瞑目 2
早く、ここを離れなきゃ。
そう思ったけど、なんでだか俯いてしまって、
目に入ったのは再び地面を踏みしめた靴の先。
この辺は雑草が生い茂ってるけど、河川敷を走ってきたせいかな。
下ろしたばかりのスニーカーが茶色く泥で汚れてる。
そういえばまた靴のまま恋次ん家に入ったんだっけ。
泥だらけだって言ってまたブツブツ言いながら掃除でもするんだろうか。
あの白猿が見守る前で。
思わず笑いが漏れる。でもすぐに凍りつく。
だって関係ない。
今、恋次の部屋にいるのはあの黒いヤツ。
アイツが恋次を独り占めしてる。
白猿でさえきっと入れない。
そういえば、あの猿はどこに行ったんだろう。
ってか猿の心配してる場合かよ。
つか力、抜けるよな、全く。
何ショック受けてんだよ、俺。
アイツらがそういう関係だって、俺には関係ねーだろ。
てかあんなゴツいやつがホモだとかって気持ち悪いってか、
信じらんねえってのはあるけど、でもそんなの、個人の自由ってヤツだし。
だったら、俺に出て行けって言ってたのも納得できるし。
・・・アイツら、あの後、そういうこと、するんだろうか。
いい年したヤツらだし、キスだけってことはねえよな。
つかあのまま床の上で?
・・・ってどういうこと、するんだ・・・?
「・・・う、うおおおおっ、止めろっ! 止めろ、俺っ!!!」
目の前に浮かんだあらぬ想像。
思わず、ぶんぶんと手で振り払って消そうとしたけどなかなか消えてくれない。
チクショウ、気持ち悪ぃだろ!
んな想像してんじゃねーよ、俺!
足元の雑草をぐりぐりと踏み潰していたら、焦げ茶の地面があらわれた。
靴がますます泥まみれになってしまうってーのに。
気持ち悪いとかショックだとかそういうのは横に置いとくとしても。
ただ、気にかかっただけなんだ。
あんな顔、アイツにはするんだって。
寝ていたときよりも更に無防備な、あんな顔。
熱に浮かされた子供のような顔。
俺のこと、殺そうとしてた同じ眼のはずなのに、全くの別モンだった。
なんでだろ。それが悔しい。
訳わかんねーけど、すげえ悔しい。
「・・・・ちくしょっっ!」
剥き出しになった地面を思いっきり蹴りつけて八つ当たりした俺は、
恋次の住処を後にして、本当にそれでオシマイにしようとした。
けど、じゃな、という声と共に、頭上から金属板を蹴りつける音が響く。
もしかしてアイツか?
俺は咄嗟に階段の下、とっくに稼動してない何かの設備の影に隠れた。
頼む! 頼むからこっち見ないでくれよ?!
息を潜めて気配を消すと、響くのはガンガンガンと階段を降りる荒々しい音、一人分。
地面に降り立った後も、足音は一瞬たりともリズムを変えない。
計ったみたいに規則的。
そっと顔を出してみると、振り向くことなく遠ざかっていく黒い背中が見えた。
恋次がしがみつき損ねた、あの黒い背中。
「・・・ああ、もう、俺ってなんか最低」
ようやく黒いヤツの姿が木に隠れて遠ざかったから、今度こそ帰ろうとした。
けどまた、バタンとドアの開く音が頭上から響く。
なんなんだよ、ちくしょうっ!!
毒づきながら、また慌てて隠れる。
「センパイ、センパーイ、ケータイッ!!」
アイツの携帯なのか?
恋次に似合わない感じの酷く軽薄そうな音楽に重なって、
アイツを呼び戻そうとする恋次の声が響く。
止めろ!
今アイツに戻ってこられちゃ非常にまずい!!
こっち向いて来られたら俺、丸見えだし!!
こんなとこ見つかったらマジで袋叩きにされる!
ケンカならまだしも、こんなことで軽蔑されるのは真っ平だ。
つか俺ってこんな惨めなキャラだったか?!
何か違うだろっ!
冷や汗が背中と脇を流れる。
幸い恋次の声は届かなかったらしく、アイツは引き返してこなかったみたいで、
階上から恋次が電話に応答する声がボソボソ聞こえてくる。
こっちにも気づいてないみたいだ。
あー、もう、焦ったぜ。
壁に引っ付いたままほっとため息をついた途端、
「ちくしょうっ」
という恋次の声が響いた。
見上げると宙を飛ぶ黒い物体。
遠くに放り投げられた何か。
続いて荒々しくドアを閉める音が響いてあとは沈黙。
うんともすんともいいやしない。
すっかり静まり返ってしまった世界。
取り残された俺の耳に入るってくるのは、鳥が囀る声と葉擦れの音。
ああそういえば今日は天気がいいからと思わず空を見上げると、
やっぱり廃工場のトタン壁はキラキラと輝いていて、
あの中にひとり残された恋次は一体どうしてるんだろうと気になった。
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