだけ吐き捨てて、またドカドカと乱暴に歩き出した。
だから恋次はポケットに手を突っ込んだまま肩をすくめ、その後をことさら悠々と着いていくことにした。
休日の夜のざわめきの中、二人の間だけが静かだった。
空座町から遠く離れた街だから、擦れ違うのは見知らぬ顔ばかり。
彼らの纏うどこか浮かれた雰囲気も相まって、ほんの数歩先を行く一護をひどく遠くに感じる。
自分が異物なのだと思い知らされているようで重苦しい。
恋次は思わず、息を継ぐように口を開いた。
「…けどさあ。キレイだったよなー」
「何がだよ!」
「何がって…」
予想外の鋭い反応に、恋次は少し戸惑いつつも、一護に連れられて初めて乗った観覧車と、その中から眺めた景色を思い浮かべた。
「あー、…海とか空とか?」
「へー…」
それを見せたかったから、誘ったんじゃないのか?
おざなりの反応に、恋次は眉をしかめた。
死神になって空を駆ければ済むところを、わざわざ義骸に入り、バスだの電車だのさまざまな乗り物を乗り継ぎ、人ごみを抜けて歩き続け、高い金を払って列に並んで、その挙句に辿り着いたのが海辺に聳え立つ奇妙な丸い建造物。
観覧車って言うんだぜとどこか自慢げに告げられ、つまるところ、この遠出の目的がこれだけと知らされて、肩透かしを食らった気分になったのは確かだった。
それは酷く奇妙な乗り物だった。
とてつもなく大きな歯車にぶら下がった小さな箱に乗り、ぐるりと空を廻ってくるだけで、
それ以外に何か特別な仕掛けがあるわけでもなさそうだった。
何が楽しくて人間の真似事をと思ったが、一護の顔は抑えきれない期待に満ち溢れてた。
だから、
─── この様子じゃ、何か企んでるな。
と恋次は、揶揄したくてたまらないのを抑えつつ、素知らぬ顔して一護に続いて乗り込んだ。
その箱の中には、向かい合わせに座席がしつらえてあった。
一護は当然とばかりにその一つに腰を下ろして、恋次を見上げてきた。
それがあまりにもちんまりとした様子だったから、恋次は、噴出しそうになるのを隠そうと、硝子作りの窓際に背を向けて立った。
危ないから座れと言われたが、今笑い出したら全てが灰になる気がする。
それだけは勘弁してもらいたい。
なにしろ久方ぶりの逢瀬なのに、まだ手も触れていない。
焦らされるのもまた一興と、はるばるこんな所まで着いてきたのだから、それなりの期待も腹積もりもあろうというもの。
だから恋次は一護に背を向けるようにして立ち続けた。
少し昇ったところで海風に吹かれ、その小さな不安定な箱はいきなり大きく揺れたが、それでも意地になって立ち続けていると、一護が声を立てぬように笑っているのが気配で分かった。
さてはコレが目的だったかと小さな敗北感に打ちのめされ、気を取り直そうと外の風景に意識を向けた途端、硝子の向こうに広がる世界の雄大さに圧倒され、絶句してしまった。
逢魔が時を迎えた空と海は暗く闇に沈んで境を失くし、
その反対には光で埋まった人の住む街が延々と続いている。
まるで彼岸と此岸。
ならばその境でぐるぐると廻り続けるこの輪は、まさに自分たちの在り方、そのものではないか。
大丈夫かと訊かれて振り返れば、一護がじっと見つめてきている。
目があった途端、珍しく一護の方から視線を逸らしてくれた。
それは静かな横顔だった。
だから安心して、海へと視線を戻すことができた。
沈黙が心地よくて、ずっとそうしていたいと思った。
けれど観覧車は、老犬の歩みのような鈍さながら確実に廻り続け、落ち着いたころには、地上へと下ろされていた。
あっという間だった。
名残惜しく見上げた観覧車はまだキラキラと光り、薄暗い空を照らし出しながら廻り続けている。
すると急に、小箱の中のあの時間がひどく惜しく思えて、掴み損ねた何かを残している気がして、もう一回乗ろうぜと口に出してしまったが、その時にはもう一護は歩き出していた。
