血が飛び散ったと思ったんだ。
あ、コイツ死んだ、と思った。
でもそれは髪の毛で、宙をゆっくりと広がるその様は血を撒き散らしたようで。
そんでその後、ソイツは哂ったんだ。
あんな凄まじい表情、俺は初めて見た。
憎しみが笑顔の形を取るなんてこと、俺は知らなかったんだ。


我執 
 

最初は喧嘩とかカツアゲの類だと思っていた。
タチのわるいヤクザに囲まれた一般市民。
薄暗くなるとすぐこういう手合いが現れる。
喧嘩は慣れてるし、空手をやったから弱いわけでもない。
高校生風情でプロ相手にどこまで出来るかわかんねーが、弱者苛めってのも気にくわねー。
だから当然加勢をするつもりで近くに行った。

でもそれは喧嘩じゃなかった。
集団暴行ってわけでもない、その反対だった。

明らかに真ん中の一人の方が、数を頼りに取り囲んでる連中全員より強い。
特徴的なのは体捌きと舞うような足の動き。
直線的に振り下ろされたかと思えば空中で向きを変え、
変則的な曲線を描いて相手の急所に打ち込まれる。
空手なんかの武道とはどこか異なり、型があるようでない。
きっとベースになっているのは実戦。
急所を確実に狙い、一人一人仕留めていくその冷静さ。
まるで機械のようだ。
頭頂近く、高いところで結ばれた長髪は夜目にも奇妙な紅色で、
優雅に一拍遅れて体の動きを追う。
俺はその眺めに心奪われ、加勢するのをすっかり忘れてしまっていた。

あ、でもダメだ。あいつら、ナイフ持ってる。
何故その髪を切らない。戦うのに、そんな長い髪は不利だ。
いくら背が高くて結い上げていても、掴まれたら一発だ。
そう思った途端、ソイツは髪を掴まれ後方に引き落とされた。
転んで、それでも後ろ手についた姿勢で体を支える。
髪をさらに背後へと引かれて、妙に白い喉が宙に晒される。
側面のひび割れのような文様が頚の動きにあわせて蠢いた。

ソイツは哂った。

勝ち誇ってナイフを突き下ろしてくるヤクザの腕を足で軽く蹴り上げ、
奪ったナイフで見もせずに頭上を切りつける。
髪を引き掴んでいたやつの腕から噴出した血と共に、切り払われた髪も飛び散った。
解けた髪が闇に舞い、血よりも紅く街灯の光を弾いて輝く。
もしかしてあの髪は囮だったんだろうか。
だとしたら、何て危険な賭け。

血を浴びたソイツはさっきまでの機械的な動きを捨て去り、
どこか生き生きとした動きで妄執も顕わに敵に喰らいついた。
骨が砕け、肉がつぶれる音と重なって高く響くのはヤクザたちの叫び声。
ソイツは声さえ立てず、野生の肉食動物のように、獲物の喉笛を狙い、切り裂く。
殺戮本能そのままの狩りを楽しむその恍惚とした様、躍動する筋肉、飛び散る血。
悦びに歪む口元も、煌く眼も、四肢の軌跡が描き出す真円に似た残像も、
何もかもがウソのように奇麗だった。
これは喧嘩なんかじゃない。
相手を仕留めるまで止むことない戦いだ。
コイツは殺すことを目的にしてる。

俺は呆然と見入った。
そしてソイツと眼があった。
ソイツは俺を睨みつけて、急に動きを止めた。
瞬きを忘れたように見開かれたままの人殺しの眼。
吊り上る口角、血塗れの肌。
回転運動を急に止めた体についていけなかった長い紅い髪が、
勢い余ってソイツの頚と上半身に蛇のように絡みつく。

鬼だ、と思った。

その動きを止めた一瞬が致命傷となり、背後からチンピラどもに二人掛で押さえつけられた。
うつ伏せに地面に引き倒され、後ろ手を取られ、両足も別のヤツにそれぞれ取られる。
距離をとってみていたチンピラどもの一人が、ナイフを持って近づく。
ソイツの顔の脇にしゃがみ、ナイフを首筋に当てた。
そしてソイツは自分の喉に押し付けられたナイフを見て笑ったんだ。愛しそうに。

だから俺はたまらなくなって、飛び出してしまった。
おそらくソイツも求めていなかった助太刀。
でもこのままじゃいけないって思った。
たとえソイツが今望んでいるのが、そういう結末でも。

気がついたら、ソイツを押さえつけてた奴等を全部ぶちのめしてた。
ソイツは地面に横たわったままだった。
手を、伸ばした。

「大丈夫か」

聞こえていないのかと思った。
あまりにも反応がないから。
でもソイツはゆらりと立ち上がって、俺を見下した。
その瞳に浮かんだのは明らかな殺意と侮蔑。
だから俺は何も言えなかった。
ソイツはそのまま姿を消した。

一体なんだったんだろう。

喧嘩に割り入ったときにばら撒いた自分の荷物をかき集め、
その辺に落ちてたケータイで救急車を呼んで、俺もその場を離れた。
そういえばアイツの声を聞かなかったとその頃になって気付いた。
一瞬というにはあまりにも永い時間だった。



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