「…じゃあ言ってみろよ。何、怒ってんだ」

いくら抑えようとしても、怒気を隠し切れない。
勝手に動きだした手も、一護の手首を掴んで捻りあげた。

「一護!」
「っせえよ! つか離せッ! 人が見てんじゃねえかよっ」
「んだよ。関係ねーだろ。つかこっち来い」
「痛てッ、ちょ、引っ張るなっ!」
「…」
「うごっ…」

恋次は、今にも逃げ出しそうな一護の首に腕を回して確保し、そのままズルズルと引きずって歩き出した。
それはある意味、週末に相応しい風景だったし、二人の目立つ風体と剣幕に圧倒されたか、誰もが眼を逸らして足を速めたから、好都合とばかりに恋次は、一護に絡めた腕をさらに強めた。
そして、少し離れた人気の無い路地裏に入ったところで、一護を壁に乱暴に押し付けた。

「い…ってェ…」
「ここだったら人目も気になんねーだろ」
「…?!」

いつにない恋次の強引さと剣幕に一瞬、一護は戸惑った表情を見せたが、恋次は一歩たりとも引く気は無かった。
年若い一護の気持ちを汲み取ってやれない己の鈍さに腹も立つ。
そんな恋次を責めることを怠り、無視することで自責に走ろうとする一護にも腹が立つ。
何回も繰り返してきたこの愚かな状況が、なぜか今日は許せない。
どうしてもこの子供に駄々を捏ねさせてみたくて堪らない。
あんな背中はもう見たくない。

恋次は、一護の顔の両側の壁に手を付いて身体を寄せ、逃げられないように囲い込んだ。

「…あァ? 何が気にいらねーんだ、言ってみろ」

だが、一護は大人しく壁に押し付けられたまま、眼を逸らした。
こんなふうに縮みこむなんて、全く一護らしくない。
本当に一体、何が悪かったのか。
噛締められた一護の唇を見つめているうちに、先程までの攻撃的な気分が急にしぼんでいくのを感じた。
一護の不安げな横顔を照らしつけるのは中途半端な薄暗さ。
表通りが明るすぎるせいか、二人でぽっかりと闇の穴にはまったような気さえする。
居心地が悪すぎる。

大きく息を付くと、一護がおずおずと目を上げた。
そこにはまぎれもない後悔の色が浮かんでいた。
けれど半端に開かれた唇からは、何の言葉も出てこない。
胸の中にせめぎ合う何かを抱えているのだろう。

「…なあ、一護」

恋次は大きく息を付いた。
脳裏に、観覧車から目にした光景が甦った。
世界を見渡すあの海辺で、 ギィギィと耳には届かぬ軋む音を立てて廻る大きな大きな鉄の歯車。
その端に吊り下げられた小さな小さな箱の群れと、その中の人々。
そんな仕掛けを良しとし、求めるのが一護の属する世界。
人の世界。
自分は居ない。
存在してはならない。
その禁忌を犯すから、だからこうやって一護の歯車が噛み合わなくなっていくのだ。

「…よく分かんねーけどよ、一護。俺が悪かった」
「…?!」
「そんなに怒らせておいて、理由も分かんねーなんてザマァねえけど…。…悪かったよ」
「…れ、恋次!」
「けどな、一護」

恋次は一護を囲い込んでいた両手を壁から離し、諦めたように口元だけで笑った。

「俺ァやっぱ、死神なんだ。人のフリは俺にはやっぱ無理だ」
「え…?」
「だからさ」

そしてその大きな手をポンと一護の頭に置いて、膝を屈め、同じ高さで、一護の眼をじっと覗き込んだ。

「もう、こうやって義骸で出歩くのはナシにしようぜ。な?」
「な…んで?」
「わかんなくなってくんだよ、イロイロと」

恋次は明るく言ってのけ、くるりと背を向けた。

「ちょ…、ちょっと待てよ、恋次!」

一護は、歩き出そうとした恋次の手首を慌てて掴んだ。
そのまま思いっきり引っ張ったものだから、全く心の準備ができてなかった恋次にしてみれば堪ったものではない。
うおっと声を上げて、みっともなくも逆に壁に押し付けられた。
後頭部を打つ鈍い音が路地に低く響く。

「い…ってェ…」
「恋次!」
「クソ…、テメエ、何しやがる!」
「違うんだって! 話を聞けって!」
「んだよ、今更!」
「いいから!」

完全に逆の体勢になったなと、恋次は必死に見上げてくる一護を見つめた。
さっきより近く感じるのは、一護の腕が恋次のそれより短いせいだろう。
その眼が自分より真っ直ぐなせいだろう。
恋次は腹を決め、
「話って何だ? 話してみろよ。ちゃんと聞くから」
と壁に体重をかけ直して腕を組み、一護を真正面から見返した。
すると一護は硬直した。

