自覚が無かったわけじゃない。
いや、むしろありすぎたのかもしれない。



残響 1 



最初の、
まだ何も始まってなかった頃の一護はいきなり、
「なんだよ」
と眉間の皺を深くして睨みつけてきてたもんだった。
喧嘩売られた俺はもちろん、一も二もなく応戦した。

きっかけが何であれ、相手は一護だ。
加減なんていらねえ。
先なんて見ねえ。
力の続く限り、拳だの刀だのを交え、 限界を超えれば、どちらからともなく動かなくなった身体を地面に横たえた。

見え透いた意地を張り合うのは、決して悪くはなかった。
今と可能性だけを見据えて疾走する子供の巻き添えを敢えて食ったフリして、 大人の余裕を演じる隙があるのも愉しかった。

あの頃、俺たちに言葉はいらなかった。
ボロボロになって地面に寝転んで、 電線だの電柱だのに区切られた現世の空やら、 だだっぴろいが霊圧を鎖された尸魂界の空やらを眺めてると、 何もかもがどうでもいいような気がした。
一護だって、ずいぶんとスッキリした顔つきだったから、 いくら力があるっていったって、子供は子供なりのストレスってヤツがあるんだろ、 だからこんな理不尽に喧嘩売ってきてんだろ、 コイツなりの甘え方なんだろ、などと、 本人が耳にしたら噴飯ものなことを考えながら、汗だくの横顔を盗み見たりしてたもんだった。


だけど、それから本当にいろいろあって、 俺たちはそんな喧嘩をすることが無くなってしまった。
剣や拳じゃない柔らかい部分でそっと触れることが多くなった。
もちろん意地っ張りな一護相手のことだし、俺もやっぱり俺のままだ。
言い争いなんかじゃすまない喧嘩はするし、 顔の形が変わったり、足が立たなくなるまで殴りあったりもする。
けど何かが違う。
あの頃の脈絡のなさとか、むちゃくちゃさとか、 喧嘩後の理不尽な爽快さとか、そういうのが少し懐かしい気がするのは何でだろう。

…なあ?



寝たふりして伏せてた顔を上げたら、 一護が俺をじっと覗き込んでたのとかち合った。
動くに動けなくなった。
いつの間にコイツは、こんな眼をして俺を見るようになったんだろう。
しかも、そんなに静かな声で、
「眠れねえのか?」
だなんて、まるで大人の台詞じゃねえか。
ほんの少し前までは、目が合うだけで喧嘩売ってくるようなガキだったのに。

「…いや、寝てた。目が覚めた」

覚悟を決めて腕を立て、上半身を布団から引き剥がすと、 髪が肩から流れ落ち、畳に擦れてザラリと音を立てた。
「まだ夜中だぜ?」
と仰向けのまま無防備に見上げてくる一護の視線は、自分の横に戻ってこいと強請っていた。

「…喉、渇いたから」

言い訳じみた言葉を返して布団に戻るのを拒むと、 騙されるフリさえ巧みになった子供が、
「そっか」
と笑って俺の髪に指を通し、さりげなく引き止めにかかった。
そんな我儘に従う義理もねえしと、構わず布団から抜け出ようとした。
だが、未だ身体の芯に鈍痛が残ってる。
髪も何本か、一護の指に引っかかってキシリと音を立てる。
ついには情交の時のその指の記憶がぬるりと背筋を掠め、動けなくなった。

ヤバい。
このままじゃ抜け切れない。

それでも何とか無理やりにでも身体を起こすと髪がぷつりと抜けた。
その小さな痛みで鮮明すぎる記憶が霞と消えた。
助かった、と思った。

すると一護が慌てて起き上がり、
「あ! 悪りィ、痛かったか」
と、その指に巻きついたままの髪と俺を申し訳無さそうに見比べた。

「いや。…水、飲んでくる。オマエは寝とけ」
「でも」

返事する代わりに頭をくしゃくしゃとかき回すと、湿った細い髪が指に絡みついた。
一護はくすぐったそうに眼を細めたが、納得してはいないようだった。
だから、うんと低く、聞き取れるか聞き取れないかぐらいの声で宥めてみた。

「初詣、行きてえんだろ?」
「…うん」
「じゃ、早く寝ろ」
「けど…、オマエは?」
「すぐ戻るから」
「…そっか」

やっと安心したのか一護は、眼だけ出して大人しく布団を被った。
部屋の隅に放ってあった寝巻きを羽織ると、ひやりと冷たい布が肌を撫で落ちた。
見下ろすと、子供の瞼がとろりと閉じられるところだった。




口実のつもりだったが、確かに喉は渇いていたようだった。
一気に流し込んだ水はいつになく旨かった。
だがあまりの冷たさに、肌の表面がざわわと粟立った。

今夜はやけに冷え込む。
夕方にはちらつくだけだった雪も、どうやら本格的に降り出したようだった。
窓の木枠に白く積もっている。
なのに火鉢の炭を熾すつけることさえ失念していた。
部屋に戻るなり床に直行した自分たちを思うと、失笑が漏れる。

ふうと大きく息をつくと、息も白かった。
寝床に戻る気にはなれなかった。
あそこは居心地が良すぎる。
一護はきっと寝入ったところだろう。


→残響2

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