残響 5
「あのな、一護。俺、…」
その時、ゴオオンと鐘の音が響いた。
「あ、除夜の鐘ッ!」
「いてッ!!」
「お、悪りィ!」
除夜の鐘の音を聞いていきなり反応した一護は、俺を蹴飛ばす勢いで窓際に向かった。
ガラッと窓を開け放つと、床に転がった俺の上に、冷気が吹き込んできた。
「う…、寒みィッ!! 閉めろ、バカ!」
「んでだよ! 聞こえねえじゃねえか、除夜の鐘!」
「オマエなあ…」
窓際の一護の横に並ぶと、鐘の音が消えていくところだった。
ゴオオンと、低く澄んだ音が体表に染み渡り、やがて真冬の空に溶るように消えた。
「いい音、だよな」
さっきまでのドタバタはすっかり忘れ去って、
一身に除夜の鐘の音に聞き入ってるようだった。
「へへ…。俺、本物を聞くの、初めてなんだ」
「そうなのか?」
「ああ。いつもテレビで家族と見てただけだったからな」
「テレビか」
そう、だからこれが初めての本物の除夜の鐘、と満足そうに呟く一護の横顔に、
窓から入り込んだ雪片が降り落ちては溶けていく。
「雪、初詣に行く頃はうんと積もってるかなあ…。なー、恋次は何、願うんだ? 俺、いろいろ考えたんだけどさー…」
次の鐘の音を待ちながら、一護が夢見るような声音で語る。
だが俺は、久々に出向くそこで、何に祈るつもりも何を願うつもりもなかったことに気がついた。
どうせ何も叶わない。
何が聞き届けられる訳もない。
ならば初詣など意味がないと思った短絡さは、諦観からきていたのかもしれない。
願うことの無意味さを身に沁みて知っていた頃よりもっと、諦めることに手なずけられていたのかもしれない。
だからだろうか。
一護は何を願うのだろうと、とても気になった。
遠くを見つめる横顔に手を伸ばしかけたとき、
「…へっくしょいッ。くそ、寒みィッ!!」
と一護は勢いよくくしゃみをした。
桟に積もっていた雪がふわっと舞い上がる。
「…だから言ったじゃねえか。閉めろ、窓」
「でも除夜の鐘が…!」
「閉めてても充分、聞こえるだろ。それとも今から詣でるか?」
屋内とはいえ、暖も無い、しかも窓も開けっ放しの部屋でこんな薄着では、
さっさと着込んで初詣に行った方がずいぶんとマシだろう。
コイツも初詣にあんなにこだわってたし。
だが返ってきた答えは意外なものだった。
「…それはイヤだ」
「なんでだよ? 初詣に行きたいつーから今日、わざわざ会ってんだろうが!」
「んなの口実に決まってんだろ!」
「はぁ?!」
「あ、いや、初詣に行きたいのは当たり前! 正月だから! でもほら、それだけじゃねーだろ!」
「…?」
「う…。本当に分かんねーのかよ。この赤頭」
一護がまた口先を尖らせた。
今度は本当の本気でガキに戻ってやがる。
ただの反抗期だろ、そりゃ。
「だから! 年越しっつったらほら! やっぱ一番最初に、とか、あるじゃねーか!」
…オイ、どうした。
赤くなってるぞ。
あ! …もしかしてアレか。
「…姫始めか?」
ドガッ。
ものっすごい勢いで立ち上がった一護は、そのまま廻し蹴りを繰り出してきた。
もちろん反射的に交叉させた両腕で防ぎはしたが、何を怒っているんだか訳が分からない。
むしろそんなもんのせいで休暇を取らされた俺のほうが怒っていいはずだ。
「痛ってえ…! んだよ、何で蹴るんだよッ!!!」
「そうじゃねえだろッ! 年が明けたら一番におめでとうって言おうとか、そういうのがあるだろッ!!」
「ああ、そっちか」
「そっちか、じゃねえ! このエロ死神ッ!!」
…オイ、さっきよりさらに赤くなってるぞ。
その方がよっぽど恥ずかしいと思うけどな?
「んなこと言われたってなあ…。オマエの日ごろの態度見てたら、それ以外、思いつかねえっつーか」
そもそも、年が明けて最初に言葉を交し合うとか、思いつきもしなかった。
「つか初詣言っても別におめでとうって言えるだろ」
「アホか! 誰かが話しかけてきたら返事しなきゃなんねーだろ!」
「そりゃそうだが…」
なるほどなー、そんなにこだわるものなのかと頷く俺をじっと見ていた一護は、
突如、ガクリ、と肩を落とした。
「…あのさ、恋次。確かに俺も悪かったかもしんねえ。つかそんなに会える訳じゃねえから、やっぱつい、手ェ出しちまうというか、こう、押さえが利かなくなるときがあるっつーか…。でもな! でも俺、そのことばっか考えてる訳じゃねえぞ?!」
「…オウ」
そんなことは分かってるし、
つか俺も思いっきり誘ってるし、
テメエが押さえてるの分かってて突いたりするし。
そもそもお互いいい年なんだから、
会いに行ってるのに何もしねえってのは有り得ねえとも思ってるぜ?
「けどそんな風に淡々と語られると、俺もこう、どうしようもねえっつーか…」
「一護…?」
「初詣も無理やり誘ったってのは分かってたけどさ。なんかこう、ここまでオマエの反応が鈍いと、やっぱ考えちまうというか…」
「あ、いや、そんなつもりじゃなかったっつーか…」
一護の落胆振りに戸惑ってしまって、何も気の利いた言葉が思い浮かばない。
そうこうしてるうちに、一護は大きくため息をついた。
→残響6
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