「…」
「…おい、一護?」
「う…。俺、…」
「…?」

どうしてもどうしても胸に詰まっている何かを言葉にして出せないでいる一護を前に、恋次はさっきまでと違う色のため息をついた。
だって睫毛が震えている。
旋毛を見せたまま、俯いてしまっている。
その無防備すぎる姿に、心臓を引っ掻かれたような気持ちになってしまった。

恋次は硬く組んでいた腕を解き、俯いたままの一護の顔にそっと手を添えた。
一護はびくりと肩を震わせたが、顔は上げてくれない。
けれど頑なな態度とは裏腹に、その頬は柔らかく温かい。
秋を迎えて本格的に冷え込んできた空気も、この少年にとってはさして意味があるものではないらしい。

恋次は、もう一方の手も一護の頬に添えた。
一護のことはとても大事に思ってるし、その心や存在の不安定さもある程度、分かっているとは思う。
だから常に距離を取って、うっかり一護の裡に踏み込まないようにしている。
あるいは、自分の閾に立ち入らせないように。
けれどこんなふうに無造作にその不安を見せつけられると、その覚悟がぐらりと揺らぐ。
今ならいいだろうかと、恋次は誰にともなく問う。
ぶつかって、擦れ違って、互いに自分が見えなくなっているような今だったら、たとえ弱みに付け込むような真似だとしても、もう少しだけ近づいてもいいだろうかと。

恋次は、一護の両頬に添えた手に力を込め、無理やり顔を上向かせた。
案の定、眉間の皺は最高潮だったし、眼も逸らしっぱなしだったが、反抗して逃げ出そうという様子は無い。
だから恋次は、口付けようと、少し腰を屈めた。

「一護…」

するとその時、すうっと一護が大きく息を吸い込んだ。
嫌な予感が一瞬、頭を過ぎった時は既に遅かった。

「ゴメンッ、俺が悪かった!」
「うお…っ?!」

あと少しで唇が届くというところで、思いっきり叫ばれて驚いた恋次は、一護の頬に添えてた指を思いっきり立ててしまった。

「イテッ! 恋次、テメエ、何しやがるッ!!」
「痛てェッ! テメエも蹴るんじゃねえッ! …って、うお?!」

手を振り払われた上に、足まで蹴っ飛ばされてバランスを崩した恋次は、反撃に出ようとしたところを再び壁に押し付けられた。

「テメエ、一護ッ!」
「ごめんッ!!」
「…はぁ?」

さっきと同じように必死な眼で見上げられて、
けれど今度は力いっぱい謝られて、恋次は戸惑った。

「オマエ、何、謝って…」
「だから! 俺、恋次に怒ってんじゃねえから!」
「は…?」
「恋次、なんにも悪いこととかしてねえから!」
「な…んにも…?」
「何にも、だ! だから義骸で出歩かないとか、そんなこと、言うんじゃねえ!」
「って、俺、何にも悪いことはしてねえ…?」

恋次の眼を見つめたまま、こくりと頷く一護を前に、恋次はさらに混乱を増した。
ならば先程のあの態度は何だったというのだ。
不満の塊のようなあの様子は、恋次のせいではなかったというのか。

「じゃあ…、じゃあテメエは何で走って逃げたんだよ?」
「う、それは…」
「アレから降りた後からずっと、すっげえ怒ってたじゃねえか! 何でだよ?!」
「だ、だからそれは…」
「つか大体! なんでこんなとこまで来てんだ、俺たちは! 観覧車ってのに乗るためじゃねえのか! なのに何でいきなり怒ってんだよ!」
「う…」

恋次は、一護の胸倉を掴みあげた。

「テメエ、俺は悪くねえって言ったな? じゃあ悪いのは何だ? 言ってみろ!」
「……俺」
「はぁ?」
「俺! 俺が悪かったんだよ。悪かったな、チクショウ!」

一護は、恋次の腕を振り払い、仁王立ちになって、思いっきり見上げながら怒鳴った。
その眼はかすかに潤んでいるようにも見える。

「オマエが…?」
「そうだよ! 俺が、俺が…」
「…?」
「俺、なんかもう自分が情けなくて…」
「はぁ?」

今度こそ本気で意味が分からなくなってきた恋次は、頭を抱えた。

→Seaside 3

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