欠片 2

 


遅れて登校すると、いつもの風景。
いつものざわめき、明るい顔の級友達。
締め切りのレポートや、テストの話なんかに熱中してる。

大学は嫌いじゃない。
他人との適当な距離、適当な関係性。
綿密な計画に沿って組み立てられた授業、カリキュラム、そしておざなりな授業。
時間にも空間にも適当な隙間。
適当な密度で満たされている。

「阿散井くん!」
「吉良」
「珍しいね、遅刻なんて。はい、ノート」
「相変わらず気がきくなあ、テメーは」

つい呆れて本音が出た。
でもお人よしの級友は、礼も言わずじまいの俺に邪気の無い笑顔をくれて、人の輪に戻っていった。
他の級友が議論に加われと手を振ってきたが、ワリィと断る。
ちょっと離れたところに席を見つけて移動し、思いっきり浅く腰掛け、足をぴんと伸ばす。

俺は本当に恵まれている。
それはわかっている。
大学生活は順調だし、奨学金も出たし、留学までもう一年を切った。
でも、順風満帆だと級友達に羨ましがられるたびに、胸を焼く焦燥感。
こんなことをしてる場合じゃないと鳴り響く警告音。
何か、とてつもなく大事なことを忘れている気がする。

「あ!また、こんな隅っこ座って!」
「・・・・・またテメーか雛森」

ぷう、と雛森が片頬を膨らませる。

「その顔、止めた方がいいぜ? 小学生と思われてつまみ出されるぞ?」
「ひっどーーい!!」

遠くで吉良がこっちをちらちらと見遣ってる。
俺と雛森がどうこうなるわけ、ねーだろ、このバカ。
気になるならさっさと手を出せ。全く。
どいつもこいつも発達不全だぜ。

「あ、来たよ! 今日の講師!」

雛森を始め、あちこちに集まっていた級友たちが慌てて席に戻っていった。

そういえば、そうだった。
臨時で開催された特別講義。
講師は、研究に助成金を多く出している国際財団の幹部の一人だ。
経営陣の一員でありながら研究職を本職としていて、
俺たちみたいな研究者のヒヨコたちに、研究職の実際ってもんを講義してくれるってんで、
いつも資金集めに奔走してる研究員や教授たちを見ている身としては、
非常に興味のあるところだったんだ。

すり鉢上の大ホールの最下段の横の扉から、
噂になっていた客員講師が、教授に連れられて入ってきた。
ホール中がしん、と静まる。

「えー、では紹介します。本日の講義を担当していただくのは・・・」

ガタッ。

静まり返ったホールに、ものすごい音が響き渡り、ホール中のヤツラが俺を見た。
俺は、椅子を蹴倒して立ち上がっていた。
 

「あ、あんた・・・」

遠目でも間違いない。
あれは、あの男だ。
漆黒の髪、白く冷たい顔。
そして何より、その眼。

「本日、臨時講師を勤める朽木だ」

俺を怒鳴ろうとした教授を手で制し、朽木と名乗る男は俺を一瞥した。

「座れ。講義を始める」

間違い、ない。

力が抜ける。
痺れる手で椅子を起して、倒れるように座り込んだ。
吉良や雛森が大丈夫かと口の動きだけで伝えてくる。
でも、朽木と名乗る男に意識を奪われて、その顔しか目に入らない。

遠い昔、一回だけ見たあの顔。
俺を冷ややかに見下したあの眼が記憶の奥底から甦り、目前の男の眼と重なった。

朽木の声が朗々とホール中に響く。
淡々とつづられる言葉の数々、貴重な知識、経験に基づいた実践的方法。
端的に纏められ、ソツがない。
学生達の意識が集中し、無駄口を叩くやつさえいない。
完璧な講義。全てが流れるようだ。

こんな声をしていたのか。
低く静かな、そして明らかに命令し慣れた声。

黙れ。もう喋るな。
その声、その眼、その存在。
全てが目障りだ。消えろ。

朽木の声が反響する。
劈く騒音となって頭の中で鳴り響く。

頭が痛い。
脇にも背中にも恐ろしい量の汗が噴出しては流れていく。
そして視界も狭まり、俺は耐え切れずに意識を手放した。



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