欠片 5
ドンッ。
大きな音が部屋中に響いた。
驚いて振り向くと、入り口のドアに斜めに寄りかかった黒い人影。
漆黒の髪と眼、そしてヤケに目立つ顔の刺青と傷。
「こんちわーー」
そんな風貌の癖、緊張感をぶち壊す間の抜けた明るい声。
こんなフザけたヤツは、世界に一人しかいない。
「・・・・・センパイ」
ため息混じりに俺が呟くと、黒崎が一歩引いた。
張り詰めた空気が一気に払拭されて、俺も全身の緊張を解いた。
「・・・どうしたんですか、今日は」
腰掛けていたベッドを離れ、わざと黒崎のすぐ脇を通って入り口に向かう。
もちろん警戒は怠らない。コイツは油断がならない。
「どーしたもこーしたも吉良から電話あったぞ? ガッコで騒ぎ起したんだって?」
センパイが俺の頭に手をやり、ポン、と軽く叩いた。
ガキ扱いすんな。
大体、俺の方がデカいだろうが。
「あんのおせっかいが・・・」
「そーじゃねーだろ? 礼を言うとこだろ?」
首に回ったままにされてた腕を振り払う。
「吉良にもアンタにも関係ねー、礼もヘッタクレもねーだろ」
「・・・んだと?」
センパイの細い眼に、暗い光が走る。
イイ眼してんじゃねーか。
その調子だぜ、怒れよ。
いつもいつも他人面しやがって。
本気で相手しろよ。
「関係ねえ、先輩面すんなっつってんだ」
さあ、来いよ。
どいつもこいつも纏めて殺してやるよ。
でもセンパイは、ふ、と一息吐いて眼を逸らした。
「阿呆。先輩が先輩面するから世の中は道理が通るんだよ」
知らねーよ、先輩とか後輩とか道理とかそんなの。
アンタと俺の、個人対個人の問題じゃねーのかよ。
なのにアンタはいつもいつも。
「・・・んなもんかよ」
ギリ、と俺自身の歯軋りの音が響く。
どうして応えてくんねーんだよ。
「そうなんだよ」
センパイはそう言って、また俺の頭を軽く叩く。
なにがそうなんだよ、わかんねーよ。
「・・・で、そっちのヒト、あんた誰?」
俺の鬱屈を他所に、センパイは俺のすぐ横を黒崎の方に通り過ぎていった。
さっき、俺が黒崎にしたのと同じ扱い。
それだけのことなのに、俺はとんでもなく置き去りにされた気持ちになった。
「つか、あんたこそ誰」
「・・・はぁ?」
案の定、黒崎は偉そうに問い返してきた。
背を向けてるから見えないけど、センパイが心底呆れた表情をしてるのが目に見えるようだ。
あの風貌だし、この重い空気。
たいていのヤツはビビっちまうんだけどな。
そのクソガキはちょっと違うみたいだぜ。気をつけろよ、センパイ。
「自己紹介してからヒトの名前訊けって習わなかったのかよ?」
畳み掛けるような黒崎の生意気な言葉に、くつくつとセンパイが笑いだした。
「いいねえ、若くって」
「・・・んだとぉ?!」
「いや、ワリィワリィ。生憎、習ってねえんだよ。オギョーギ悪くてすまねえな」
嘘付け。
誰より礼儀正しい四角四面だろ、そんな面で。
「俺は檜佐木。コイツのセンパイってやつだ」
堪えきれずそちらを見ると、センパイは丁度ぐっと黒崎との距離を詰めたとこ。
身長と外見を活かして威圧する。
アンタも大概、大人げねえよなあ。
「そうかよ。俺は黒崎だ」
黒崎も、背筋をぴんと伸ばしてなるべく身長を高く見せようとする。
一歩も引かない。
「・・・くくっ」
その背比べのような様がおかしくって、緩んじまったさっきまでの妙な緊張も手伝って噴出してしまった。
「・・・んだ恋次、何笑ってやがる」
「いや、だってさ。センパイ、負けてっし!」
「負けてねーだろ、圧勝だろ!」
すると、すかさず黒崎が口を出してきた。
「何が圧勝なんだよ、ヘンな面して大概テメーの負けだろ!」
「んだと? この端正な顔のどこがヘンなんだ」
「ヘンに決まってるだろ、大体69って何なんだよ!」
「そりゃーオメー、69っつったらシックスナインだろ、やったことねーのか」
かあっと黒崎が赤くなって飛びのいた。
「あ、知ってるんだ、意味は」
センパイが検分するように黒崎の顔を覗き込むと、黒崎の動揺が更に増す。
「ななな、なんだよソレ!」
「でもまだ未経験・・・ってとこ?」
絶対面白がってるだろ、アンタ。
目、笑いまくり。子供で遊んでんじゃねーよ、バカ。
「か、関係ねーだろっ!! 大体、何なんだよアンタ! いきなり入ってきて」
「ってソレ、こっちのセリフなんだけど」
センパイが黒崎に顔を近づけた。
笑った表情はそのまま、目がすっと細くなり凄みが増す。
零れ落ちるのは静かな低い声。
「オマエ、誰。何でここにいるの」
唐突に変わった雰囲気と明らかな威嚇に、黒崎が息を飲んだ。
センパイはニヤ、と笑って俺に振り向き、
「恋次。コイツ誰?」
と、わざとらしく黒崎を指差してみせた。だから俺は、
「誰でもねー。通りすがり」
と本当のコトを言った。
「ちょ、ちょっと待てよ、通りすがりはねーだろ?!」
「つか通りすがり以上の何だってんだよ。早く帰れ」
俺と黒崎を交互に見比べていたセンパイが、如何にも人の悪そうな笑みを漏らす。
「というわけだそうで。出口はアッチ」
「って何でテメーが決めるんだよっ。俺は恋次に用があって・・・」
「俺はねえぞ、用事」
俺の言葉に、黒崎がこっちをスゴイ目つきで睨んだ。
「いい加減、帰れよ。ウゼーよテメー」
ぎり、と黒崎の口から歯軋りの音が漏れる。
きっとこのお子様は、こういう扱いを受けたことがないんだろう。
テメーはテメーの世界へ帰れ。
俺の自制が効くうちに。
一瞬の睨み合いの後、黒崎はまたため息をついた。
最近の子供は、ため息のつき方が妙に上手い、と思った瞬間、
黒崎が思いもかけなかったことを言った。
「・・・・・謝りにきたんだけどな、本当は」
「は?」
「こないだのケンカ、割り込んで悪かった。すまねえ。それだけだ」
そう言い残して、オレンジ頭の子供は俺の横を通り過ぎ、部屋を出て行った。
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