欠片 4

 

部屋に戻ると、いつもの静けさ。
何も変わらない。
いつもの伽藍堂、隙間だらけのすかすかの空間。

「・・・狒々丸?」

ドアの音を聞いても現れなかった。
きっと隣の鎮守の森で遊んでいるんだろう。

ベッドに寝転がると、ギシ、と軋む音が部屋中に響いた。
天井に、床に反射した太陽光と影が揺らめく。
水面を見てるようだ。
包帯でぐるぐる巻きにされた手を天井に向けて広げると、
指の間から水が漏れていくような錯覚を受ける。

誰だ、貴様は。
そう言ったあの能面のような顔が頭から離れない。

当然といえば当然だ。
あの男が俺を覚えているはずはない。
俺はガキだった。
俺を見ようともしなかったアイツが、俺を覚えていたわけが無い。

でも俺は覚えている。
長い年月が経ったのだ。
容貌も何もかも変わったはず。
でもあの眼。
記憶に鮮烈に焼きついている。

奪うものと奪われるもの。
搾取するものと搾取されるもの。
支配するものと支配されるもの。
この世はそう出来ている。

そんなのは百も承知だ。
骨の髄まで滲み込んでいる。
それでも、あの眼を見ると、腸が煮えくり返る。
ちくしょう。

「・・・くそっ!!」

両の拳を互いに打ち付けると、級友が巻いてくれた真っ白の包帯の上に、紅く血が滲み出した。

ウザい。
何もかも。

跳ね起きて、上手く解けない包帯を引きちぎり、床に叩きつけると、
血で重くなった包帯が、鈍い音を立てて床に広がった。

「アイツを殺す」

声に出してみると、呆れるぐらい明快な望み。
それこそが、ずっと俺が望んできたことだった。

 

「・・・・・誰を殺すってんだよ?」

唸るような声に振り向くと、ドアのところにあのクソガキが立っていた。

「・・・またテメーか、黒崎」

黒崎は一丁前にため息をついてみせた。

「また、殺すのかよ」
「関係ねーだろ」

黒崎の頭は、逆光に照らされて明るくオレンジに縁取られている。
非常識な、太陽の色。

「関係ねえ訳ねーだろ?」
「・・・んだと?!」

ドカドカ土足で、遠慮会釈も無く黒崎は入り込んでくる。
来るな。
ここは俺の巣。俺の縄張りだ。

「帰れ」

ベッドに座ったまま、視線と声音だけで脅す。
フツーのヤツなら、これでビビって帰るけどな。
でもこのクソガキは、意地になって居座るだろう。
んなこと分かっていても止められない。

コイツは、心底、気に食わない。
側にいるだけで、首の後ろの毛がチリチリと逆立つ。
適当にあしらうことができない。

「・・・つか恋次、なんでいつも荒れてんだよ」

余計なお世話だ。

「テメーにゃ関係ねーだろ。つか荒れてねー、ごくフツーだぜ?」

目の前のクソガキに集中すると、さっきまでの感情の嵐が一気に去って、
冷静といえるほどの静けさが精神を支配し、
無意識のうちに戦闘態勢に入ったのを感じた。

手足に通う神経が鋭敏になり、頭の芯が冷える。
座った姿勢のまま、悟られないように、つま先に重心を移して両手を膝にかけ、
いつでも飛びかかれるように全身の筋肉を軽く緊張させる。

「・・・あのさ」

そう呟きながら、黒崎が一歩、下がった。

やっぱりただモンじゃねー。
雰囲気、読めてんじゃねーか。
なら、今すぐ帰れ。
ボーダーラインを超えるな。
超えてこちらまで来ると、俺は何をするか分からない。
特に、そんな眼を持つテメーには。

「俺、今日ココに来たのは・・・」

何を思ったか、躊躇いながらも黒崎が、一歩、俺に近づいた。

そうか、やる気なのか。
くつり、と、口元が笑顔の形に歪むのを感じる。
目の前が赤く染まりだす。

コイツは敵だ。
俺を殺そうと近づいてくるんだ。
なら、反撃していい。
殺していい。

今、すぐ。




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