欠片 3

 


「ね、大丈夫?」

机に伏せていた顔を上げると、雛森や吉良が心配そうな顔で覗き込んでいた。
汗を拭いてくれてる布の感触が気持ちいい。
頭だけじゃなくて、少しづつ手足にも血と感覚が戻ってきてるのを感じる。
あの刺すような頭痛も引いてきている。

俺は寝ていたのか?
いや違う。意識を失っていたんだ。
でも何故?

その疑問に応えるように、意識の表層にあの白い面が浮かんだ。
・・・思い出した。あの男。アイツを追いかけなきゃ。

「・・・アイツはっ?!」
「アイツって?」
「朽木だ。アイツはどこだ」

吉良と雛森が不審そうに顔を見合わせた。

「臨時講師の? あの先生ならもう帰ったよ?」
「くそっ・・・!」

まだ、間に合うかもしれない。
急に起き上がったからクラクラするけど、構っていられない。

「ちょっと、どこいくの?」
「待てよっ」

引き止める声を背後に残して俺は走り出した。
まだ帰っていないかもしれない。
追いつけるかもしれない。
眩暈のせいでブレる視界を無理やり固定して、
立ちふさがる学生達を掻き分けて、正面玄関に向かってひたすら走った。
フラフラになりながらもようやく正面玄関にたどり着くと、
一見して特別仕様と知れる黒塗りの乗用車に朽木が乗り込むところだった。

その後姿を見た途端、血が引く。
世界が色を失い、モノトーンへ姿を変える。

「待てよっ」

遠すぎて、掠れた声では届かない。
朽木は滑るように車に乗り込み、運転手と思しき男がドアを閉めた。

「待ちやがれっ!」

後部座席、横顔がガラスを通して薄く見える。
運転手が車の反対側に回り込んで乗り込み、車を発進させる。
低いエンジン音が響く。

「・・・ちくしょうっ!!」

 

ドンッ。

フロントガラスに思いっきり飛び込んだ挙句、ボンネットから転げ落ちて全身を強く打った。

何も考えてなかった。
無意識の行動だった。
酷い音が響いて息が詰まり、意識が一瞬暗転した。

「・・・くそ」

車は急ブレーキをかけて止まり、中から運転手が飛び出てきた。

「キミッ! 何をするんだっ」
「・・・・・うるせえ」

軋む身体をなんとか制御し、運転手を押しのけ、後部座席ににじり寄る。
中には、変わらず正面を向いたままの顔。

何故この騒ぎでこちらを見ない。
ギリ、と俺自身の歯軋りの音が響く。
でもこの男には届いていない。

「おい、アンタ!」

車の窓を拳で叩くと、ガラスが震えた。
力任せに叩いているのに、硬い音が響くだけ。
防弾ガラスか?

この男と同じか。
何をぶつけても、何もなかった振りをするのか。

腰を落とし正拳に構え、気を入れてガラスに拳を叩き込む。
今朝つくった傷が破れて血が噴出し、ガラスに跡をのこした。

何発叩き込んだら、このガラスは割れるんだろう。
この男は、引きずり出されたら、どんな顔をするんだろう。

音も無く、窓が降ろされた。
動揺も、感情さえも見せない眼が車の奥で光っている。

「何がしたいのだ貴様は」

抑揚のない声。

何がしたい?
そんなことは知らない。
でも俺は、てめえが何をしたか知っている。

「・・・ルキアを返せ」
「ルキア・・・?」

不審気に一瞬、眉が歪んだ。

「誰だ、貴様は」

かっと頭に血が上る。

「・・・覚えてねえのかよっ。俺は・・・っ」

胸倉を掴もうと手を伸ばした途端、横っ面に衝撃を受け、そのままアスファルトに叩きつけられた。
側頭部を強か打ちつけ、危うく意識を失いそうになる。
指一本動かせないでいる俺の耳に、運転手の冷静な声が辛うじて届いた。

「このような下賤のものに関わる必要はございません。大学側には申し渡しておきますので」

そして窓が音も無く閉められ、車は発車した。
俺は一人、身動きも出来ないままアスファルトの上に残された。
質問はおろか非難さえ、罰さえ受けることもないこの扱い。

下賤、か。
懐かしい言葉だ。
期せず笑いが漏れた。

 

世界が、ざわめきと色が、強烈な痛みを伴って戻ってきた。
周囲には遠巻きに大勢の見物客。
無様にアスファルトの上、寝っころがる俺を指差して囁きあっている。

「阿散井くんっ」

そう叫ぶ級友の声が聞こえた気もする。
でも俺の眼に映るのは、遥かなる蒼天。

なんて、マヌケ。
あんなに捜し求めた敵をようやく見つけたというのに、なんだこのザマ。

空はあの日と同じ。
蒼く澄んで遠い。
そして太陽は更に遠い。

天に向けて伸ばしてみると、大きく成長したはずの手がヤケに細く頼りなく見えた。



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