その手が空を掴むのを見た。
強く大きいのに何も持たない空っぽな手。
ただの飾り物。
俺と、同じ。



瞑目



金属製の外階段を駆け下りる靴音は、カンカンカンと鳴り響く。
ヤケに明るい響きなそれは、道化な俺を嘲笑ってるみたいで悔しい。

ちくしょう!
何なんだよ、あの二人。
瞼に焼き付いているのは二対の冷たい眼。
似ても似つかない赤と黒の瞳はでも同じ表情で、
 一刻も早く出て行けと揃って怒りを見せていた。

「・・・あー、せいせいしたっ!」

忌々しい金属板を数枚残して、一気に地面へジャンプ。
着地すると、とすっと篭った音。
土が抉れて泥が撥ねる。
膝を貫く振動に、地に足がついた実感が湧く。

とにかく! 
・・・・ とにかくだ。
俺は謝りたかったし、ちゃんと謝ったからスジは通した。
これであのいけ好かないヤツラ、特にあの黒いヘンな顔のヤツとは会う必要もねえ。
恋次の方にだって、きっと、たぶん、もう、会うことなんてねえ。

さっきのあの紅い眼。
本気で俺を殺そうと、いや、排除しようとしていた。
途中から俺を見てやしなかった。
ヤクザどもとケンカしてたときと同じ、機械の眼だった。

・・・・あのままだったら殺し合いになってたかもしれない。

背筋がぞくりとする。
恐怖のせいだけじゃない。
俺の中のどこかに、それを望む気持ちを見つけたからだ。

アイツととことんやってみたい。
叩きのめして腹を抉り、本音を引きずり出してみたい。
俺のこと、ちゃんと俺だって認めさせたい。

思いもしなかった強い衝動に背筋をゾクリと寒気が走る。
ケンカしてるときの俺も、そして今の俺も、恋次みたいなあの眼をしているんだろうか。

振り向くと、廃工場の二階のトタンの壁が太陽を受けて燦然と輝いている。
あの中は果てしなく空虚な空間だというのに。
きっとあの赤と黒の2対の眼は、太陽の光さえ拒むに違いない。
全てが邪魔だというように。
互いの他は何も要らないとでもいうように。
帰れ、出て行けと。
悔しさのせいか、ギリギリと胸が痛む。

「・・・もう、関係ねえっ」

誰にともなく呟き、止まっていた足を前に進めようとしたその時、
凄まじい叫び声が廃工場の2階から響いた。

「なんだっ?」

あの二人、ケンカでも始めたのか?!
けれどそれにしちゃ声が変だ。
腹の底から搾り出すような、恐怖が張り付いたような声。
一体どっちのだ? 
声が止まらない、放っておけない。

それでもなるべく足音を忍ばせて、今下りてきた階段を駆け上る。
血塗れの悲惨な光景が想像の中、広がる。
ちくしょう、間に合ってくれ!

近づくにつれどんどん声が大きくなる。
それに被さるもう一人の怒鳴り声。
恋次の名前が繰り返される。
じゃああの叫び声は恋次のなのか?
何が起きた、どうしたっていうんだ?!

駆け上った階段もあと数段でドアにたどり着こうとしたとき、声が唐突に止んだ。
まさか、死んだ、とか?
すっと頭から血が引く。
けれど恐る恐るドアに手をかけた時、黒いヤツの怒鳴る声が聞こえた。
ぼそぼそとそれに答える恋次の声もする。

・・・なんだ、大丈夫だったのかよ。
っていうか殴る音とか聞こえてねえ?
ただのケンカ、かよ。

ほっとしたのは確か。
同時に自分のアホくささに嫌気がさして、家に戻ろうと思った。
確かにそう思ったんだ。
だけど靴底が足元の金属板に張り付いたまま動かない。
ドアの隙間から漏れ聞こえてくる声、物音。
それとこれは、忍び笑い?
何かが引っかかって、どうしようもなくて、
こんなの俺じゃねえと思いつつも、手を止められない。
葛藤の果てに開けてしまったドアの隙間、
そこには床にへたり込んでいる二人の姿があった。

声はくぐもって聞こえないけれど、
背中を向けている黒いヤツの陰に恋次の顔が見え隠れする。
口の端から血が流れてるけど、やっぱケンカしてたのか?
それだけのこと、なのか?

けどそのまま、二人の顔がくっついて。
つまり信じられないことに、二人は明らかにキスしてて。

------ なんなんだよ、コレ!

恋次が黒いヤツの肩を押し返したけど、黒いヤツの手が恋次の口に触った。
指で血を掬い取って唇に擦り付ける。
血塗れの指はそのまま頬を横切り、耳を包むようにしながら髪の中へと侵入する。
頬に残された赤黒い軌跡に吸い寄せられるように顔を近づけた黒いヤツが、
恋次の肩を引っつかんで抱き寄せた。

------ 信じらんねえ、マジかよ。

思わず後ずさる。
でも視線が外せない、体も動かない。

俺に背を向けている黒いヤツの両脇の床の上、
所在無さげに置かれていた恋次の手がゆっくりと上がった。
抱きつき返すのかと思った。
でも恋次の手は空を掴んで力をなくして、また床に落ちた。

------ なんなんだよ、それ! 訳、わかんねーよ。

大体、薄く開けたドアの隙間から光が黒いほうの背中を掠めているというのに、気づきゃしない。
俺がこんなに近くにいるのに、気づきゃしない。
こいつら、バカじゃねえの?

「・・・気持ち、悪ぃっ」

小声が漏れた。
でも誰も気づいてない。
俺のことなんてアイツらには関係ない。

とにかく気づかれないようにと足音を忍ばせてその場を離れた。
残ったのはどうしようもない虚しさと跳ね上がる鼓動、それと後悔。

俺は、卑怯者もいいところだ。
・・・・チクショウ。





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