しかもその背中は恋次を拒絶していた。
訳が分からなかった。
───
いったい一護は何を見せたかったんだろう。
恋次は改めて先を行く一護の背を見つめた。
肩が上がり、背も丸まってる。
全く、一護らしくない。
「…オイ、一護!」
「いてッ」
肩を引いて無理やり振り向かせたが、一護は眼を合わせない。
「オマエなあ、一護…」
「…」
「何、怒ってんだ?」
「…別に怒ってねえ」
「怒ってんだろ! オラ、なんだこの皺、あァ?!」
「っせえッ」
眉間の皺をぐりぐりと指先で押されたのにキレたのか、一護は恋次の手を勢いよく振り払った。
「テメエにゃ関係ねえッ」
「関係ねえことはねえだろ。テメーが誘ったんだろ」
「…っせえッ」
拗ねた口から出てくるのは、否定の言葉ばかり。
とりつく島も無いとはこのことだと恋次は思わず宙を仰いだ。
すると何を思ったか、一護はくるりと背を向け、今度は思いっきり駆け出した。
「おいッ、一護…? ちょっと待てって!」
だが一護は応えない。
どんどん走っていく。
見失ってしまう。
こんな知らない土地で。
仮の体に閉じ込められたまま。
恋次は茫漠とした不安に駆られ、一護の後を追って走り出した。
─── そういえば、あの時もこんな感じで走っていったっけ。
人ごみを縫って駆けながら、恋次は前回の逢引のことを思い出していた。
一護が、誕生日は一緒に祝うべきだと強硬に主張したから、くすぐったい思いをしながらも、きっちり都合を合わせて、葉月の終わりに現世を訪れた。
だが言いだした一護のほうで、妹たちとどうしても外せない用事ができたと約束を反故にした。
とても申し訳無さそうにしていたが、恋次は別に構わないと思っていた。
それが道理というものだと、むしろ好ましいとさえ思った。
とはいえせっかく訪れた現世。
誕生日そのものよりも、一護がどんな顔を見せてくれるのかと、そちらの方が楽しみで来てみたのに、かえってガッカリさせてしまったなあと、別れを告げた後も電信柱の天辺でぼーっと空を見ていたところを、妹たちと玄関から出てきた一護に見つかった。
一護は一瞬、戸惑ったものの、目だけで合図して、すぐに妹たちの手を引いて夏の路地に駆け出した。
その背に少し、自分の存在を否定された気がした。
だが一護が選んだことだし、この上なく正しいことだし、それにその光景はとても夏らしくて眩しくて奇麗だったから、いいもの見たぜと、これ以上ないぐらいの負け惜しみを残して尸魂界に戻ることができたのだ。
あれは夏の終わり。
今はもう秋が空を覆っている。
─── けれど。
恋次は、走る一護の背を凝視した。
─── もしかしてあの日のことが尾を引いていたのだろうか。
だから一護は今日、妙に張り切っていたのだろうか。
なのに恋次は殊更、普通に振舞ってみせていた。
思い至ってみれば、ひどく遣る瀬無い。
恋次は本気で駆け出した。
「一護…ッ」
霊圧も辿れることだし、真剣に走れば、追いつくことなど訳も無く、
人ごみの中で易々とその肩に手が届いた。
だが一護は、無理やり振り向かされたというのに、まだ目を合わせようとしない。
立ち竦んだ二人を避けて、人の波が流れていく。
「一護」
「……んだよ」
「俺、楽しかったぜ? すっげえよかったぜ? 観覧車、だっけ。あんなの、初めて乗ったし」
「…」
「なぁ。何、怒ってんだ。何が気に入らねえ?」
珍しく素直に想いをぶつけてみると、斜めを向いて俯く一護の耳が赤く染まっていった。
「一護…?」
「…っせえ…」
「俺、何か悪いことしたか?」
「……」
一護は俯いて黙った。
暗に責められてる気がして、一旦、収まり掛けていた恋次の神経は、更に逆立った。
→Seaside 2
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