我執 2
「よぉぉ、一護! どしたの、なんか難しい顔して」
いつもの朝、いつもの登校風景、いつもと同じく大騒ぎだけど、
でも数日前のあの出来事以来、友人達の相手する気にならねー。
なんかすげー煩わしいんだ。
だからあっさりスルーする。
なんか後ろで叫んでるけど、ちょっと今はそれどころじゃねーんだ。
ポケットの中にある誰かの学生証。
おそらく先週の騒ぎで俺の荷物に紛れ込んだままだった、落し物。
写真がないから分からないけど、もしかしたらアイツのかもしれない。
都内にある有名な大学のものだから、あとで届けてみよう。
警察に預けるってのは、なんとなく避けた方がいいような気がするし。
そして放課後。
相変わらずの級友たちを残して、俺はさっさと電車に乗った。
都心へと向かう電車はいくつもの街を通り抜け、ただ走る。
人が忙しく乗り降りする度に音と空気が擦り抜ける。
一本の線で結ばれた街同士だというのに、纏う雰囲気はそれぞれ異なっていて、
独特というほどではないが、やっぱり個性があるもんなんだと思った。
時間みたいだ、と思う。
同じ日常、同じ人々、変化に乏しい毎日。
電車もそうだ。
同じ路線を同じ時刻に走ってる。
アリキタリの繰り返しに見えても、実は毎日、微妙に違うんだろう。
当たり前と思っていたスケジュールが、突然の事故なんかで狂うこともあるんだろう。
平穏な日々を唐突に乱す予測不能な出来事ってのはあるもんなんだ。
良きにしろ、悪しきにしろ。
目当ての大学に着いたのは丁度講義が引けたときだったみたいで、
キャンパスは学生で溢れかえっていた。
制服を着てる上にこんな髪の色だから結構じろじろ見られたけど、
それはいつものことだし無視して学生課のほうに向かった。
巨大な建物の一角、玄関の案内図を確認して受付の方に向かうと、
賑やかな学生の一団がこっちに向かってきた。
そのなかで一際目立つ長身。
あの、紅だ。
俺は何も言えず、ただ突っ立ってその集団が近づいてくるのを見てた。
本当に大学生だったんだ。
また会えたらって期待はしてたけど、本当は大学生だなんて思ってなかった。
もっと違う何かだと思っていた。
そんな普通のヤツとは思えなかったんだ。
アイツが近づいてくる。
授業内容だかなんかわかんないけど、同級生達と賑やかに口論する様は別人のようだ。
こんな声だったんだ。
低くて、テンポよく議論を交わす。
でもなんか他のヤツラと雰囲気が、いや多分、眼が違う。
この間の、あの黒く纏った重苦しい空気はどこへ行った。
あの殺意の固まりみたいな眼をどこに隠している。
通りすがりざま、ソイツの視線は一旦、俺の上を素通りした。
覚えてなかったか、と落胆半分安堵半分で後姿を追った。
でも数メートル行った所でソイツは突然振り向いた。
訝しげに眼を細めて俺をじっと見る。
睨み合いのような一瞬。
視線を外さないまま、先帰っててくれ、とかなんとか級友達に言い置いて、ソイツが俺に向かってきた。
「よお。何してんだこんなとこでコーコーセーが」
真昼間だというのに薄暗い廊下。ソイツの眼が光る。
軽い口調とは反対に、響くのは地を這うような低い声。
さっき、同級生達と話してたのとはトーンが違う。
「学生証を見つけたんで、届けに来たんだよ」
「・・・そりゃーご親切なこって」
そう言って俺の手から学生証を取り上げた。
「あーこりゃ俺んだ。助かった、丁度届けを出してきたところだった」
「そりゃー何より」
よく見るとまだ顔に傷とか痣とかが残ってる。
それがよく似合ってると思うのはなんでだろう。
コイツはきっと、俺のことを凄く憎んでるだろうと思った。
邪魔したから。
よくて殴り倒されるかぐらい、もしかしたら殺されかねない、とまで覚悟してた。
でもソイツは、サンキュと言い捨てて背を見せ、あっさり歩き去っていく。
それがあまりにも意外で、追いかけていった。
校内の薄明かりに目が慣れてたから、紅い髪が反射する日の光に目が眩む。
「おい、それだけかよっ」
ゆっくりと振り向く。
あまりのゆっくりさに、高いところで結ばれた紅い髪も全く揺れないのが印象的で。
「なんだ、なんかまだあるのか」
その見下してくる眼と無表情にカッとして、思いもしなかった言葉が滑り出た。
「お前、人を殺したことがあるのか」
「ああ」
即答。
まるで昨日映画見たか、とかそういう質問に対する答え。
でもきっとウソじゃない。
「・・・・・どうして人殺しなんか」
「そんなことを知ってどうする。警察にでも連れてってくれるのか」
ソイツは哂う。
まるでバカな質問をする子供を嘲笑うかのように。
言葉が続かない。
ソイツは近寄ってきて、俺の前に立ちはだかった。
「なあ。ヒトってなんだ。
何を殺したら人殺しになる。
サルとヒトの区別はつくか?
ヒトの親が居ればヒトか?
それとも戸籍や国籍があればヒトか?
ヒトらしくってなんだ。
心があることか。じゃあ心ってなんだ。
そもそも俺はヒトなのか。
ヒトがヒトを殺してこそ人殺しの名だろう。
じゃあ俺は人殺しじゃない。
人喰いだ。
喰われたいのかテメーは」
静かに滑り落ちてくる言葉の羅列。
ソイツは少し屈んだ。
視線がが同じ高さでぶつかる。
「・・・・・喰ってやろうか、その命」
息がかかるほど顔が近づく。
無いはずの、錆臭い血の匂いが鼻をつく。
顔が引きつったのを感じた。
鬼は笑った。
二度と来るんじゃねぇ。
そういってソイツは真昼の陽光に溶けて消えた。
後に残るのは、鬼の影。
足元でほら、哂っている。
でも俺はなんとなく分かっていた。
あれは同類だ。
永く探し続けていた。
そして俺はすっかり魅せられてしまった。
その眼の奥の何かに。
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