somebody special 1
「いてててて、と」
わざとらしく頬を押さえ、1ドア冷蔵庫の上の段からビールを2本出す。
「真昼間っから飲むのかよ」
「いーだろ。どうせ金曜なんだし」
「ガクセーのクセに何が金曜だ、勉強しろベンキョー!」
「へぇへぇ」
とはいえビールの本来の目的は、さっき思いっきり殴られた頬を冷やすこと。
説教しながらさっさと缶を開ける社会人を横目に、冷えたビール缶を頬に当てる。
こいつの拳は硬くて大きいから、すぐ冷やしとかないとでっかく濃い痣になるってのは当の昔に学習済み。
「で、なんでテメー、帽子かぶったままなんだよ。キスしたの、まだ怒ってんのかよ」
反応がない。無視かよ。
ビール缶をほとんど逆さまにして流し込むように飲む恋次。
もっと味合えよ、もったいねー。
でもイキモノのように蠢く喉につい、見とれた。
うまそうだなぁ。痣になっても構やしねーか。
で、俺も缶を開ける。
プシッ。
缶を開けながら、定位置に胡坐をかく恋次の側に行くと、
「はい、ガクセーはベンキョー」
と俺のビールを取り上げてそれを空ける。
テメーそれ、最後の一本なんだぞ? ビンボー学生にたかるな!
つーかやっぱ、怒ってんのかよ。
様子を伺ってちょっと近づくと、なんか動物臭い。
黒っぽいシャツには白い毛がくっついてる。
アレか。職場から直接来たのか。
じゃあこのシャツに付いた匂いとか毛は、狒々丸のか。
あの白猿と恋次がじゃれてる様を思い浮かべるとなんとなく腹が立つ。
「で? 帽子いいかげん取れよ」
ビール2本開けても不機嫌のままの恋次。
もともと今日は塞いだ感じだったから、本当は俺に怒ってるのかどうかよくわかんねぇ。
「テメー、家の中では帽子とれって常識だろうよ?」
「ヤダったらヤダっつってんだろー。うぜぇテメー、帰るぞ?」
なんだその脅しは。
狒々丸にはいつも甘々のくせに、なんでいちいち俺には反抗するんだ。
だから抵抗する間も与えず、その鬱陶しい帽子を剥ぎ取った。
バサっと肩に散らばり落ちる長い紅い髪。
うっかり一瞬見とれる。
が、後ろのほう、かなり短くなってるのに気がついた。
「おい、なんだコレ? 髪、千切れてるじゃねーか!」
「うっせーよ!」
「うっせーじゃねーよ、おい。血もでてんぞ、どうしたんだよホント」
後ろに廻ってみると、せっかくの髪が不自然に短くなっている。
「・・・ケンカでもしたのか」
すっかりそういうこと、止めたと思っていたのに。
「してねーよ。そーゆーのはガキがやりゃあいーんだよ」
髪をまた纏めて帽子に入れようとするから、その手を止めて帽子を取り上げる。
不満げな恋次は一瞬目を合わすと、ぷいっと窓のほうを向いたまままた黙っちまった。
いつもだったら、日中は高く結い上げられてる髪。それが背に垂れている。
黒っぽいシャツの上に散らばるその不揃いな紅が痛々しくて、そっと梳いてみると恋次がイテェ、と呟いた。
引きちぎられたかなんかしたみたいで、毛先が絡まりもつれている。
束になって抜かれでもしたか地肌に傷もできて、紅い髪に黒く固まった血がこびりついている。
昔をちょっと思い出して、ため息ひとつ。
風呂場からぬるま湯とタオル、それとはさみを取ってくる。
背を向けたままの恋次の髪、千切れて絡まったところを丁寧に切ってやる。
こびりついた血は、湯に浸したタオルでそっと拭き取る。洗面器の中の湯が、赤く染まっていく。
「ほら、揃えてやるからこっち向け」
渋々といった体で身体を半分だけこっちに向ける。
全く、意地っ張りにも程がある。嫌がって逃げないだけマシってか?
まあでもそんなことは百も承知なんで、そっぽ顔を盗み見しながら横の髪も揃えてやる。
面倒くさがりの恋次は、いつも髪を結わえて先を大バサミでばっさり切ってた。
見るに見かねて手伝ってやるようになったけど、あれから何年たっただろう。
いつも首が痛くなるぐらい見上げて切っていたのに、今は目線を少し上げるだけで事足りる。
ずいぶん俺の腕も上がった。
恋次専用ってところが我ながら笑えるけど。
「次、反対側」
「・・・へぇへぇ」
まだ仏頂面のままの恋次は、今度はおとなしく反対を向く。
いい傾向だ。
もうちょっとしたら口、開くかな。
日も傾いてきたし、外は金曜独特の喧騒で、どこかしら浮かれた雰囲気。
世間じゃ月曜から金曜が拘束時間、だから金曜の夜は飲みってのが定番らしいけど、
恋次みたいに週末も朝も夜も無くシフトで働いてる奴らにはあんまり関係のない「定番」。
俺はまだ学生だから月曜から金曜が授業で、週末前の金曜はやっぱりフリーだ。
クラスのヤツラはコンパとかなんかいろいろ忙しいみたいだけど、
俺はあんまり関係ないから一人ぼんやり金曜の夜をココで過ごすことも多い。
そういうときは、いわゆる世間と自分の間に日本海溝より深い溝があるような気がする。
イヤなら実家に帰ればいいだけのことなんだけど、でもあそこには平日も休日もナイからなあ。
それよりココでどっぷりと日本海溝気分味わったほうがマシなときも多い。
とにもかくにも、今日は思いがけず恋次が来てくれたから、
世間の言う金曜っぽい金曜になりそうで、多少お祭り気分。
この悲惨な髪を目の前に、どこか浮かれている自分がみっともない。
「ほら、終わったぞ」
そこら中に散らばった長短様々の紅い髪を集める。
下に新聞かなんか引きゃあよかったな、と思ったけど、
いつも思いついたときに突然切り出すから、これもいつもの手順のひとつ。
「服、脱げよ。髪、落としてくるから」
恋次が渋々シャツをとると、下には血が点々と付いて穴が開いたり千切れたりでボロボロになったTシャツ。
思わず息を飲む。血なんて自分のも含めて別に慣れちゃいるけど、これが恋次のだとまた別だ。
何度見てもあの時のことを思い出して吐きそうになる。
でもそれについては言及しない、そういう暗黙の了解。
「・・・なぁ。一体何があったんだ?」
まだ髪が一杯付いた背中を、膝立ちになってそっと抱きしめる。
腕を前に廻すと、うんと短くなった切り立ての毛先が腕の皮膚をちくちくと刺す。
いつもだったら、滑らかな冷たい髪の質感が肌を撫でて気持ちいいというのに。
また伸びるとわかっていても、今ここにないその長い髪の不在を寂しく思った。
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